恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

まず、目の前にあるものを

2007年06月12日 | 恐懼とか
ふと思う。
太平洋戦争開戦の直前、国を支えていた軍人は何を思ったのだろう、と。
勝機のきわめて少ない対米戦にどれだけの人が希望を持っていたのかと。
おそらく建前では大和魂だとかなんだとか威勢のいいことは言っていたんでしょうが、
内心はみんな不安でしょうがなかったんじゃないのかなぁとか。
そんなことばっかり考えてます。
やりたくなくてもやらなきゃならなかったんだろうな。
ダメだと思っても目標に向かって一生懸命尽くしたんだろうなぁと。

というのも、歴史を考えてあーだこーだ言ってるわけじゃなくて、
単にいま自分が置かれている身の状態と、
恐れ多くもそれを重ね合わせてみたりしているだけであって、
急に本気で歴史学に目覚めたわけでも何でもありません。

つまり、男は時に成功する公算が極めて少ない場合であっても、
己が仕えるものに対して一生懸命尽くさねばならないのかなということです。
多分このまま行けば失敗する。多分このままじゃダメだ。
思っていながらもそれを声高に叫ばない自分も卑怯者ではあると思いますが、
どの時代においても意見を「言いたくても言えなかった」人々が大勢で、
私もおそらくその一人なんだと思います。
不満を内在させていながら声にせず、そして不満は言いながらやることをやる。
ひょっとしたら戦争だなんだってわけじゃなくて、
人の社会ってそんなもんなのかも知れませんが、
とにかく今の自分がやらなきゃいけないことは目の前にあることを片すことだけ。
大きなビジョンとか、そういうのは今は考えている余裕はありませんな。

恐懼謹言。
コメント
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