いとうせいこう著「空想ラジオ」を読了。
いとうせいこうの本はずいぶん昔に読んでいて、「ノーライフキング」や「解体屋列伝」が記憶に残っています。
その後、長らく彼の本とはご無沙汰でした。
この本は、死んだ人と生きている人の関係性について書かれています。生きている人は、死んだ人と心の中で対話をします。そのときに、死んだ人は生きている人の中で再び行きます。死んだ人を悼むということは、死んだ人と心の中で対話することなんじゃないかと思います。小さな子どもならともかく、ある程度の年齢の人なら、死者のことをあれこれ思い出さない人はいないでしょう。ふと心の中に死んだ誰かを思い出し、あのときはこうだった、こんなことしたら、彼/彼女ならこう言うだろうなとか、いろいろ考えます。そういう意味で、生きている人は死者と共に生きているのです。生きている人のみで生きているわけではないのです。
突然の死、その死をどう受け止めるのか、どう心の中で折り合いをつけるのか、わかりやすい語り言葉でこの小説は描かれています。
東日本大震災もそうですが、広島や長崎という、何万人単位の人々を一瞬のうちに奪われてしまうという体験を、この百年で何回も経験したのは日本ぐらいでしょう。
犠牲者となって亡くなってしまった人々、またその場でその出来事を体験した人々、そしてこれらの当事者が家族にいる人々、それぞれの心の中は本人でしかわかりえないのは当然のこととして、それらの人々の心の中を想像することは、僭越な行為なのか、それともそういう想像力こそが必要なのか。
いろいろと考えさせられる小説でした。
体調はいまひとつ。夏バテか…。でも大丈夫そうです。
いとうせいこうの本はずいぶん昔に読んでいて、「ノーライフキング」や「解体屋列伝」が記憶に残っています。
その後、長らく彼の本とはご無沙汰でした。
この本は、死んだ人と生きている人の関係性について書かれています。生きている人は、死んだ人と心の中で対話をします。そのときに、死んだ人は生きている人の中で再び行きます。死んだ人を悼むということは、死んだ人と心の中で対話することなんじゃないかと思います。小さな子どもならともかく、ある程度の年齢の人なら、死者のことをあれこれ思い出さない人はいないでしょう。ふと心の中に死んだ誰かを思い出し、あのときはこうだった、こんなことしたら、彼/彼女ならこう言うだろうなとか、いろいろ考えます。そういう意味で、生きている人は死者と共に生きているのです。生きている人のみで生きているわけではないのです。
突然の死、その死をどう受け止めるのか、どう心の中で折り合いをつけるのか、わかりやすい語り言葉でこの小説は描かれています。
東日本大震災もそうですが、広島や長崎という、何万人単位の人々を一瞬のうちに奪われてしまうという体験を、この百年で何回も経験したのは日本ぐらいでしょう。
犠牲者となって亡くなってしまった人々、またその場でその出来事を体験した人々、そしてこれらの当事者が家族にいる人々、それぞれの心の中は本人でしかわかりえないのは当然のこととして、それらの人々の心の中を想像することは、僭越な行為なのか、それともそういう想像力こそが必要なのか。
いろいろと考えさせられる小説でした。
体調はいまひとつ。夏バテか…。でも大丈夫そうです。