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この建物は、周囲に戦士の絵が彫られていることから ” 戦士の神殿 ” と呼ばれています。
ここにも現在では登ることができません。
この建物と良く似たものがトルテカ族の遺跡トゥーラでも見られるそうです。
トルテカ族の影響を受けて作られたのか、トルテカ族によって作られたのものか?
未だ謎の部分だそうです。
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神殿上部の2本の柱の間にチャック・モール像があります。
チャック・モール
古典期終末から後古典期にかけてメソアメリカ全域において見られます。
仰向けの状態でひじをつくような姿勢で上半身を起こして、顔を90度横へ向け、両手で腹部の上に皿や鉢のような容器をかかえてひざを折り曲げている人物像のです。
死んだ戦士を象徴していて、神へいけにえなどの供物を運ぶ存在と考えられています。
チャックモール像の上で人身御供の儀式がおこなわれたり、チャックモールのもつ皿の上に取り出された心臓が置かれたといわています。
チャック・モールと呼ばれる坐像ですが、かぶっている頭飾りは、先述のトルテカ様式だそうです。
この坐像の後ろに建つ2本の柱は、ケツァルコアトル ( 羽のある蛇 ) をモチーフにしており、王権の象徴とされています。
この為、この戦士の神殿は、先のトゥーラにあるトラティスカルパンテクトリ神殿との強い類似性から、トルテカ覇権の象徴と考えられているようです。
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こんな像です。
この廻りには千本柱と言われる多数の柱が見られます。
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この部分かつては屋根で覆われていたそうです。
ガイドのオカさんによると実際は千本も柱が無いそうです。
現在残っている本数は225本だそうです。
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この柱の並ぶあたりを廻りこんでいくと、ピラミッドの裏側に出ます。
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少し見難いかもしれませんが、この裏側の部分は補修がされていません。
予算が無かった訳でなく元々の部分を半分オリジナルとして残すことで、修復がオリジナルに近いということを証明する意味合いが込められているそうです。
修復された時期は1927~1933年。
アメリカのカーネギー財団が中心となって修復が行われました。
半分だけ修復をする事で、オリジナルとの比較が出来るように配慮しているようです。
さらに奥へと進んで行くことにします。
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