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再建された和歌山城。
天守からの景色です。
廻りには、あまり高い建物が無いようです。
小高い峰の上に築城されていますので、かなり遠くまで見渡せます。
北側に流れる紀の川を、天然の濠に取り込むように建設されています。
こんな古い配置図が、ありました。
和歌山御城内惣御絵図 とあります。
1800年頃に作成され、建て替えの度ごとに貼り足していったものだそうです。
現在測量されたものと、ほぼ一致しています。
なかなかの測量技術だったようです。
これが、パンフレットにある城内の配置図です。
和歌山御城内惣御絵図を見て書いてませんか、ぐらいの感じです。
多少のディフォルメはあるのでしょうが、ほぼ同じ絵に見えました。
甲冑も並んでいました。
ですがこれは、徳川家のものではないようです。
他にも陣羽織や、鉄砲なども展示されていました。
岐阜城の時も思いましたが、こういった感じにしてしまうと、
城内にいる感じを受けない気がします。
躯体の構造は仕方ありませんが、もう少しお城らしく造れなかったのでしょうか。
仕方ないのかもしれませんが、姫路城や彦根城とは大きく違います。
出口付近には、立派な屏風絵がありました。
虎が描かれ、金箔が貼られた立派なものです。
紀州徳川家のものでしょうか。
吉宗は江戸城へ入城する際に、この地から色々なものを持ち出しているのでしょう。
そう考えると、あまりめぼしいものは残されていないのかもしれません。
その横に、石積みの階段がありました。
床下の部分ですので、焼けなかったのでしょうか。
時代を感じる階段です。
今は通ることが、できなくなっていました。
ひと廻りしてきました。
和歌山らしく、庭には梅の木が見えます。
上ってみて感じたのですが、よく考えられた場所に建てられています。
当然地形にも手は入っているのでしょうが、街を統治するには一番の場所です。
和歌山市内が一望できる、最高の立地のようでした。
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