20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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ベトナム人の事情

2013年11月17日 | Weblog

          

          

 最後のハノイ旅行記です。

 ハノイという街は、それほど広くはありませんが、とにかくオートバイやクラクションを猛烈に鳴らして走り去る車の洪水にはまず驚愕します。

 まるでラッシュ時には、蜂の大群が唸り声をあげながら直進してくるような怖さを感じます。

 

 旅行社に、到着した翌日には現地の人に案内してほしい旨、予約しておりました。

 その案内のベトナム人の男性が、日本語がぺらぺらで、ベトナムの歴史なども年数ひとつ間違えず、記憶しています。

 おまけに実直で飾らず、なんでも話してくれます。

 そんなところが夫も私もとても気に入り、見たい場所のリストを渡し、翌日からも個人的に、彼にガイドをお願いすることにしました。

 ランチもご一緒して、数日間、いろいろなお話を聞かせていただきました。

 それがハノイ旅行を、とても深く豊かなものにしてくれました。

 

 今日は、その彼から聞いた今どきのハノイ事情について書いてみたいと思います。

 ベトナムには、高齢者になったときの日本の「年金」のようなものがまったくないそうです。

 ですから高齢になった人たちは、子どもたちを頼って生きていくしか方法がないのだそうです。

 実際、彼のところもご両親を呼び寄せていると話していました。

 もうひとつのベトナム事情は、結婚と出産です。ベトナム人は、老後のこともふくめ子どもがいないということは、大きな不安材料のようです。

 ひとつは、前述の老後の暮らし。そしてもうひとつが、死んだあとの自分の身の処理です。

 ベトナムでは死後、二度のお葬式があるそうです。

 一度は死んで土葬にするお葬式。それから数年したら、再びお墓を掘り起こし、子どもたちが遺骨をきれいに洗う儀式。

 それをしないで、土葬のままだと地獄行きだと信じられています。きれいに洗ってもらってはじめて、天国へいけるとか・・。

 そうしたことをいまも信じています。

 ですから結婚して子どもを産まないということは、自分たちの死後にまで影響を及ぼすので,彼らは必死です。

 彼自身も「結婚して数年経ちますが、子どもがまだできないので心配しています」と。

 なので、「出来ちゃった婚」が圧倒的に多いそうです。

 また中国と国境でつながっているので、ベトナム人の女性が中国人と結婚することもままあるそうです。

 中国は一人っ子政策なので、男女産み分けをして男の子を産みたがるのだそうです。

 その結果、女性の数が圧倒的に少なくなり、男性3人に奥さんひとりなどという状況が起きているのだそうです。

 

 それからいちばん大変なのが、失業率の高さ。

 旧市街などをウインドウショッピングしながら歩いていると、昼間から男の人たちがあちこちで車座になってタバコを吸いながらジャスミンティーを飲んでいます。

 仕事がないのだそうです。

 ですから貧富の差も大きいです。

 ベトナム雑貨が注目されていますが、近年は中国産のチープなものがどんどん入ってきて、旧市街の雑貨の80%は中国産だそうです。

 大学卒の平均収入が1万5千円だとか。

 ですからお野菜なども中国産が安いのでそちらに流れてしまい、挙げの果てが病気になってしまうらしいです。

  病院も大行列でした。保険制度はあるらしいですが、きちんとした医療を受けるためには、保険ではだめなのだそうです。

 

 タクシーで市内を回っていると、何度も目にするのが、ゆったりとした敷地に建っている高級住宅街。

「ここの住民はどういう人ですか?」

 聞いてみたら、政府高官や公務員だそうです。

 

 また、帰国の空港で見たのは、足の踏み場もないくらい溢れかえった日本への出稼ぎの若者たちの数でした。

 狭い空港が、見送りの家族たちとその出稼ぎに出かける本人たちで賑わっていて、すごい熱気です。

 ベトナムから日本へは深夜便が多いので、結局ゲートを通されたのは深夜12時近くになっていました。

 深夜便は毎晩、成田行き、名古屋行き、大阪行き、福岡行きと、4つの飛行機がほぼ同時間に飛び立ち、いつも満席だそうです。いずれも日本着は早朝です。

 

 ハノイにいくまでは、ベトナムという言葉からイメージするのは、まずはベトナム戦争。そしてかわいくてチープなベトナム雑貨。それからフランス占領下に建てられたステキな建物やフランス料理・・・。

 今回ベトナムに行って、もともとミーハーではありますが、そうした表層しか見ていなかった自分が恥ずかしくなりました。

 実際のベトナムのあれこれを知ることが出来たのが、もしかしたら今回の旅行のいちばんの収穫だったかもしれません。

 土地を知ることは人間を知ることだと、しみじみ思わされた旅でした。

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