20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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7月のロスコ

2018年07月10日 | Weblog

          

 7月のロスコのカレンダーです。

 

 今日は午後から、仲良しの編集者の方と「茅場町」で待ち合わせをして、日本ペンクラブへ。

          

 日本ペンクラブ「子どもの本委員会」の委員長・ドリアン助川さんの『線量計と奥の細道』(幻戯書房)。

 3月に、日本ペンクラブ「子どもの本委員会」で行ったフォーラムの時、ドリアンさんが、このご本の一部を語ってくださいました。

 泣けました。

 本当に、ドリアンさんって、思いが熱く、深い人です。

 そうか、『わたしの空と五・七・五』を書かれた森埜さんが住んでいらっしゃる草加は、芭蕉が通った町だったんだ。

 親戚のある、郡山も・・・。

 芭蕉の句と、ドリアンさんの、3・11へ向き合う眼差しが重なります。

 すばらしい作品でした。

 ぜひ、皆さん、お読みになってください。

 

                             

 また、「子どもの本委員会」担当の、日本ペンクラブ常務理事の、野上瞭さんが、巻末解説を書いてあるいらっしゃる『手塚マンガで憲法九条を読む』(子どもの未来社)も、すごかったです。

 なんと、野上さんは小学館の雑誌編集者時代、手塚治虫の担当で、亡くなるまでお付き合いがあったそうです。

 9条の会の小森陽一さんが、漫画ひとつ一つに、解説を書いています。

 未読の手塚マンガが、たくさんありました。

 

 私は学生時代、『COM』で手塚治虫の「火の鳥」や、永島慎二の「漫画家残酷物語」などを愛読していました。

 また、当時『ガロ』の、白土三平にも痺れていました。

 当時は、『COM』も『ガロ』も、私のバイブルでした。

 全巻、持っていましたが、いつの間にか、どこかへいってしまいました。

 

 その、野上さんに教えていただいた、出版されたばかりの、四方田犬彦+中条省平の『1968【3】漫画』(筑摩選書)を読んでいたら、

 四方田犬彦が、こう書いていました。この1968年以降、数年は、

「文化が政治的たらざるを得ない状況が存在していたのだ」と。

 巻末の鶴見俊輔の『ガロ』の世界」では、白土三平の「カムイ伝」について、

「ここには、たやすくは転回の方法のない現代の状況に対して、自己欺瞞なくこれと対決する姿勢がみられる。吉本隆明の詩論と白土三平の漫画、それらの発表舞台となる『試行』と『ガロ』とは、大学生に現代の総合雑誌によって与えられることのない本格的な精神の糧を与える」と。

 まさに、あの時代、白土三平の「カムイ伝」で、権力と闘う民衆の姿に胸をうたれ、その歴史観に、この雑誌が私のバイブルになっていた、その、所以を解明してくれたような文章でした。

 

 それにしても、あの時代の、なんと、エロティックで、時代を見つめる眼差しの鋭いこと!

 のちに、明治学院大学の先生をしていた四方田犬彦は、漫画論というより、私の中では、当時、東京という町が変貌しつつある中で、月島の四軒長屋に住んでいて、都市論として描いた『月島物語』(集英社)の世界に惹かれていきました。

 すでに政治の時代から、世の中は、銀座と目と鼻の先なのに、取り残された、これから拡大するであろう格差の見える町、月島に興味を抱いた四方田犬彦の感受性に、ただただ驚いたものです。

 そして今、こうして漫画論を読むと、野上さんも、ドリアンさんも、「時代」と向き合って生きている人たちの、アンテナの貼り巡らせ方の鋭さに驚くばかりです。

コメント
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