20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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このところ考えていること。

2024年12月05日 | Weblog
             


年なのか、近頃は、長編を書く気分になりません。
でも、30枚くらいの作品などは書いていますが、やはり書くことは、格闘であり、高揚感が湧き出ることでもあります。

来年には、30枚と5枚のアンソロジーが出版されます。
本を読むのは、やっぱり大好き。
本を読むという行為は、自分なりに、時代の空気感を自分では書いてはいなくても、きちんと捉え、自分の中で深めていきたいという思いがあるからです。

自分自身が書くということについては、今を生きる子どもたちの気持ちに、どれほど寄り添えたものが、今の年齢の私に書けるか。
そんな不安がふと、押し寄せてきて、怖いのです。

ディテールで表現される時代の空気感。
それをどれだけ、皮膚感覚で掴み取れているか。
そして、今の子ども読者にどれほど共感してもらえるかという点です。

1980年代後半、『都市の感受性』(川本三郎・筑摩書房)は、私に、その時代の、感受性をしっかりとつかまえ、学ばせてくれた一冊でした。

小説の村上春樹、映画の森田芳光、演劇の野田秀樹、マンガの大友克洋・・・彼ら若い作家たちの作品に浮上してきたものに共通するのは、「都市の感受性」とでも呼ぶべき新しい感覚なのではないか。
従来の「主体性」の神話や「リアリズム」の信仰が崩れたあとにくる浮遊的な人間像を論じ、「現代」について考える。

と、記されていましたが、あの時代の、先端を行った感受性の数々の分析。それは見事で、同時代人だった私にとって、その本は片時も離せない、「座右の書」でした。

だから今でも「ただ思いついたアイディアで書けばいい」という感覚になれないのです。
書くからには、やはり時代の空気をちゃんと背負いたいと。
文体でも、自分らしさを出したいと。
そう思うと、尚更、書けない(笑)。困ったものです。

学校や塾などの教材の2次使用には、ずいぶん昔の作品をたくさん、かなり長く使っていただいていますが、でも、中には絶版になっている本もあります。
絶版の本が2次使用というのも、なんだか不思議ですが、よく見つけてくださるものです。

そして進学塾の一冊の小冊子になっている、長編のYAなど、とてもよくまとめてあります。というか、切り取るところが、お上手です。
夫が先日も、届いた小冊子を、ソファの上に置いておいたら、それを読んで、
「なかなかいい作品だね」と。
ぷっと吹き出しました。
「一応、8刷は、いってるけどね」と。

多くは、受験問題や、塾の問題集です。
数人の大人の本の作家や、児童文学の作家たちで書いたものがあったり、様々ですが、改めて、自分の作品を読み返してみたりしています。

そして、改めて、古い作品を、よくみつけてくださってありがとうという気持ちになります。

作家デビューして、かれこれ50年弱。
その年数分、私個人としての単行本だけではなく、山のように、アンソロジーの本も書いています。

そこからも、よくいろいろ見つけてくださって、二次使用に、たくさん使ってくださるのですから、作家冥利に尽きます。


           


古田さんが、ご存命の頃、古田足日さんに誘われて、評論家の人たちとご一緒に『子どもと本の明日・魅力ある児童文学を探る』(代表編集・古田足日・新日本出版社)という本を出しました。
その本に、書籍では初めて、評論を書いています。

畑違いなのに、古田さんに励まされ、本をたくさん読み、深く研究しながら書いた評論です。
「おもしろさとはなにか?」というタイトルで、それなりに長い章のページを担当させていただきました。
「評論を書く」、とてもいい経験になりました。
それは批評眼にもつながる、発見もありました。

よく「その本、好き、嫌い」と、印象的な好きか嫌いかで、本を評する人がいますが、私は、古田さんに鍛えられたおかげか、「好き、嫌い」で本を評価したくありません。どんなに軽く言う時でも、きちんとした批評眼を身につけたいと思います。

でも近頃、私は書き手のくせに、長い児童書を書く気になれないのに、そのことに、まったく「不安」や「焦り」を感じません。

もう長編は、若い書き手にお任せ、という気分です。

今は、自分サイズの「こだわり」を描きたいと思っています。
時代の空気をちゃんと背負っている「今の問題」。

そんなふうに、気になった目線から切り取った日々の暮らしなどについて、ちょっと洒落たエッセイや、問題意識を、章を立てて書きたいなと思ったり・・・。

エッセイは、その昔、『超高層マンション、暮らしてみれば』(講談社)を書いています。
あの時は、力のあるベテラン編集者の方が、私が書いていくそばから、章立てをして、テーマをまとめ、あっという間に一冊の本にしてくださいました。
うちにいらして、いくつかの小皿に作ったお料理をつまんで、ワインを飲みながら。

すごいなあと、彼女の編集者としての才能を横目で見ながら、自分は、ただ思いついたことを、パソコンに打ち付けていました。

その時の経験があるので、まとめ方の手法など、今という時代を見据え、本屋さんへ行っては、研究しています。

先日、本屋さんで、とても参考になる新書を見つけました。
ここでは書名は書けませんが。(秘密の自分への課題なので)
児童書の本読みの合間に、付箋を貼りながら読んでいます。

それを細々と、パソコンにメモにしたり、調べたりする時間が、今は書く楽しみです。
完成はいつになるかわかりません(笑)。
自分でも焦って書き上げようとは思っていません。
楽しみながら、大切に綴っていければ、くらいの気持ちです。

そういう「自分サイズの書くテーマ」に集中して、まさに自分らしく書いていきたい世界や、手法を見つけていく。
読者を意識したとき、どんな切り口になら読んでもらえるか・・・などなど。

おとな対象と、子ども対象。
同じようなテーマを、あえて二つ、書くことも考えています。

今はまだ忙しいし、まだ仕事もいろいろあるので、もうちょっと先かな?
でもそんなことを考えるのが、楽しい。
   
            
             

話は、変わりますが、しばらく前に、畳も障子も新しくなって業者さんが運んでくれました。和室に入るのが、いい気分。

和室には、畳をウエットティッシュで拭く時以外、滅多に入りませんが・・・。

でも新しい畳の匂いって、不思議な感じです。
子どもの頃は、ちょっと嫌だったのに。
大人になったら、新しい和紙の障子紙を通して、流れてくる柔らかな日差しと共に、心がふくふくする感じです。
それは大人の感受性。
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