20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

『飛ぶ教室』(2009秋・光村図書)

2009年11月10日 | Weblog
『飛ぶ教室』の19号が発売中です。
 今号は「おいしい童話がずらり」のとおり、「食べる」を主題にした童話がずらりと並んでいます。
 
 執筆者は、安東みきえ、那須田淳、長崎夏海、野中柊、蜂飼耳、椰月美智子、吉田篤弘、ひこ田中の各氏。
 
 特に、角野栄子さんと二宮由紀子さんの対談「主人公とともに心おどらせて」はお薦め。
 創作の内側がおふたりから語られていて、なるほどとすごくおもしく読みました。
 それにしても、角野栄子さんと二宮由紀子さん。なんて魅力的なお二人でしょう。
 二宮さん(作家・川島誠さんの奥さま)にはお目にかかったことがありませんが、文面からチャーミングな方だということが立ち上がってきます。
 お二人とも、その感性や物を見つめる眼差しが、とっても豊かで柔らかいです。
 そのしなやかさが、子どもたちに支持される作品作りに繋がっていくわけですね。

 この秋の19号では、私は執筆しておりません。
 秋の19号の「児童書」書評担当は野中柊さん。
 冬の20号の「児童書」書評に向けて、私はいま、たくさんの国内外の「児童書」と格闘中です。
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『朝霧の立つ川』(高橋秀雄・岩崎書店)

2009年11月09日 | Weblog
 昔からの作家の友人、高橋秀雄さんの新刊です。
 作品の舞台は昭和三十年代。
 貧しさのなか、けなげに弟たちを守り、友だちとの関係のなかで自分を見つめていく「ミチエ」という少女の物語です。
 それにしても感心してしまうのが、あの時代のラジオ、テレビ、漫画、遊びなどの娯楽を実に鮮やかに覚えていらっしゃることです。
(リリアンなんて言葉、何十年ぶりに聞いたでしょう。秀雄さんの脳裏には女の子の遊びまでもがくっきり残っていたのですね)
 そんな時代、どっぷりと貧しさに身をゆだね生きているミチエの気持ちが切なくなるほどに描写されています。
 また貧しかったころの、子どもたちのすがたや風景を、画家、小林豊さんの絵が見事に表現していらっしゃいます。
 
 ケストナーがこんな言葉を残しています。
「すぐれた児童文学者は、どれだけ自分自身の子ども時代を忘れないでいるか・・・」
 まさに高橋秀雄さんは作家として、そのディテールに至るまで「子ども時代」を鮮やかに覚えている、すぐれた児童文学者中の児童文学者と言えるでしょう。
 
 驚いたのがこのシーンです。
「福俵さまが通るころ」で「福俵さま」にいくらお賽銭を渡すかで見栄をはりあっている人びとを尻目に、「佐平さん」が立ち向かっていくシーン。
 高橋秀雄は容赦なく、「佐平」さんを通して「福俵さま」なるものの化けの皮を剥がしていきます。
 これでもか、これでもかといった具合に、一瞬のゆらぎも見せずに。
 読みながら「佐平さん、こんなことして、バチがあたらないかしら」と心配しつつ、爽快感を抱いている自分がいました。
 ここまで書き切ってしまう高橋秀雄という作家を、ほんとうにすごいと思いました。
 皆さま、どうぞお読みになってください。
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ポインセチア

2009年11月08日 | Weblog
 11月の町は、そろそろクリスマスモードです。
 
 クリスマス好きな私が、ツリーを飾る前のしばしのお楽しみがこのポインセチア。
 今年もお店で見つけて買ってきました。
 年末が近づき気持ちは急いているというのに、クリスマスが近づくとなぜかそわそわしてきます。
  
 先日も、別々の友人たちと電話やメールであれこれ相談し、12月のクリスマスランチの予約を二つ入れたところです。
 そしてにやにやしながらひと月も前から、カレンダーに印をつけています。
 
 クリスマスランチにうつつを抜かしているだけではなく、仕事も年内にもうひとがんばりしなくてはいけないのですが、一日があっという間に過ぎていきます。
 日が暮れ落ちるのが早いように・・・。
 なんでこんなに、一日が過ぎるのが早いのでしょう。
 
 夫は今週も単身赴任先ステイ。大きな会議の準備に追われているようです。
 でも日曜日。今日一日はひと息ついているでしょう。
 私もがんばらねば。
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『命をつなぐ250キロメートル』(今関信子・童心社)

2009年11月07日 | Weblog
 古くからの作家の友人、今関信子さんの新刊です。
 今関さんは滋賀県の守山市にお住まいになっています。
 そこにある児童擁護施設「湘南学園」に彼女は、もう20年以上作家の立場からのボランティアとして通い詰めていらっしゃるそうです。
 そこでの子どもたちとの関わり合いの中で生まれたのが『小犬の裁判はじめます』(童心社)や『七日間のウオーキング・ラリー』(童心社)などです。
 そして今回、その3冊目としてこの本が出版されました。
 この物語は、「抱きしめてBIWAKO」運動を取り組む児童養護施設の子どもたちの姿とそこで働く人たちの姿が描かれています。まるでドキュメンタリー映画のような迫力で。
 基軸となっているのは、両親の離婚と父の死によって分断された姉妹の妹が、この「抱きしめてBIWAKO」への取り組みの中で悲しみを乗り越えていく姿です。

 日ごろから今関信子さんという作家は、何事にも誠実に体当たりでぶつかっていかれる作家です。
 ご自分の内側から突き上がってきた「生きる」ことへの問いかけ、問題意識に、常に目をそらすことなく作品を生み出してこられた方です。
 この『命をつなぐ250キロメートル』も、実際にあった出来事をベースに、そこから物語を構築されていっています。
 実践の重さと、今関さんの思いの熱さが、作品のすみずみまで貫かれています。そこには、生きるとは?仲間とは?育つとは?の問いかけが、確かな言葉で綴られています。

「目も見えない、耳もきこえない、食べることも、息をすることも自分ではできない子がいる。なんのために生きとるんや。こんな子にお金かけて命守って、ほんまにええことしとるんかって、思ったんやな。けど、この考えは恐ろしいねんで。一番障害の重い子を、殺したとする。そしたら、次に障害の重い子が、目障りになるねんで。その子を殺したとする。そしたら次の子や。次つぎにいる命と、いらん命をわけていくんや。そして自分もいらん命になるんや。いるとかいらんとか、命の線引きをしてはならんのや。学園の子を大切にするんは、自分を守るためにやってる思っとる。ぼくがいらん人間と言われないために・・・。力いっぱいやっとる、って」

 ひとつひとつの言葉の力に圧倒されます。
 励まされます。
 皆さま、どうぞお読みになってください。
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『アンネ・フランク』(ポプラポケット文庫)

2009年11月06日 | Weblog
 既刊の伝記『アンネ・フランク』(加藤純子・ポプラ社)が文庫になり(ポプラポケット文庫)本日発売です。
 うしろからも読める「ものしりガイドつき」です。
 
 この伝記のシリーズはとても人気があり、たくさんの子どもたちに読まれています。
 ありがたいことにすでに20刷くらいになっていて(詳しい刷数はわかりませんが)すでに10年以上毎年増刷を続けております。
 旅先で覗いた、町のどんな小さな書店にも並べていただいてあり、ほんとうにうれしくなります。
 
 ハードブックの方も今まで通り、発売されています。
 伝記にご興味のある方は、すでに発売されている『ベートーベン』(加藤純子・ポプラ社)、文庫版『ベートーベン』(ポプラポケット文庫)ともども、書店でご覧になって下さい。
 ハード、文庫が一緒に並べて書棚におかれているお店もあるようです。
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実葛(さねかずら)

2009年11月05日 | Weblog
ー今年もさねかずらが実りました。やはり純子さんが思い出されましたー
 
 こんなお手紙が添えられて、赤い実好きの私のために、今年も研究会のお仲間であるFさんから「実葛」と「アケビ」が送られてきました。
 箱を開けた瞬間、目に飛び込んできた赤い実と蔓とうすむらさき色のアケビの美しいことと言ったら!
 
 秋にしては冬のように空気の冷たかった昨日。
 朝の日差しを浴びながら胸がほこほこしていくのがわかりました。
 それにしてもなんで私はこんなに赤い実や蔓が好きなのか、自分でも未だわかりません。
 やはりふるさとの野山の原風景が、いまも胸の奥底に眠っているからでしょうか。
   

 今日は夕方から、11月21日(土)に、神楽坂の出版クラブで行われる「子ども創作コンクール」の授賞式の打ち合わせのため、市ヶ谷のくもん出版にお邪魔します。
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『ゆうびんやぎさん』(杉元美沙希作・とりごえまり絵)くもん出版

2009年11月04日 | Weblog
 昨年度の「子ども創作コンクール」の受賞者、杉元美沙希さんの作品が絵本になりました。
 受賞した昨年、杉元美沙希ちゃんは小学五年生でした。

 お話は、森のゆうびんやさんであるやぎさんが、いつものようにお手紙やらお荷物やらを配達していると突然雨に降られてしまいます。
 雨宿りをしていたやぎさんが気づくと、宛先の文字が雨に滲んで読めなくなっています。
 さあ大変。
 雨上がりの森の暗さや、どこへ配達したらいいのかわからない、やぎさんの不安がとてもよく表されています。
 そして最後は・・・。
 ほっと癒される結末です。
 皆さん、どうぞお読みになってみてください。

 小学生がこんなふうに、読みやすくておもしろく、それでいて森の動物たちの関係を考えさせられる作品を書いています。
 子どもたちの書く力ってすごいです。
 このくもん出版の「子ども創作コンクール」から生まれた絵本は今年で9冊目。
 どの絵本もオリジナリティがあって、とてもおもしろいです。
 そして大人の画家たちが、子どもたちの作品に渾身の力を込めて、すばらしい絵を描いてくださっています。
 
 今年は「子ども創作コンクール」10周年。
 当時小学生で、第二回に受賞して絵本になった少女は、すでに大学生になりました。
 コンクールの積み重ねのなかで、子どもたちは表現することを学び、そして大きくなっていきます。
 第二回の受賞者のNさんが「もう大学生になりました」なんてお話を聞くと、選考している私たちはほんとうにわくわくした気持ちになります。
 あの子はいま、どんなティーンネイジャーになっているのかしら?あの子は・・・?
 そんなあれこれに思いを巡らせ、楽しい想像を膨らませながら。
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河井寛次郎記念館

2009年11月03日 | Weblog
 旅ネタの最終回です。

 写真は京都・東山にある河井寛次郎記念館の内部写真です。
 せっかく京都を通るのだからと、奈良の帰りに京都駅で下車し、タクシーで東山にある河井寛次郎記念館だけをみてきました。
 以前にも行ったことがありますが、この河井寛次郎記念館、「京都」と聞くといてもたってもいられなくなる場所です。
 路地に佇む民家で、ひとりでいったらぜったい見つけられないようなところにあります。
 京都の香りを嗅いだとたん、ふいに寛次郎の暮らしの豊かさを感じたくなりタクシーに飛び乗ったというわけです。

 ご存知、河井寛次郎は、陶芸家としてだけではなく、美術研究家の柳宗悦や陶芸家の浜田庄司らと「日本民藝」に大きな影響を与えた人です。
 民藝とは民衆的工藝の略です。
 民衆の暮らしの美の普及。新しい生活工藝を目指すこの運動には、他に芹沢畦介や棟方志功などがいます。
 駒場の東大教養学部の近くにある「日本文藝館」がその建物です。

 とにかく、この場所に立つと空気が違います。
 手作りの木のぬくもりのある椅子や、さまざまな生活道具や寛次郎の焼き物。
 そのどれもが美しく異彩を放っています。
 こんな美意識にこだわりながら生きていた、あの時代の寛次郎たちの精神の豊かさを感じます。

「新しい自分が見たいのだ・・・仕事する」
 寛次郎の言葉です。
 つかの間の京都でしたが、すばらしい言葉をもらって帰路につきました。
 
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朱の回廊

2009年11月02日 | Weblog
 東京にかえってきました。
  
 写真は春日大社の回廊です。
 朱の柱と石灯籠のたたずまいがなんとも美しく、一瞬まるでファンタジーの世界に迷い込んでしまったような気分になりました。

 春日大社のあたりはすでに紅葉が始まっていて、真っ赤のな木の葉が秋の空にまぶしくひかっていました。
 石灯籠との対比ではなく、凝った技巧で作られた灯籠との対比の回廊の場所もすてきでした。
 
 この柱の朱色は、「結界」を意味しているらしいです。
 結界なる言葉を知ったのは、十年ほど前、小学館漫画賞を受賞した高橋留美子の漫画『犬夜叉』です。
『犬夜叉』には、いま児童文庫シリーズで展開されているファンタジーの原型ともいえる手法やアイテムが満載されています。
 エンターテインメントファンタジーのキャラクターや展開の方法を学ぶにはベストテキストだと私は思っています。
 
 さて、話が逸れてしまいました。
 結界です。
 ゲームマニアの方なら言わずとしれた言葉です。
 結界とは、聖なる領域と俗なる領域を区分けするためにバリアを張ることです。
 ではそのバリア、すなわち結界がなぜ朱色なのか・・・。
 朱というのは、どうやら命の色すなわち血の色で、死とは対極の位置にあるものなのだそうです。
 ですから死霊を封じるために、この朱を用いるとか。
 日本・韓国・台湾などの神社仏閣で見かける、この朱色がそんな意味を持っていたなんて驚きです。
 古来からの美意識というのは意味が深く、東アジアあたりを舞台にしたファンタジーの世界を考えている人にとっては魅力的な素材になりそうです。
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鹿男あをによし

2009年11月01日 | Weblog
 奈良公園の興福寺に帰山した阿修羅立像をみてきました。
 なんと、拝観を待つこと一時間半。
 それでもお堂で目の当たりにした阿修羅は気高く、なんとも美しかったです。
 憂いを秘めたまなざしは、どの仏像にも今までみることのなかった斬新なやわらかさに満ちあふれていました。こうして衆人の心を虜にするのがわかる気がしました。
 東京の国立博物館ではみそびれてしまいましたが、会えてよかった!

 それにしても奈良公園には、「神のつかい」とされている鹿・鹿・鹿と、鹿があらゆるところを闊歩しています。
 おちゃめな鹿の目を見ながら思い出すのは、やはり万城目学の『鹿男あをによし』(幻冬舎)です。
 そんなわけで、鹿にやけにシンパシーを感じながら、彼らに、鹿せんべいではなく笑顔のプレゼントをしてきました。
 神のつかいと言えども、舐められるのは気持ち悪いので。

 写真は興福寺の五重塔。
 これもテレビ版『鹿男あをしよし』ではおなじみの風景です。 
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