20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

新刊のご紹介

2010年01月21日 | Weblog
 ご恵贈いただいている新刊数冊を、まとめてご紹介いたします。

  
『ゴースト・ファイル#02風の向こう』(工藤純子・フォア文庫)
 ご存知、工藤純子さんのフォア文庫『ゴースト・ファイル』シリーズの第二巻です。
 ゴーストの謎に迫るシリーズ第二弾、今回のゴーストははたしてなんでしょう。
 このシリーズで注目したいのは、ゴーストの謎と共に繰り広げられる子どもたちの関係性です。
 勇斗は病院の屋上で、入院患者である理沙と仲よしになります。
 この理沙にむける勇斗の、いわば命をかけた友情。
 そして巧との関係。
 こういう子どもたちの関係性をきちんと捉える工藤純子の人間を描こうとする姿勢に、とても共感しました。
 この子たちのこういった本気のつながりあいと、ゴーストという危うさ。
 今後もシリーズで、そこをぜひ追求し続けてほしいと思いました。

 
『ひげなしねこ』(季巳明代・キンダーメルヘン2月号)
 季巳さんとお知り合いになれたのは、数年前福井県の勝山市で行われた「恐竜児童文学賞」の授賞式でした。
 ご主人といらしていた季巳さんをご紹介して下さったのは、今は亡き作家・木暮正夫さんです。
 その季巳さんのご本、『ひげなしねこ』、
 いやはや、実に思いきりのいい作品です。
 ひげなしねこも、へびも、キャラクターが立っています。
 強くて、たくましくて、それでいてほんとうは切なくて・・・。
 物語の醍醐味が、ここには詰まっています。
 絵もダイナミックで、とてもいいです。
 へたれたヘビの顔がサイコーです。

 
『甘党仙人』(濱野京子・理論社)
 ご存知、濱野京子さんの新刊です。
 YAを立て続けに出版していらっしゃる彼女にとっては、珍しく中学年向けの作品です。
 おまけに主人公が男の子。
 中国通の濱野さんらしい「知識」が折々に挟まれている楽しい物語です。
 また、友だちの翔の中国人のおじいちゃんのキャラクターがなかなかおもしろいです。
 修業中の仙人であり、甘いものに目がない。
 ラストおじいちゃんに導かれボールの向こうに陸が見たものは・・・?
 子ども同士の関係性も中学年向けらしく、とてもわかりやすく書かれています。
 余談ですがバレンタインデーにプレゼントとしてもらったのが「ロイズのチョコレート」というのが、不思議な物語の中で現実感があっておもしろかったです。

 まだまだご紹介できていないご本が数冊ありますが、おいおい、ということで・・・。
 皆さま、どうぞお読みになってください。
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『トゥルー・ビリーヴァー』(バージニア・ユウワー・ウルフ作・小学館)

2010年01月20日 | Weblog
 今夜は仲間うちの研究会「Be- 子どもと本」の例会です。
 今月のテキストは、ヴァージニア・ユウワー・ウルフの『トゥルー・ヴィリーヴァー』。
 
 この作品は、傑作『レモネードを作ろう』(徳間書店)の、いわば続編ともいえる作品です。
『レモネードを作ろう』は、生きにくい暮らしや、性の問題、貧困。
 そういった現代アメリカの病巣を、ウルフ特有の詩のような文体で、少女の視点から「いかに生きるか」を繊細に描いた衝撃的な作品でした。
 1999年に発売になったこの作品は、宇野常寛流にいえば、まさに「ゼロ年代の決断主義のコミュニティ」をその年代に先駆け、見事に捉えた作品といえるでしょう。
 翻訳児童文学では私の「お薦め」の何本指かに入る作品です。
 
 そして、この続編。
 物語を作り出す、あるいは生み出す、その動機の深さと作品はどう関係してくるのか。
 そんなことを考えながら、私はこの『トゥルー・ヴィリーヴァー』を読みました。
 さて、Beではどのような判定が・・・?
 
 今日は寒さが温み、この季節にしては過ごしやすそうな夜になりそうです。
 
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お仏壇あれこれ

2010年01月19日 | Weblog
 夏からお仏壇を我が家でお守りしているのですが、それまでいかに自分が無知だったかをいろいろ思い知らされています。
 
 私の実家は秩父神社の神道ですが、神棚の他にお仏壇もあります。
 お仏壇とは言わず「霊神さま」と呼んでいましたが。

「宗教は民衆の阿片である」などと、カール・マルクスのことばを嘯くようなリベラリストだった私の父は、宗教にはほとんど興味をしめさない人でした。
 ですから神と仏の違いもわからない子ども時代を送った私には、そもそもお線香をあげるという習慣がありませんでした。
 その私が、単身赴任中の夫にかわり、お仏壇を任されたのです。
 はじめはとまどうことばかりでした。
 まずは朝、お水をお供えしお線香をあげます。
 夕方は炊きたてのご飯をお供えし、お線香をあげます。
 寝る前はお供えしたものをさげ、今日一日を感謝してまたお線香をあげます。
 私ひとりでも、毎日かなりの本数のお線香をあげているわけです。
 
 お仏壇が来て、二週間くらい経ったときだったでしょうか。
 ある日お線香立ての香炉に、お線香が立てにくくなっていることに気づきました。
「これはおかしい!」と、すぐに仏具屋さんに駆け込み、「お線香がちゃんと立つ灰をください」とお願いしてみました。
 すると、仏具屋さんは、
「いまは灰ではなく、お宅の線香立ての灰も仏金砂というガラスの原料、硅砂で作った金砂になっていると思いますよ。立ちにくくなるのはお線香のカスが残っているからです。ですからこれでときどきふるいにかけてください」
 そういって渡されたのが、灰ふるい器です。
 それからは週に一度は、お線香の香炉の残りカスを灰ふるいにかけています。
 ふるいにかけたあとは、気持ちがいいくらいお線香がすっと立ちます。
 こんなこともまったく知りませんでした。

 また松の内を過ぎた先日、お寺さんから天台宗総本山「比叡山延暦寺」のお札が送られてきました。
「新年祈祷札は仏壇の中にお納めください」と。
 新しい年に総本山のお札をお仏壇に納めるということも、はじめて知りました。

 お線香をあげ、お水を供え、炊きたてのご飯をお供えし、季節の果物、お花は欠かさずと、夏から毎日お仏壇と向き合い、義父や義母や、そのまた祖先たちがあたりまえのようにやり続けてきたことを、私はこの年になってやっと覚え始めているところです。
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初春の海

2010年01月18日 | Weblog
 春の海 ひねもすのたり のたりかな
                   与謝蕪村


 用事があって、先日海の近くまで出かけてきました。
 初春の海は、まさに蕪村の俳句のように、のんびり、のたりのたりと揺蕩い、銀のさざ波がおどっていました。

 たまには海を見るのもいいものです。
 海をみていると、こころがひろく、大きくなるような気がします。
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盆略点前

2010年01月17日 | Weblog
 昔、裏千家でお茶を習っていたことがあります。
 ですから我が家にはお茶道具一式があります。
 しかし今は、それを使ってきちんとお茶を点てることはほとんどありません。
 お客さまがお見えになっても、いつも盆略点前でごまかしています。

 一昨日、日経新聞の夕刊に「抗酸化予防」のために抹茶のカテキンが効果的だと書いてありました。
 緑茶を飲んでもカテキンはとれますが、抹茶ですとさらに食物繊維や亜鉛、マンガンなどのミネラルもとれるとか。
 
 その気になりやすい私は、さっそく自分のために、お気に入りの黒楽茶碗で盆略点前で一服。
 たまには、「ひとりお薄」もいいものです。
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雑感

2010年01月16日 | Weblog
 先日、朝日新聞夕刊で、批評家の東浩紀氏がインタビューにこう答えていました。「ゼロ年代の思想・批評はスカスカだった」
 さらに彼はこうも語っています。
「思想・批評の凋落ぶりは出版不況どころじゃない。もっとずっと急速な動きだと思う」

 2001年『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)で批評家として世間をあっと言わしめた彼は、90年代後半からゼロ年代にかけての、批評の若きオピニオンリーダーでした。
 そしてゼロ年代にはもうひとり、批評の世界に台頭してきた若き批評家がいます。
『ゼロ年代の想像力』(早川書房)の宇野常寛です。
 郊外化、引きこもり、格差社会。グローバリゼーション・・・。
 そこから生まれる物語の想像力は、何を描き、語ってきたのか。
「池袋ウエストゲートパーク」「犬夜叉」「蹴りたい背中」「宮藤官九郎」「涼宮ハルヒの憂鬱」「野ブタ。をプロディーズ」「バナナフィッシュ」などなど、時代を切り拓くサブ・カルチャー批評が、ここにはてんこ盛りです。
 無論、ここには「動物化するポストモダン」批評もでてきます。
 いわば東の理論と拮抗するスタンスで。
 
 こうしたゼロ年代分析を、ここで一度きちんとやっておかないと、これだけ混迷している文学状況の中で方向性を見失ってしまいそうな気がして、暮れにアマゾンで買って読んでいました。
 読んでいて、久しぶりにぞくぞくしました。
 この膨大なサブ・カルチャー分析も見事ですが、目から鱗の分析がたくさんありました。
 特に宮台真司の「漂白された郊外論」から、いまや「宮藤官九郎の捉える郊外論」に変容しているところへ分析など見事でした。

 他にはゼロ年代を、YAとファンタジーの側面から捉えた『越境する児童文学ー世紀末からゼロ年代へー』(野上暁 長崎出版)も、一緒にアマゾンで買って読みました。

 さて、朝日新聞の夕刊にもどりましょう。東浩紀のインタビューを読んでいると、宇野常寛の爽快さをなぜか感じません。
 それは宇野常寛の視点である「決断主義」と、東浩紀の支持する混迷する「セカイ系」との違いからくるものかもしれませんが。
 次の時代を捉える困難さを、ただこちらに印象づけただけで終わっていました。鬼才な彼の「今」を捉える困惑が伝わってくるようです。
 あるいは単に、彼の頭のよさに凡庸なこちらがついていけなかっただけなのでしょうか?

『ゼロ年代の想像力』の、ひとつひとつの対象を丁寧に読み尽くしている「わかりやすさ」と、そこから導き出される方向性。
 それこそが私たち書き手にとっては、創作の方法へのひとつの手がかりになっていくような気がするのですが。
 
 
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ブラシの木

2010年01月15日 | Weblog
 近所の遊歩道にあるブラシの木。
 赤い穂先が、まるでブラシのよう・・・。
 それで「ブラシの木」と言うのでしょうか?
 通りかかるたびに、つい目がいってしまう木です。

 オーストラリアの木らしいですが、こんな赤い色のブラシがキッチンにあったら楽しいだろうなと、つい想像してしまいます。
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冬の夕日

2010年01月14日 | Weblog
 とっても寒かった昨日夕暮れの写真です。
 日本全国、すっぱりと寒波にくるまれてしまったようです。

 いままさに、冬の日が暮れようとしている瞬間。
 あたりは凍てつくような空気につつまれています。
 秋の夕日とは違い、冬の夕焼けには心なしか透明感があります。

 それでも、この夕方5時という時間。
 ついこのあいだまでは、闇に沈んでいた時間です。
 こうして日一日と昼間の時間が長くなり、少しずつ春の息吹きを感じる頃になると、冬のあいだ固くかじかんでいた体も心もやっと解き放たれていくのでしょう。
 立春ということばが待ち遠しい、このところの寒さです。
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山田昇写真展「山間(やまあい)の暮らし」

2010年01月13日 | Weblog
 しばらく前にご紹介したことのある、友人の旦那さまで高校の先生をしていらした山田昇さんの写真展が、本日から新宿の「コニカミノルタプラザ」で開かれます。
 今回のテーマは山間(やまあい)の暮らし。
 秩父の山間部は、かつて養蚕が盛んでした。
 明治のころは、そこからとれる絹をヨーロッパに輸出していたほどでした。
 けれどそんな養蚕農家も化学繊維の台頭により減少していきます。
 いま、山間を生きる養蚕農家はどのように生きているのでしょう。

 山田さんの写真には、いつも光と影が美しく混在しています。
 描写の陰影に、ふと、土門拳のリアリズムを見ることがあります。
 山間を生きる人びとを、今回はどのような手法で見せてくださるのでしょう。
 私も今日、拝見に伺います。
 新宿にいらっしゃるおついでがありましたら、ぜひ新宿高野4F、コニカミノルタプラザまで足をお運び下さいませ。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 山田昇写真展 「山間(やまあい)の暮らし」
                 秩父絹の道の今

 2010年1月13日(水)~1月22日(金)
 コニカミノルタプラザ ギャラリーA
 10:30~19:00無休・入場無料

 

 
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ヘレンドの食器

2010年01月12日 | Weblog
 ご存知、「インドの華」で有名なヘレンドの食器です。
 デパートのショーウインドウのディスプレイの写真ですが。

 私は、このヘレンドのグリーンがとても好きです。
 でも高くて自分では持っていません。
 ヘレンドのカップでお茶をするとしたら、だんぜん紅茶です。
 それも「マリアージュ」の「マルコポーロ」あたりでしょうか。
「マルコポーロ」は中国とチベットの珍しい花々とフルーツの入った、ほんのり甘く魅惑的な香りのお茶です。
 ですから「インドの華」の気品にぴったりです。
 
 と、そんなことを想像しながら,銀座松屋のショーウインドウを眺めていました。
 どうやらこのところ、松屋のショーウインドウ戦略に、まんまとノセられている私がいます。
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