わたし位の年になると今までまめに年賀状くれた人も出さなくなった人が多いのです。
気になって居ますが、また別に少し認知が掛ったりしているのではないかと勘ぐって見たりで何だか気軽に電話をかけられないのです。
でもそんなことで心配して居ても仕方がないので今日は電話を掛けてみました。
何時も携帯のつながらない彼女は相変わらず自宅の電話にも出ないのです。
次は何時も近所の友人たちのサロンになって居る彼女に電話します。
これは元気な声で電話に出てくれました。まだご家族もお休みだったりして「かた~いもんになっとるわね」と言う事だった。
そして一番気になって居た友人に思い切って電話します。
まず自宅の固定電話にします。
10回くらいのコールで出て来ました。シャガシャガの声です。彼女の声とは思えません。「私いま寝とるがや」一人暮らしの彼女は12月初めにゴミ捨てに出て滑って転んで頭を打ったそうです。その後の経過はこまごまと説明してくれる。一番ショックだったのはお互い一人暮らしの別の友人の消息です。先日お悔やみ欄に出ていた名前です。お互い励まし合いながら週一くらいに電話して居たのだそうでそのショックは大きい。
後で息子さんと連絡が取れて聞いた話だとお隣さんがいつまでも電気がつかないのを心配して息子さんに連絡をして、家に入ったらお風呂の中でこと切れていたのだそうです。
最後は夜になってやっと電話が通じたが、今日は一日病院の診察だったそうでみんなそれぞれ「何が有っても不思議ではない」状況で暮らしているようだ。
兎にも角にも同級生とは一応連絡が取れた。
ヤッパリ一年に一回「まだ生きてるよ~」と年賀状はこれからも出すことに決めた。
午後遅くになってチョコっと買い物に行ってきた。トイレロールが残り少なくなって慌ててお隣のドラッグストアーに。
15%引きクーポンででトイレロールを買ってきた。(笑)
今日の外気温は3℃でした。
年賀状は生存確認の位置づけ。
チャコも認知一歩前まで出し続けます。(笑)
おくやみ欄、次は自分かと時々思うことあります。
いつか必ず逝く道。
後悔の残らない生き方していきたいですね。
大阪に住んでる友は両親の墓参りをしたいと言ってこの5年間看病、手術を繰り返し送りました。やれやれと思ったらコロナでそれと京都に住む一人息子からも大阪から埼玉までは?心配だと言われ躊躇してる。そして自分も腰がわるいと考えてしまう。そんな話がずーと。何とかしてあげたいと思うのですがだんだん自信が無くなってます。
温かくなってどうしてもの信念で埼玉へ決めたら連絡出来る友達に連絡するから楽しみにしようよが合言葉になってます。6~7年ぐらいまえに試みたがご主人が急きょ手術でアウトになりホテルもキャンセルし集まった友と楽しみましたが、何があるかも生存してるかもわかりません。今年は最後と思い是非実現したいと思っているんです。本当に”今”を感じます。
思い切って電話してよかったと思います。
実はまだ一人どうしてもできない友がいるのですが・・・
だんだん人数は少なくなっていきますが・・・