kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

86歳の誕生日に……。

2023-06-23 11:04:35 | 算数+数学

人生のさまざまな日々のなかで誕生日というのは、やはり特別の日です。自分が子供の頃親などから祝われたり、代わって自分が親として子供の誕生日を祝うなどしてきたのですから。そんなことで今日の86歳の誕生日に普通の日には考えない特別なことを考えてみます。

 それは「生死の間隔」と言い表せるような感覚・間隔のことです。

 数日前、誕生日が近づいていると思ったら、自分の周りにある種の間隔の存在が感じられたのです、空間的間隔と時間的間隔が一体になっている間隔・感覚なのです。その感覚は自分の周りの空間に枠組みがあってその先が無い、というような感じでした。「その先」というのが空間というより時間的な感覚で、「なるほどその先が死期という時間なのか」とも受けとめられたのです。ただ現時点で一切死に繋がるような病的な兆候はありません。ありがたいことに膀胱がんも心臓の方も安心安定の方に向かっているので、その面からの心理的影響とは違う感覚です。

 その間隔はかなりの明るさを持ち輝きさえ感じるのでした、そんなことからこんなふうに喩えてみます。川はすべて海に流れ込み、川の流れに人が乗っていれば海に近くなった地点(時点)で「河口近し」を感じるでしょう。人生も川も色々ですから、流れが崖下の海へ滝となって落ちる様な人生もあります。娘の生涯はそれに近かったかとも思いますが、本流は海へ急落しましたが、分流は見事な流れとなって自分の流れをつくっています。

 彼らも我が分流であると思えることは、爺婆として嬉しいことです。そして爺婆世代の流れが地を穿ち、地形をつくり流れを方向づけていることに気づくのです。先ほど沖縄の孫息子から祝いの電話をもらいつつ、今日は「沖縄慰霊の日」であること、昼間テレビが報じた沖縄の高校生の「平和の詩」が頭に浮かんできました。彼の祖母の姿は彼の本流であったでしょう。いま、先日の結婚式の孫からおめでとうの電話、嫁さん側の祖父は腰が悪く飛行機がダメで列席できなかったとの話、私と同年輩のようですが、やはりこの歳では動きにブレーキがかかるのも当然です。

 動きの鈍さを補うものは年齢という水圧でしょう、経験とか見識とかを流れに乗せ地を穿つことも可能です。大河であればあるほど緩やかに海に向かいます、21世紀という世界史的大河は水面の激さ、逆流的流れも見せつつ、その深さと幅の大きさは揺るぎない大河の様相を擁しています。世界史的包摂の方向を模索し生みだす時代に入っている様に見えます。

 そんな時代を流れる大河の一滴、水滴の大きさは真に小さいがその内部から見れる光景は真に巨大です。先ほどの「生死の間隔」とは、この水滴の内部間隔であり「その先」とは河口を経ての大海の光景であったのでしょう。身体を自分の意志にもとづき自ら動かすのは、水滴の動きには無い人間としての動きです。

86歳「河口近し」であればこそ、目指す方向が見えることは嬉しいことです。


「戦場」 になる地

2023-05-04 20:55:46 | 算数+数学

現代でなければこういう形で次の「戦場」を戦争当事者でない者が見ることはなかったでしょう。

反攻間近か ウクライナ軍の行く手に待ち受けるもの、衛星写真で撮影

反攻間近か ウクライナ軍の行く手に待ち受けるもの、衛星写真で撮影

春の反転攻勢の準備がほぼ整ったと語るウクライナ軍は南部で攻撃を始める可能性が高い。ロシアとの戦いにおける転機になると予想される一方、ロシアは半年近くをかけて防御...

CNN.co.jp

 

ザポリージャ州バシリウカ

とは、

日本と、


白躑躅の花びらに一筋の朱は……。

2023-04-15 18:51:22 | 算数+数学

タイトルの答えは、ひげ爺さんから、

ひげ爺さんのブログはこちらです、

「ハナミズキ(花水木)」 ミズキ科  - ひげ爺さんのお散歩日記-3

「ハナミズキ(花水木)」 ミズキ科  - ひげ爺さんのお散歩日記-3

<「ハナミズキ(花水木)」ミズキ科☆4月23日の誕生花☆花言葉は…私の思いを受けてください・返礼・華やかな恋昨日は暇でした。大谷は休養日で試合に出ていないし、あると...

goo blog

 

 


“ 八月や六日九日十五日” の句を頭に天才待望論。

2023-03-12 18:56:21 | 算数+数学

従妹のR子ちゃん(以降、Rちゃん)から

「藤井聡太王将戦7番勝負初防衛(4勝2敗で)すごいです」

と、ニュースが入って来ました。

やはりそうなったか、という感じです。3対3で最終対局か……、という期待もありましたが天才+若さの持つ勢いでしょう。

さて、タイトルの俳句を感慨を持って読む若者がいたら、ある種の天才でしょう。その天才性は日本の歴史を創りつつ、世界史を新しい段階に押しだすものだと期待されます、必ず現れると思えるのです。

各大学の合格発表が、悲喜交々を生み出し、多くの天才候補も己の才能の再評価やら、新展開に心躍る思いを深めていることでしょう、パンデミックとウクライナでの戦争は、彼等彼女らに日本史世界史の21世紀をどう切り拓いていくべきかの意識性を求めています。専門学科に関わりなくすべての学ぶ者に、歴史を拓く者としての意識を当事者感覚にまで高めることが期待されます。

こんな風に「つぶやき」たくなったのは、天才藤井聡太勝利のニュースばかりでなくこの本の、

このページによります、

以前、ある御婦人の話のなかで「うちの娘は歴史が好きで、暇ができると城巡りをしています」と……。確かに歴女とかを紹介する雑誌特集があったりします、それはそれとして一種の歴史感覚です。しかし、求められる歴史感覚とは過去を踏まえた将来への方向感覚です。

小さな子どもが、空間的な方向感覚を持っていて道筋を示されて驚かされることがあります、その時間版が歴史感覚だと言い得るでしょう。自分が生まれ現時点まで生きた経緯・歴史に立って、自分の将来と社会・世界的な方向性が一体的に見える、感覚を強調した別の言い方で「嗅ぎ分ける」とも言えるのです。

その才能は全人的才能で、ある分野に秀でているという水準ではなく全方向性を持った才能ではないでしょうか。


目の運動ですが……。

2023-02-20 20:43:55 | 算数+数学

昨日の数字遊びはFacebook に出ていて知人が半分当てていたので、カエルも挑戦したのでした。四つ見つけてあとひとつひとつ確認して「これ以上無し」になったのでアップしました。

ワイコマさんには御面倒かけました、

そしたら、矢張り数字が関わってくるとR先生からラインに、

荘ちゃん、とはカエルの弟でカエルと違って理系です、その荘ちゃんも四つ見つけてきました。

昨日の正解は、

世に速読術というのがありますが、読むのではなくページごと写しとる(脳内に)のだそうです。私たちの世代での国語の授業では「サイタ サイタ サクラガ サイタ」というような調子で一字一字読んでいく方法が身についているので、ページの頭から字を追っかけて読んでいくパターンです。

ただこの529の塊を頭からひとつひとつを見ていくうちにどこを見ているのか分からなくなります。かえって全体を見ているうち慣れてくると529以外の数字が見えてくる、数字と文字ではかなり違うのかも知れませんが、この手で目を訓練させれば速読術にも通じるのかも知れません。


師走月、 四日目 そして日曜日。

2022-12-04 21:13:41 | 算数+数学

土曜日・3日の寝る時「明日は8時半に起きる」と予定に書き込んだからハッキリと記録されています。6時半ごろトイレに起きあと2時間寝れると床に戻ったのは良いのですが、iPadで竜王戦の結果を見出したら眠ろうという気持ちと見続けようという気持が混在して、結局8時近くに再眠床を抜け出したのは昼過ぎになりました。

これが日曜日の良さ!我が家では日曜日の朝食時間は、フリーなのです。ただ問題はそれが他の曜日にも広がり出していて、これはまずいと反省のためにここにつぶやいておきます。

さて「四日」を読み込んだことわざなどです、

わずか7例です、「三日」101〜114例に比べてこの差をどうみたらいいのか? と思ってしまいます。因みに「ついたち・一日」から「とうか・十日」までの例示数を示すと、

一日(朔日)=20例 二日=8例 三日=101例 四日=7例 

五日=8例 六日=5例 七日(なぬか・なのか)=37例 八日=13例 

九日=9例 十日=32例

これは「昨日 今日 明日」という三日間が「過去・現在・未来」の最短期間単位であり生活感覚としてあったということでしょう。もうひとつ、七日が比較的多いのも面白いと思います、この37例については、七日目に紹介しましょう。


高齢御婦人連のなかから……戻って。

2022-11-30 23:28:03 | 算数+数学

午後いっぱい10人ほどの御婦人の集まりにただ一人の男性として、話を伺って来ました。補聴器が無い身で、iPadを忘れて集音機能も使えずただ話し合う人を見続けていて気付いたのは、気持ちのいい空間を共有している快さです。

気心の知り合った人同士が特にテーマを決めた訳でもない様でも、あることを集中して話あっているうちに、次の事へと話題は代わっている。殆ど話の内容が分からないだけに、皆さんの話す表情を追っているのでそれが感じられるのです。平均年齢では80をかなり越しているでしょう、普段このくらいの人数が話し合いだすと、途中で隣同士が全体と関係なしに話し込みだすのですが、それが無いのです。

特に司会的に話をすすめる人がいるわけでもないのですが、それなりに身近なことから町のこと、この会の財政のことなどなどが触れられているな、と思っていたら「連れ合いのいる人?」という話になったようで隣席の御婦人から「奥さんがいるのでしょう!」と、慌てて手を上げました。

御婦人10人うち4人が手をあげていました、統計的に男性の平均寿命が81歳余という数値がここでも見られたということでした。来月の例会はクリスマス会を兼ねて、この年88歳を越した人の集団誕生日会をやろうということになりました。女性の平均寿命を越した年齢で、以前はその人の誕生日の月の例会を祝う会にしてやって来ていたのですが、この数年抜かして来てしまっていました。そのため、会員の祝う会をやってくれて来た会長・前会長の88歳が過ぎていたのです。これは申し訳ない、ということで、それならばこの間に88歳を越えていた人もということなりました。

そんなことで、昨日の数学問題に向ける知的エネルギーが無くなりました、昨日に続きR先生からは次の矢三本の矢と射かけられて来ていますが、兜に突き刺さったままで、今日は寝ます。

 


理系と文系 少し拘ってみる。

2022-11-29 20:11:19 | 算数+数学

R先生から以下の部分を含むLINEをもらいました、後半だけ載せます。

東大教授の酒井邦嘉さんのお言葉です「私たちが高度に発達した現代社会の中で、しかもこのかけがえのない地球上で生きていくには、人間と自然の科学を結びつける[知]のあり方こそが確かな力になるのです。そこで、学校を出た後の学びでは,思い切って自由に文系と理系の垣根を越えてみたいものです。」そこで昨日の「理系の回路」を「脳の活性化」に変更します。

不思議なことが起きるもので、今日偶々開いた本にこんなことが書かれいました。本は藤原彰・森田俊男編『近現代史の真実は何か』(1996年 大月書店)、そのなかの本多勝一の一文です。

このなかの「理系、文系」に触れている部分をここに載せておきます。

 ところで「バカバカしい提起」にはもちろん文系も理系もありませんが、 両者の大きな違いのひとつは、多くの理系が「追試」可能な点です。たとえば「アルコールを燃やすと水と炭酸ガスができる」という仮説がウソかホントかは第三者が追試実験すれば証明できます。 しかし「南京大虐殺」の追試実験はできません。 追試ができないとインチキも当然のさばりやすい。もともと西欧的価値観による差別賞たる「ノーベル賞」も、理系より文系(平和賞や文学賞)にインチキが多いのはこのためです。だから理系でも追試不可能な分野にはインチキも出やすくなります。古生物学とか地質学とか。
 他方では文系にしても、問題が事実関係と深くからんでいて、追試までは無理でも検証が可能な分野であれば、理系に近い作業と討論が期待できましょう。裁判と似ていて、動かぬ証拠があれば検証に耐える法廷となります。しかしここで裁判官が問題になる。「御用裁判官」であれば、一方の証拠ばかり採用して他方を採用しないことなどたやすい作業、教科書裁判はそれに近い例です。

理系が立脚すべき基盤は対象の客観性であるが、文系においては対象への価値観にある、本多が「西欧的価値観」と指摘しているのはそれを言っており、その価値観は社会性に取り込まれているので、本多のいう差別賞ということになるのでしょう。

経済学は西欧では理系に入るが、日本では文系扱いになっているらしい。「らしい」とは曖昧な言い方ですが、理系文系などと普段考えもしないことに頭を使い、ネットで垣間見た断片のなかで言われていたことです。とは言え経済学はまさに社会性に揉まれ、都合の良い経済学と悪い経済学に分かれているようです。

いずれにしても理系とか文系とか述べる水準には、とても到達していない頭ですから、少なくても客観性を背に「追試」可能な理系性を身につけるべきだというR先生の腹の中から、次のようなLINEが送られてきました。とてもそちらに頭が向かう状況ではないので、眠って覚めてから読んでみることにします。

中学での「変化の割合」の定義は高校では「平均変化率」となります。関数y=f(x)においてxの値がaからbまで変化する時{f(a)-f(b)}/(b-a)を関数f(x)の平均変化率という。ここで、b-a=hとおくと、b=a+hとなり平均変化率は、{f(a+h)-f(a)}/hと表されます。この時aの値を定めhを限りなく0に近づけときの極限値をf´(a)と表し関数y=f(x)のx=aにおける微分係数と言います。関数y=f(x)において,xの各値aに対して,微分係数f´(a)を対応させると、新しい関数が得られる。この新しい関数を,もとの関数f(x)の導関数といい,f´(x)で表す。f(x)から導関数を求めることを、f(x)を微分するといいます。