マルクスは『資本論』のカール・マルクスで、ホームズはコナン・ドイルの『シャイロック・ホームズ』なのですが、なんでこの2人が並んでタイトルになっているのか?
我が家の本棚に文庫本で一冊『シャイロック・ホームズ』ものがあって、かなり前に読んだ時、ホームズとワトソンが活躍していた当時のロンドンでマルクスとエンゲルスも活躍していた、と思ったことがありました。
もちろんホームズは小説上の人物ですから、マルクスやエンゲルスがロンドンのある街角で会ったかもという「物語」、住まいが両者ともロンドンで19世紀末の「物語」としてです。
その辺を知る為には、『シャイロック・ホームズ』を読まねば、図書館に行って来よう、と考えていた矢先、
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早速『緋色の研究』を読み出して、冒頭から
1878年と1880年7月27日が出てきて、マルクスが亡くなる5年ほど前からの物語だと頭に入れたのですが、その頃の舞台はロンドンではない。
登場人物のワトソンがアフガンで負傷し帰国、
ロンドンに舞台を移して、ある年の、
3月4日という日付が出てきます。すでにロンドンは「ベーカー街221Bの部屋」にホームズと同居しています、この3月は何年の3月なのか?
マルクスが亡くなったのは1883年3月14日、仮にその年だとすればマルクスの死の直前の日々の中の3月4日となります。『緋色の研究』を読み進めていけば年が特定できるかも知れませんが、ここまでの歳月の動きからは1881年ではないかと推測してます。
この年の12月2日マルクスの妻イェニーが長い病の床を経て亡くなっていますが、マルクス自身も重い病で妻の葬儀に立ち会えませんでした。妻の死は、マルクスの病状を更に重くしていきます。
何れにしてもこの時期、イギリス国の首都ロンドンを舞台に人類史上稀にみると言ってもいい偉大な頭脳が一つ無くなり、一つ生じていたのです。無くなったのは現実で、生じたのは作品のなかですが。マルクスの頭脳をエンゲルスは「人類が今日持っていたもっとも非凡な頭」と書いています。シャイロック・ホームズは自分について、「僕は観察と推理の両方の天分に恵まれている」ので「おそらく世界でただ一人」の「専門的な助言をする探偵」と紹介しています。
ホームズの類い稀な観察眼と推理力によって書き出される19世紀末期前後のロンドンの姿は、マルクスとエンゲルスが生きていた世界です。『資本論』の行間を読むに、当時の人々の息遣いを感じることにも通じるでしょう。