kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

今夜もこれがあって……。 

2023-01-22 19:58:31 | 非詩的なつぶやき

去年の三月の中ほどで「つぶやき」お休みに入り、7月末に再開ということになっていました。

当時藤井聡太将棋士にこだわって、分からないながらも将棋戦を追ってみたり、聡太論をのぞいたりしていたのですが、関心は同じ年齢の伊藤匠将棋士とどちらが将棋士としての質が高いかというような比較論で、どちらだ強いかとは別の見方です。が、質の高さは勝負の結果としては勝ちに繋がるでしょうから強さの比較でもありました。

結局私の手に負えるような問題ではなく、結論じみたことにはならないなー、と思いながらも矢張り「聡太だろーな」というのが感覚的結論でした。そんなこともありましたので、今夜はこちらです。 

 

 

終局直後

(勝った羽生九段は1勝1敗と追いついた) (敗れた藤井王将) (終局直後、インタ...

ALSOK杯王将戦中継ブログ

 

こうやって1勝1敗が3回続いて最後の勝負の前に、私はどちらの勝ちを望むのか?

こんな本を見ると、

そして年齢という量が質の高さを伴うことの可能性を見せてくれることを期待すると……、その時の自分を見つめてみたい。  


続 100歳まで……。

2023-01-20 18:28:42 | 100歳へ上手な生き方

100歳まで、と言っても100歳で「ハイさようなら」ということではないのです。でもね、そうは言ってもこれは(100歳まで)はなかなかのことでしょう、「棒ほど願えば針ほど叶う」の喩えでのことにします。

今日も夕方になって「てんがら川柳」の〆切日だった、と取り急ぎ詠めていなかった❷を思いつき、送信しました。

❶  渡すものバトンとタスキに己が遺志
(駅伝もリレーも人生も次へ……。)

❷  渡すのはタスキに託すスタート心

❸  終焉はゴールと違う急がない
(急ぐゴールを積み重ねた後のゴールは急がない)

昨日の100歳話の残り火のような句になって恐縮ですが、人生の長さ=年齢にも「量と質」の両面があって「どういう人生をどれだけ生きてきたか」が語られなければ、ということでしょう。

 

ここまで 「つぶやき」、外出して寄った本屋で、

こんな内容なので立読みだけでは紹介出来ないでしょう、と

その内容は、

昭和4年12月と5年1月生まれの2人の電話でのお互いの「語り」を文字起こししたもののようです。お二人とも奥さんを亡くしておられます、そこは絶対に同じにはなりたくないのですが、100歳到達前にこの行程があることを知っておかねばなりません。

「百歳前をどう生きるかだよ」、これはカエルの毎日への指摘です。


100歳まで……。

2023-01-19 21:30:37 | 100歳へ上手な生き方

昨日92歳の誕生日を迎えた御婦人が100歳に向けて今日から幾日なのか、計算してみました。

「⭕️⭕️さん92歳から100歳へ」今日から2922日です。

私は幾人かいるこの御婦人Sさんのボーイフレンドの一人だと思っていますので、元気で100歳を迎えてもらいたい、それにはこちらが元気でいなければ、と我身大事に繋がり、私の100歳まで計算してみました。

もう既に今日あることを予想して、昨年6月1日(公式誕生日は6月23日ですが生まれたのは1日)の誕生日を起点に自動的に計算し、5480日要するうち、今日までに233日過ぎています。

実はSさんの誕生日が18日だという記憶だけで、あるいは違ったか? と迷いもあり「お目出度う❣️」を発信しなかったのですが、Facebookに誕生日祝いのメッセージが出てきたので、「92歳お目出度う」より「100歳までおつきあいを宜しく❗️」に替えて明日お届けしよう、と思ったところでした。

そして、2025年1月1日には「葉山町制100周年」を迎えます。それに向けて仲間の100歳と自分の100歳を共に祝う仲間づくりをこの町で手がけていこうと思います。その活動は、この町の100歳時代に応える町づくりに繋がるものでしょう。Sさんに「その中心になって下さい」とのメッセージを発しようと思っています。


『資本論』 柏木博さん式読み方。

2023-01-18 15:03:57 | kaeruの『資本論』

柏木博さんの「資本論」について、昨日のページをもう一度アップしてみます、

. ·

冒頭の「本を再読する楽しみ」を受けて「ゆっくり動き、ゆっくり物を見る」、そのつながりで『資本論』と『聖書』が読む本として紹介されています。柏木さんはこの本の後の方で、再び聖書とマルクスを読むことに触れています。

「死の受容と宗教」(p 230〜233)のなかで、

今、共同新訳の聖書を読んでいるのですが、これまで聖書自体をじっくり読んだ経験がなかったので、「ゆっくり」生きるならこれを読もう、と思ったまでです。この際、できるだけ時間のかかる書物を読もうと思っています。マルクスも、今読む人は多くないだろうけれども、もう一度きちんと読んでみよう、ということでは同じですね。

この後を本のページで読んで下さい。

   

「文字に身をまかせる」読書姿は聖書を読む人の姿を思い浮かばせます。私の実生活にも精神生活にも聖書はありませんが、聖書を通じて解放感を得られるであろうことに同感できます。そしてエンゲルスが「『資本論』が「労働者階級の聖書」と呼ばれている」と言及していることに繋がるかと考えます。

「文字に身をまかせる」とは文章の流れに同化している姿です、文章の向かう論理の方向に己を向かわせる心地良さに解放感があります。そしてその解放感を他者と共有する楽しみが教会で聖書を読むこと、学習会で資本論を読むことではないでしょうか。


健康診断 癌 資本論

2023-01-17 21:56:05 | 「がん」を読む

このタイトルについてこちらから、

三題噺(さんだいばなし)とは、落語の形態の一つで、寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。

ただこの三題で落語を演ずるのは ?でしょう。でも現世は思いもよらないことが起きかねない、例えば「隣は何をする人ぞ」なぞと思い込んでいた隣人と暮らしを共にしなければならない日常がやってくることが「あり得る」のですから、この28年前の今日が起点になって、そういうことが起きていたのですから。

我身にとってみれば、その現地・兵庫県神戸市長田区を中心に1週間ほど救援という体験をしてみたことが、28年後こうして「あり得る」という思いをもって言い切れるのです。

そこで今日の「三題つぶやき」です。

健康診断に行った時肩下げカバンにこの本、「kaeruのつぶやき」でも2回ほどアップされていますが、

その本のこのページ、

この発言は柏木博さんです。

(柏木さんについては、 柏木博 - Wikipedia )

『資本論』が触れられている部分を文字にしておきます。

それから、かって読んだ本をもう一度丁寧に読み返します。20代の頃に読んだマルクスの『資本論』3巻本を再読しようとか、つまり時間を食うことをしよう、と思うようになるのです。

この本を読むまで柏木博さんとは縁もゆかりも無かったのですが、がんを通じてこの本に繋がり、このページを通じて『資本論』を読む時間の有り様を示してくれる柏木博さんと縁が繋がりました。


「資本論」 はじめます、 YTと手紙風で……。

2023-01-16 18:42:55 | kaeruの『資本論』

石川康宏さんのYTによる「資本論を学ぶ」が昨年12月18に最終回の8回目を終えた時、この講義を手掛かりに、

『資本論』第1部第1分冊に目を通そうと思います、年内にはその第一回目を……。

二つの最終回、 そこからの始まり……。 - kaeruのつぶやき

と「つぶやき」ましたが、「年内に」を「この一月に」に替えて目を通そうと思います。

先日友人Aに「資本論」の学び直しをしましょう、と手紙で記したのですが彼が「家人の病気で家を離れられないが、学び直しは是非やりたい、手紙ですすめたい」との返信がありました。このブログに目を通してくれてる人でしたら「手紙でなくメール等で……」と考えるでしょうが、友人はまったくのネット無縁族です。それでも「資本論」を通じて社会の法則的発展に通じ得るという確信は揺らいでいません。

歳は1つ下ですから、この大きな理論書に取り組むのは人生最後の挑戦でしょう、お互いに。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を持ちだして思いを語ることも高齢者としては相応しいでしょう。

このYTは、去年の2月に神戸女学院大学教授だった石川康宏さんが『資本論』全三部への入門講座としてもたれたものです。そのあと4月から8回に渡り第一部を講義されています。

友人Aが諸困難を抱える生活のなかで資本論を読み進めることは、マルクスが生活の諸困難のなか社会変革運動の推進者指導者としての立場を堅持しつつ、社会の変革的発展の法則性を探求し抜いた生涯に応えることになると返信手紙に書き、それは私自身への声掛けとしました。

近年の『資本論』研究の大きな発展は、日本共産党の綱領改定に反映され『新版 資本論』として結実し、その水準を視野におき『資本論』を読み進める喜びを与えてくれます。


行ってきました 「どんど焼き」、 御利益あり❗️

2023-01-15 22:18:41 | 三浦半島

昨日、どんど焼きに行くのが当たり前かのように書きましたが、実は今年が初めてでした。毎年妻が行っていて、カエルは冬眠中ということでサボっていたのです。

どうして今年になって行ってみようか、と思うようになったのか? 氏子会の世話人を辞めて神社にも顔を出さなくなり、そろそろ神様の罰が怖くなったのか仏心ならぬ神心に惹かれたのか、神ならぬカミさんに伴われてバスに乗り出かけた一色海岸です、

手に袋を持って行くのがカミさん、ここまでは私が持っていたのです(注:念のため)。9時に点火ということでしたので、10分くらい遅れました。

接待のテントの前で早稲田ゆきさんとお会いしましたので、衆議院議員早稲田ゆきさんを挟んで老夫婦が……、パチリしてもらいました。

なんだか早稲田さん窮屈そうですね。

接待のお酒やお汁粉コーヒーを頂き、ひさしぶりの人と言葉を交わして、

火も小さくなって来ましたので帰り道へ、でもかなりの人が松をはじめ飾り類を抱えているのと行き交いました。

神社によって参拝し歩いて帰路へ、10時半くらいにすれ違う人も飾り物を抱えていたので、これは昼近くまで火が絶えないかな、と。

家について気づいたのですが、昨夜からの鼻水が出なくなっていました、なるほど御利益あり、来年から毎年行かねばと思いました。


今朝のこと。

2023-01-14 15:56:15 | どこまで続くかこのブログ

久しぶりの雨、今年最初どころか昨年来2年越しの雨、とは言っても一ヶ月ぶりにはならないと思います。

こういう時ワイコマさんなら、即座に「ワイコマ日記」で「幾日以来」と書けるでしょうが、私のブログでは即座にとはなりません。12月20日の慰霊碑拝礼の時「先週予定され(13日)ながら雨」と書かれています、確かにあの日の朝小降りではありましたが冷たい雨でした。となると今日の雨は文字通り1ヶ月ぶりなのでしょうか。

今朝も小降りでしたので、予定されていた一色海岸でのこれに、

外した門松と神棚の去年までの札等を持って、妻と出かけました。海岸までほぼ30分なので歩いて向かった途中で、通りの反対側から声、「雨で明日に延期」とのこと。

往復3000ほどの散歩で、家に着いたら汗をかいていました、明日はバスで行こうかな。