「気の病理と病証」のまとめ行っている。筆者の像を捉えることの難しさ、大事性痛感する。
「旧・東概」のまとめ、再開し「気の病理と病証」のまとめ行っている。が、筆者のアタマの中の像を、「いったい何を言いたいのか?」を捉えかねている。
言葉としての要約であるのならば、それほどの困難では無いのだが、筆者が「いったい何を言いたいのか?」を書いていくことは、自身の実力からすると、大変難しい。
しかし、である。「旧・東概」のまとめを、筆者の「いったい何を言いたいのか?」を分かって、それを文章化していくのでなく、単なる言葉の要約としてしまったのでは、そもそもの目的である「東洋医学の全体像を描く」ということにつながっていかない。かつ、自身のアタマの訓練にもなっていかない。と思う。
古代ギリシャの言葉にも「長い話を切り詰めて、短い言葉で語るのは賢人である。」(「ギリシャ・ローマ名言集」柳沼重剛編 岩波文庫)とあるように、要約するということは本来そういうことなのだ。と思う。
しっかりと、「旧・東概」のまとめに取り組んでいきたい。
「旧・東概」のまとめ、再開し「気の病理と病証」のまとめ行っている。が、筆者のアタマの中の像を、「いったい何を言いたいのか?」を捉えかねている。
言葉としての要約であるのならば、それほどの困難では無いのだが、筆者が「いったい何を言いたいのか?」を書いていくことは、自身の実力からすると、大変難しい。
しかし、である。「旧・東概」のまとめを、筆者の「いったい何を言いたいのか?」を分かって、それを文章化していくのでなく、単なる言葉の要約としてしまったのでは、そもそもの目的である「東洋医学の全体像を描く」ということにつながっていかない。かつ、自身のアタマの訓練にもなっていかない。と思う。
古代ギリシャの言葉にも「長い話を切り詰めて、短い言葉で語るのは賢人である。」(「ギリシャ・ローマ名言集」柳沼重剛編 岩波文庫)とあるように、要約するということは本来そういうことなのだ。と思う。
しっかりと、「旧・東概」のまとめに取り組んでいきたい。