「人間は何を食べるべきか?」ということを<生命の歴史>から説こうと書き始めた。「書くことは考えることである」との金言、まさにその通りなのだ!と自身の実力不足とともに痛感させられている。
「人間は何を食べるべきか?」ということは、幼い頃から自身の興味の対象であり、それゆえ長年にわたって考え続けてきたことでもあるから、かつ、そのことの整えによっての、現実の効果・成果(膝や腰の古傷の痛みが消えたり、山鍛錬やバドミントン等のそれなりに強烈な運動がしっかりできていたり......)が実感できているだけに.....また、<生命の歴史>についても、十数年以上の学びとその実践(食の整え、運動の整え、哲学の学び、手技療法術・鍼灸の学び等々を、<個体発生は系統発生を繰り返す>として行ってきて、そこにそれなりの現実の成果を実感出来ていての)があっての、しっかりと分かっているとの思いでの、「それを書けば良いだけ!」との思いでの「人間は何を食べるべきか?」を<生命の歴史>から説く・書くであったのだが、ともかく書けない、書いても書いても自身の頭の中の像が文章化していけない、いかないであった。
(これはソクラテスからプラトン、アリストテレスの段階の人類の精神の歴史の繰り返しか? と)
ここをしっかりと乗り越えることで、つまり、アタマの中の像を止めて、それを整序していく作業。そして、それを現実に書くこと(これが思弁ということの第一歩であるのか?、とも思えている。)を通しての、自身の考えることの実力を培っての、ブログを書くでありたいと思っている。