リハビリ室運営について同僚のY先生に相談した。討論の大事性実感された。
リハビリ室運営について今後いかにすべきか!?と、結果が出せなければ職を辞さねばならない。とまで思いつめ、自身であれこれと思いを巡らしていたのだが、今夜、同僚のY先生に相談して、「院長は先生(私)に、そんなこと求めていないですよ(笑)」と言われて、「はっ」とばかりに、自身の姿を客観視することが出来た。自己の否定とは、小手先の対処法をあれこれと考えるのでは無く、そもそもの立場の否定でなければならない。と思えた。
現在、自身には討論の相手が存在せず、やむを得ず一人闘論を行っている。つもりであったのだが、今回の件で自身の一人闘論は自己の自己化のレベルでしか無く、けっして自己の他人化のレベルでは無いことに気づかされた。
そのことに気づかされただけでも、今回のリハビリ室運営について取り組んだことの意味があった。と思える。
リハビリ室運営について今後いかにすべきか!?と、結果が出せなければ職を辞さねばならない。とまで思いつめ、自身であれこれと思いを巡らしていたのだが、今夜、同僚のY先生に相談して、「院長は先生(私)に、そんなこと求めていないですよ(笑)」と言われて、「はっ」とばかりに、自身の姿を客観視することが出来た。自己の否定とは、小手先の対処法をあれこれと考えるのでは無く、そもそもの立場の否定でなければならない。と思えた。
現在、自身には討論の相手が存在せず、やむを得ず一人闘論を行っている。つもりであったのだが、今回の件で自身の一人闘論は自己の自己化のレベルでしか無く、けっして自己の他人化のレベルでは無いことに気づかされた。
そのことに気づかされただけでも、今回のリハビリ室運営について取り組んだことの意味があった。と思える。