形而上学について学ぶと経絡治療(=竹山晋一郎)の説く、脈診の矛盾を感じる。どのように考えるべきなのか?
経絡治療=竹山晋一郎は、「症は現象であり、証は本質である。我々は脈診によって証を診るのである。」と説く。
しかし、である。証が本質であるとするならば、それは形而上の世界の出来事であるのだから、それを脈診=形而下の方法で診ると言うのは、あまりに無茶な話である。それは、頭脳活動、論理能力によってはじめて視れるものの筈である。
それゆえに、この経絡治療=竹山晋一郎の説く、証を脈診で診るということが真理であるとするならば、証というものが本質=形而上のものでないのか、あるいは、脈診というものが、形の上では脈を見ているけれども、本当には、アタマの働きとしては、違うものを見ているのか、では無いのか?