今年、何回かに分けた「大峰奥駈道」を無事に歩き終えました。
日本百名山(深田久弥氏)では「大峰山」を最高峰の八経ヶ岳に
あてていますが、本来の「大峯」はこの奥駈道の通る山脈一帯を
含んでいます。
その中心は言うまでもなく山上ヶ岳であり、大峯修験の根本道場
として今も女人禁制を守り、「大峰山」といえば山上ヶ岳を指す
ようになっています。
山中には険しい岩場をめぐる行場が点在し、ここで行を終えて
初めて一人前の男として認められるのが、私たちの若い頃まで
近畿一円での習わしでした。
上の写真は山上ヶ岳の修行中でも白眉の「西の覗き」です。
『和州吉野郡群山記』という本には、山上ヶ岳には鷲が多く
住み、旅人の笠をつかみ取ったり、衣服を破って人を傷つける
ことがある。
「世にこれを天狗といひて恐るるなり」と記されています。
これは一見、科学的な記述に見えますが、ワシは大峰山系には
いない筈で、御勢久右衛門氏は復刻本の校注で「ここでの鷲は
クマタカであろうか」と考察されています。
日本百名山(深田久弥氏)では「大峰山」を最高峰の八経ヶ岳に
あてていますが、本来の「大峯」はこの奥駈道の通る山脈一帯を
含んでいます。
その中心は言うまでもなく山上ヶ岳であり、大峯修験の根本道場
として今も女人禁制を守り、「大峰山」といえば山上ヶ岳を指す
ようになっています。
山中には険しい岩場をめぐる行場が点在し、ここで行を終えて
初めて一人前の男として認められるのが、私たちの若い頃まで
近畿一円での習わしでした。
上の写真は山上ヶ岳の修行中でも白眉の「西の覗き」です。
『和州吉野郡群山記』という本には、山上ヶ岳には鷲が多く
住み、旅人の笠をつかみ取ったり、衣服を破って人を傷つける
ことがある。
「世にこれを天狗といひて恐るるなり」と記されています。
これは一見、科学的な記述に見えますが、ワシは大峰山系には
いない筈で、御勢久右衛門氏は復刻本の校注で「ここでの鷲は
クマタカであろうか」と考察されています。