ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

雨模様の町石道 (11.06)

2005-11-07 17:21:04 | 山日記
夜の空けないうちから激しい雨。しかし、「町石道」「高野三山」
二つのコースに別れて出発する頃には小降りになりました。私は
Aコース(町石道)のコースリーダーで26名のパーティの先頭を
歩きました。
山上伽藍から九度山まで百八十丁プラス3.5㎞の長丁場でしたが、
幸い大した降りにはなりませんでした。
写真は最後尾を締めて下さった重廣支部長と二つ鳥居で。
ここまで百二十町歩きました。あと、三分の一です。



百六十五町、紀ノ川を見下ろす展望台まで来ると、青空も覗いて
きました。周囲は柿畑。正面に金剛山が見えます。



町石道の起点、慈尊院。空海が高野山を開くとき、猟師に化身した
狩場明神から譲られた二匹のイヌが山上まで案内したという話があ
ります。
ところがこの寺には、先頃までお遍路さんを山上に案内する「ゴン」
という名のイヌがいました。今は御大師さんの横に座っています。



これは二代目のゴンちゃん。ちょっと太り気味だが大丈夫かな?
ペンギン夫婦に敦賀の山を案内してくれた「ジョン」君のことを
思い出しました。



16時、無事九度山駅に着きました。支部長の挨拶で終了。遠くから
参加された人にも喜んで頂けて、係の責任が果たせてホットしました。

秋の高野山で (11.05)

2005-11-07 16:30:46 | 山日記
日本山岳会創立100周年・関西支部設立70周年の記念事業
が行われました。長い準備期間を経て、いよいよ当日の朝
は素晴らしい秋晴れです。
北海道から九州まで、各地から高野山に集まった方は140
人に達しました。山行の係なので会旗を持って、遠来の客
をお迎えしました。



バスで奥の院に行き、御廟から壇上伽藍まで三六丁の町石道
をご案内しました。皆さん山岳会員だけに、一の橋近くの
河口慧海師供養塔に関心が集まりました。
壇上伽藍一帯は顔が染まるほど見事に紅葉していました。



午後は高野山大学で「日本の登山文化の原点を探る」と題した記念
講演が行われました。写真は「進行」の重廣恒夫関西支部長。
77年日本人初のK2登頂、80年の北壁からのチョモランマ登頂、
96年の日本百名山123日連続踏破などで有名な人です。



高野山大学奥山教授の「河口慧海の道を追うー日本人初の
ヒマラヤ越え」の講演のあと、吉野山金峯山寺の田中利典
執行長の「役行者と修験道」の講演がありました。
二一世紀は自然と人間の「共死」の時代で、自然が滅びれば
人類も滅びるという結びのお話は強く胸をうちました。



会場外の展示です。「中央分水嶺関西支部担当区間」と「紀伊山地
の参詣道を辿る」の地図と写真を展示しました。



講演後の記念式典では、平山善吉日本山岳会長の挨拶や、高野町長ら
の挨拶、阿部前支部長の「支部70年の歩み」報告などがあり、
暗くなってから宿舎の遍照光院へ移動。会席スタイルで精進料理を
般若湯を楽しみました。

窓際の板の間まで参会者で一杯の宴会風景です。



余談ですが、昼間、「般若湯」という酒屋の看板をみて、銭湯と
間違えた人がいました。また昼食に入った食堂のメニューに
「泡般若」「生般若」というのがあり、さすが高野山と感心しました。