吉野から大峰、釈迦ヶ岳までは修験者や登山者も多いのですが、
「太古の辻」から南では滅多に人に会うこともない深山幽谷の趣
で、いかにも天狗の出そうなところでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/57/d48a2b184229c5a4e167653e3a2e4822.jpg)
同じ『和州吉野郡群山記』の「弥山之記」七面山のところで、
「この山に登れば魔ありて…」「金六といふ天狗を云ふ」と名前
まで挙げて、七日間の間道に迷わされると書かれています。
(下の写真は七面山、♀ペンが見ているが「七面のくら」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/44/556e54d6d048ea3aed4faeae46f9467b.jpg)
また同じ本の「釈迦嶽記」古田の森の項で、「古田森に黒雲かか
れば、その内より魔来たりて、人をつれて七面のくらに行く事あり
と云ふ」とあります。きっと同じ金六天狗の仕業でしょう。
(下写真は「古田の森」、ガスが出ていかにも天狗の住処の様相)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d1/303ca48e256597d9060fc1a9bb89add8.jpg)
しかし怖いながらも「金六」という名前には、「何とか坊」という
よりもずっと親しみがあり、身近かに感じます。
金六に限らず、民間で語り継がれる天狗様にはどこか間の抜けた
ようなところがあります。
この辺りを岩科小一郎氏は「よけいなワルサをするが、そのトボケ
たところが人間共に好かれるのであった。」…「修験山伏の考える
天狗と山民の天狗は環境の異なる如く、発想も違うのである。
山民の天狗の行状は山の神の行状に近い(民俗民芸双書・山の民俗)」
と書かれています。
「太古の辻」から南では滅多に人に会うこともない深山幽谷の趣
で、いかにも天狗の出そうなところでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/57/d48a2b184229c5a4e167653e3a2e4822.jpg)
同じ『和州吉野郡群山記』の「弥山之記」七面山のところで、
「この山に登れば魔ありて…」「金六といふ天狗を云ふ」と名前
まで挙げて、七日間の間道に迷わされると書かれています。
(下の写真は七面山、♀ペンが見ているが「七面のくら」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/44/556e54d6d048ea3aed4faeae46f9467b.jpg)
また同じ本の「釈迦嶽記」古田の森の項で、「古田森に黒雲かか
れば、その内より魔来たりて、人をつれて七面のくらに行く事あり
と云ふ」とあります。きっと同じ金六天狗の仕業でしょう。
(下写真は「古田の森」、ガスが出ていかにも天狗の住処の様相)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d1/303ca48e256597d9060fc1a9bb89add8.jpg)
しかし怖いながらも「金六」という名前には、「何とか坊」という
よりもずっと親しみがあり、身近かに感じます。
金六に限らず、民間で語り継がれる天狗様にはどこか間の抜けた
ようなところがあります。
この辺りを岩科小一郎氏は「よけいなワルサをするが、そのトボケ
たところが人間共に好かれるのであった。」…「修験山伏の考える
天狗と山民の天狗は環境の異なる如く、発想も違うのである。
山民の天狗の行状は山の神の行状に近い(民俗民芸双書・山の民俗)」
と書かれています。