ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

釈迦ヶ岳と大日岳 (5月28日)

2006-05-30 10:12:56 | 山日記
大峰山系の釈迦ヶ岳(1799.6m)は古来「峯中第一の秀峰」といわ
れた名山である。昨年春のJAC「奥駈シリーズ」では弥山から
縦走してきて釈迦ヶ岳を過ぎた太古の辻から前鬼に下り、次回は
前鬼から登りかえしている。

今回の千日山歩渉会例会では、当初、前鬼からの計画だったが
日帰りでは時間的に苦しく、今年は宿泊の計画が多いこともあ
って、前に登ったことのある旭ダム側(西)からのルートをとる
ことにした。

心配していた雨も上がり9時、不動小屋谷林道終点の峠登山口を
出発。雨上がりで滑り易い道を登っていくと、雲か霧か、うっすら
と立ち籠める薄暗い林の中で、シャクナゲが美しく咲いていました。



ブナの木が疎らに並ぶ見晴らしの良い尾根に出ました。足元は背の
低い笹原、バイケイソウの緑の葉が鮮やかです。



緩やかな起伏をいくつか越えていきます。右手には大日岳の鋭峰が
招いています。



快調に登り続けて古田ノ森は気づかずに通過、千丈平で少し休んで、
奥駈道に合流。あとは露岩の道をひと登りで、11時30分、釈迦ヶ岳
山頂に着きました。



ザックを下ろしてお釈迦様に手を合わせ、孔雀岳の方へ奥駈道を少し
下ってみます。嶋本さんから、オオミネコザクラが咲く場所があると
聞いたからです。急な山肌にすがりつくように、可憐な花が咲いて
いました。ハクサンコザクラに似ていますが、ずっと小型の可愛い花
でした。

去年はもっと多かったのに…土砂崩れで数が減ったと嶋本さんは残念
そうでした。近くにはヒカゲツツジもたくさん咲いていました。



12時10分、頂上発。深仙ノ宿に下って二度目の昼食をとりました。
これから大日岳に向かいます。(続く…)


拉薩紀行 (余録)

2006-05-30 08:57:13 | 旅日記
私たちの泊まった「拉薩飯店」のロビーに
かかっていた美しい刺繍のタンカ(仏画)。
中央の三つ目の尊像はチャナ・ドルジェ
(金剛手菩薩)で日本では金剛力士として
知られる。タンカの画材としてよく見かけた
菩薩である。



ホテルからポタラ宮への途中、北京西路の交差点に立つ
黄金のヤク像。ラサのというよりチベットのシンボルである。



バルコル街の土産物屋3階レストランで見たディナー?ショー。
演奏中の笛と太鼓・シンバル、そして卓上弦楽器のトリオ。



逆三角形の仮面をかぶった激しい動きの踊り。



中央の女性のアリア?のあと、黒いヤクが二頭登場して暴れ踊る。
カタを掛けられていったん折伏?されたが、女性達が退場すると
舞台から降りてきて、観客のテーブルを廻って噛みつく真似をした
ち大騒ぎ。どうも日本の獅子舞に似たようなものらしい。




拉薩紀行 (5月23日-成都)

2006-05-30 08:43:32 | 旅日記
現在ラサへの直行便はないので、往復とも成都で一泊することに
なります。2001年7月、大姑娘山登頂トレッキングで訪れて以来
の成都は、5年の年月を経てより現代的で目を見張るような大都
市に変貌を遂げていました。

写真は帰る日の早朝、ホテルの部屋から。まだラッシュアワーの
始まる前の光景です。しばらくすると、この広い街路が文字通り
人と車でぎっしり埋め尽くされました。



市内観光はすでに5年前にすませていますが、再訪すると新しい
発見もありました。
武候祠はライトアップ効果が良くなり、見やすくなりました。
また少人数なので、雷鳴さんの説明も良く聞き取れました。



武候祠の主人公とも言える諸葛孔明の像。三顧の礼をもって
劉備玄徳に迎えられ、蜀の軍師となって以来の活躍は三国志で
お馴染みです。



杜甫草堂です。この場所で撮った各国要人の写真が建物内で
展示されています。



私たちが前回訪れたあとで新しくできた博物館や、その後ろに
ある珍宝堂には豪華な展示物が並んでいました。しかし、復元
された杜甫の寓居は、貧しげとも言える質素なものでした。

この像は清貧の詩人・杜甫先生の面影を一番良く伝えている
ということです。



24日朝、成都を出て北京経由で帰国しました。僅か6日間の
慌ただしくも充実した楽しい旅でした。