CIAO! FIRENZE
トスカーナ地方の中心・フィレンツェは、古代ローマ時代に花の女神・フローラの町「Florentia」と名付けられ、英語名Florenceにその名残が見られる「花の都」です。15世紀にメディチ家の庇護のもとにルネサンスの中心地となった「芸術の都」であり、町自体が「天井のない美術館」と言われるほど美しいところです。
12月10日 昨夜はヴェネツィアから約245km離れたカレンツァーノのホテルで泊まりました。フィレンツェは変愚院が一番再訪を楽しみにしていて、♀ペンにもゆっくり見て貰いたかった町だったのですが、無情にも今日は朝から冷たい雨が降っています。
駐車場から傘をさして石畳の道を中心部へ向かいます。通りのお店は開いたばかり。これはお人形屋さん。イタリアではどこの町でもピノッキオが人気のようです。
サンタ・クローチェ聖堂 Basilica Di S.Croce
フィレンツェの数ある建築物の中でもゴシック建築の最高傑作とされています。ガリレオ、ミケランジェロ、ロッシーニなど多くの有名人が埋葬されています。蛇足ですが、サンタ・クローツェとは「サンタ・クロースのお爺さん」のことではなく「聖なる十字架」のことで、「聖なる十字架の発見」は中央礼拝堂のフレスコ画になっています<Sillabe社の日本語版ガイドブックによる>。
見所の多いところなのですが素通りして、ウフィッツイ美術館の予約入館時間までの間、「皮製品店でショッピングタイム」。この先の通りは昔から革職人が多く住んでいたところらいく、工房や革製品店が並んでいます。
シニョリーア広場 Piazz Della Signoria
古くローマ時代からフォルム(市広場)として栄え、周囲に市場、公衆浴場、劇場などがあったことが発掘調査で分かっています。中世(13~14世紀)にフィレンツェが自治都市だった時代はもとより、今も重要な市の政治中心地です。
左の人物像が立っているところがヴェッキオ宮殿(現在の市役所)、その右・白い4階建ての建物がウフィッツイ美術館、更に右のアーチ型の回廊はロッジア・ディ・ランツィ。
ロッジア・ディ・ランツィ Loggia De Lanzi
広場南側にあるアーケイド形のロッジア(回廊)。大きなアーチ型が特徴で、14世紀終期には市民の集会所でした。(上の写真は1979.11.19 変愚院撮影)
今は美術品の残る屋外ギャラリーになっています。左のブロンズ像は「B.チェッリーニ作・メデューサの頭を掲げるペルセウス」。メデューサの首から血が滴っているところなど描写が細かい!
右端はジャン・ブローニュ作の「サビニの女たちの略奪」。その隣は同じ作者の「ケンタウロス・ネッソスを打つヘラクレス」。いずれも白大理石製です。変愚院は前のライオンくんも好きです。
ヴェッキオ宮殿 Palazzo Vecchio
「ヴェッキオ」とは「古い」の意味で、14世紀に建設され15世紀にはシニョリーア宮殿でしたが、1565年に宮廷が移ってから、こう呼ばれるようになりました。1865年から5年間、フィレンツェがイタリアの首都だったときは国会として使われました<前掲書による>。砂岩粗石積みの要塞のような作りで、鐘楼は94mの高さがあります。
宮殿正面にはミケランジェロの「ダビデ像」のレプリカが立っています。
近くから見たダビデ像 (1979.11.19 変愚院撮影:入口上の飾りを現在と見比べてください)
鈴の音も軽やかに観光客を乗せた馬車が広場を行きます。行く手に見えるのは「ネプチューンの噴水」
ネプチューンの噴水
大理石とブロンズでできています。ネプチューンはギリシャ神話ではポセイドン、水を司る神様で噴水によく使われます。何故か馬と縁があるようで、「競馬の神様」として崇める人もいるとか…?
予約時間の10時15分まで長い行列に並んで、ウフィッツイ美術館に入場しました。入口では厳重な手荷物検査が行われます。まず4階まで登って、そこから順に3階2階と約1時間、メディチ家の残した膨大な歴史的美術品を鑑賞して回りました。
このボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を始め、ミケランジェロ、ラファエルなどの有名な絵画展示されています。残念ながら館内は全て撮影禁止です。写真はネット上のフリー画材から借用しました。唯一、外の景色が撮れたのが窓からの下の風景…ベッキオ橋です。
ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio
アルノ川に架かる三つのアーチ型の上下二層になった橋です。洪水に流された古い橋を14世紀に再建したものでフィレンツェで一番古いもの。橋の上には金細工店が並び、二階部分は「ヴァザーリの回廊」として、かってはヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿の間の通路となっていました。今はテラスからアルノ川の景色を眺めることができます。(この項続きます)