*このシリーズは山行報告ではなく私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*
<吉野山周辺>
(101) 青根ヶ峰(あおねがみね) 「吉野山の最高峰」
前項で「吉野山は周辺のいくつかの峰の総称」と書きましたが、その最高峰が青根ヶ峰です。昔は青折嶽、金の御嶽とも呼ばれました。
頂上近くには、「従是女人結界」の文字の両側に「左・蜻蛉瀧、右・大峰山上」を示す大峯奥駆道の結界石とお地蔵さんが立っています。この結界石は慶応元年のものですが、第二次大戦後の1970年に結界の位置が五番関に後退するまで、長らくここから先が大峯山の女人禁制区域でした。
ここから木の階段道を登ると青根ヶ峰の三等三角点(858m)がありますが、樹木の中で展望は期待できません。
この石標の少し手前、金峰神社を過ぎたところに「峰入りや一里遅るる小山伏」の句碑があります。ここの辺りが大峰七五靡き(なびき)の第七十番「愛染(あいぜん)宿」跡ですが、この地名は明治初年の廃仏毀釈まで安禅寺の愛染宝塔があった処といわれています。
ここで奥駆道と離れ、奥千本に向かうと「西行庵」があります。西行が隠棲した桜の名所で、「吉野山やがていでしと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ」と詠んだところ。近くには、芭蕉の「露とくとく試みに浮世すすがばや」の句で知られる苔清水(↑写真)が滴り落ちています。
近鉄吉野駅より上千本を経て2時間30分。川上村大滝からは、林道沿いに2時間。途中には落差30mの「蜻蛉(せいれい)の滝」があります。
音無川沿いに登り、愛染宿跡とは反対側の車道にでると階段で山頂に登ります。
(102) 百貝岳(ひゃくかいたけ) 「法螺貝の音で大蛇退治」
吉野山奥千本の西南にあって、奈良県吉野郡黒滝村に位置する山。名称には次の伝説があります。役行者が大峰山を開いて200年ほど後、山中に大蛇が棲み、村人や参詣人に危害を加えたので信仰は途絶え、山は荒廃していました。宇多天皇の勅命を受けた理源大師が先達(せんだち)の「餅飯殿(もちいどの)」箱屋勘兵衛を伴い、法力によって大蛇を退治しました。その時、大法螺貝(ほらがい)を吹き祈祷しましたが、其の音は百の法螺貝を一時に吹き鳴らしたようだったといいます。その後、大峰修験道は復興し、理源大師は中興の祖とされています。
大師ゆかりの百螺山鳳閣寺は、寛平七年(895)建立と伝えられます。花崗岩作りの理源大師廟塔は国重要文化財で、台座の浮き彫りの亀に吉野朝時代の正平二四年(1369)の銘があります。
吉野郡黒滝村寺戸から川沿いに東へ脇川に向かいます。ここから県道48号を地蔵トンネル手前まで行き、左の谷沿いの道を地蔵峠に登ります。峠からは東に林道を歩き、鳥住集落の林道終点から坂道を登ると鳳閣寺(寺戸から1時間30分)。本堂横から松林の中の廟塔を経て踏跡を登るとTV塔の立つ尾根に出ます。
急坂を登り詰めると如意輪観音の祠がある百貝岳頂上(860m)。
樹木に囲まれ無展望です。
吉野山からは、奥千本から大峰奥駆道への分岐、西行庵への分岐を経て山腹をからむ道を行きます。45分ほどで左手の斜面に山頂への踏み跡の分岐があります。直進しても鳳閣寺からの登路に合します。
*いよいよ奥駆道の走る大峰山脈主稜とその周辺の山に入ります。*
(103)四寸岩山 「四寸の岩の隙間を通る」
大峯奥駆道は、青根ヶ峰から林道吉野大峰線を少し歩いた四寸岩山登山口で、新旧の二道に分かれます。尾根通しに四寸岩山の頂上を通る古道は、江戸時代から明治末まで歩かれた奥駈道で「大天井越え」と呼ばれました。その後は廃れていましたが、林道開通後に金峯山寺が復旧しています。
山名のいわれは、昔は四寸しかない岩の隙間を通ったからだそうですが、この岩も今は山道脇にある平凡な石に過ぎません。二等三角点(1,236m)の頂上はこの石から少し登ったところにあり、山頂からは大天井岳が高く、その左に山上ヶ岳が微かに望めました。この山の東山麓の集落・高原は「木地師の村」として知られています。
私たちは大峯奥駆道をたどりました。青根ヶ峰下の大滝分岐から一里茶屋跡、心見茶屋跡、守屋ノ茶屋跡、新茶屋分岐を経て1時間30分。他の道としては中戸から(柏原山経由で3時間30分)、高原から高原山経由の道などがあります。
(104)柏原山 「造林帯の中の山」
四寸岩山から西に派生した尾根末端にある三等三角点(943m)のピーク。
奈良山岳会『大和青垣の山々』に「新茶屋からの尾根道の他に、北方の槇尾からと、南方の赤滝からそれぞれ登る道がある…」。昭文社の山と高原地図「大峰山脈」では中戸からの尾根道、赤岩から迫ノ谷に沿う道が記載されています。2004年、妻と二人で森沢義信氏の『奈良80山』に記された柏原谷からの道を登りました。車を置いた「きららの森赤岩」から2時間ほどでした。
登山口には地名通りに川の中には赤い岩が点在し、その間を澄み切った水が渦を巻いて流れていきます。対岸に前登志夫の「みなそこに 赤岩敷ける 恋ほしめば 丹生川上に 注ぎゆく水」の歌碑がありました。上平のバス停前で橋を渡ったところが登山口。このルートは、登山口から頂上近くまで、道標はおろかテープ標識も殆どありません。このときは沢から稜線に出たところで林道の工事が行われていて、尾根道が分断されていました。
その先で、はっきりした登山路が続いていて「柏原山」の大きな標識がありました。この標識は上中戸への下山路では要所で何カ所か設置されていました。山頂直下で踏み跡に変わり、稜線の一角に出て数分で山頂に着きました。
植林の中で展望は全くありません。
東へ関電巡視路を少し行くと、関電鉄塔下の広場で、すぐ目の前の四寸岩山から大天井に続く稜線、その左遠くに稲村ヶ岳などが展望されました。
(105) 大天井岳(おおてんじょうだけ) 「五番?碁盤?御番?」
五番関トンネル横の急坂を登って、稜線に出ると女人結界門があります。
右に門をくぐると山上ヶ岳への道で、左へは大天井岳への登路である吉野古道と山腹を捲く水平の新道に別れます。頂上を通る道は「山上参りの難所」で知られ、山名の「大天井」も「非常に高いところ」を表しているようです。
『和州吉野郡群山記』には「杉その外、諸木の根の蟠れるを道として、その上を越え行く。吉野より参諸多きゆゑ、この処道中広くなれり。いづれも蟠根の上を行くなり。大天井嶺有り」「洞辻よりこの辺まで、樹木生ひ茂り、日光を見ざる所多し」と記載されています。頂上からの展望は北側が開け、四寸岩山から百貝岳に延びる尾根の上に青根ヶ峰、遠く金剛葛城の山々が見渡せます。
五番関近くの御番石茶屋跡には碁磐石という名の大石があります。『群山記』には「この辺に石多く、四方なり。紫色にて、白く糸のごとき筋有り。碁盤の目のごとく十文字をなせり」とありますが、五番関の五番の意味は、御番でしょうか碁盤でしょうか?
99年に二人で南の五番関から登りました。山腹を貫く五番関トンネルの西口から1時間15分ほどで1439mの山頂に立てました。04年はJAC関西支部の奥駆山行で、青根ヶ峰から四寸岩山、大天井岳を経由して五番関に下りました。他に洞川から尾根道で大原山を経て登る道があります。