ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

信州から飛騨へ(3)

2005-11-17 23:04:14 | 旅日記
上高地から平湯へ向かいました。安房峠の旧道は積雪で閉鎖
されていましたが、トンネルが出来たお陰であっという間に
平湯に着きました。早めに、夏に槍の帰り泊まった同じ宿に
入り温泉で温まり、飛騨牛づくしの夕食に舌鼓。

火曜日朝は濃い霧のあがるのを待って飛騨高山へ。平湯トン
ネルでは気温0度。寒い朝でした。城山公園では、素晴らし
い紅葉が出迎えてくれました。



本丸へ登りました。散り始めた紅葉のカーペットです。



いったん二の丸に下って城山を一周した後、古い町並みの残る
一之町から三之町界隈をぶらつきました。



何年ぶりかで、民芸調の縫いぐるみを作っている「誠工芸」さん
に寄って、来年の干支(そして私の当たり年)の戌のぬいぐるみ
を求めました。



高山から郡上八幡までは「せせらぎ街道」を走りました。
全山燃えるような色の中で、こんな緑と清流を見ると、かえって
ホッとするくらいの紅葉を満喫して帰りました。


信州から飛騨へ(2)

2005-11-17 10:33:20 | 旅日記
月曜日、幼稚園に行く孫を送った後、帰途につきました。
回り道ですが、上高地と飛騨の紅葉を楽しむつもりで、まず
上高地に向かいます。沢渡からのバスは私たちの他には乗客
6人。あの夏の賑わいが嘘のようです。

大正池で下車して、自然観察路を歩きました。焼岳ももう雪
化粧を始めています。



しばらく歩いてやっと出会った人に、穂高を背にしてカメラの
シャッターを切って貰いました。



田代池。久しぶりに来てみるとずいぶん様子が変わっています。
何年か前の大雨で、大量に土砂が流れ込んだということでした。
霞沢岳の稜線を仰いで、あの秋の晴れた日に二人で苦労して登
ったことを懐かしく思い出しました。



ウエストン碑。夏、槍の帰りには時間がなかったので、今年の
ご挨拶に来ました。



河童橋まで歩き、バスターミナルに着く頃には曇り空からみぞれ
交じりの小雨が降り出しました。紅葉の時期はとっくに過ぎて、
「冬木立」という季語がピッタリの上高地でした。






信州から飛騨へ(1)

2005-11-16 11:41:05 | 旅日記
先週末、孫の七五三で信州に行きました。



息子の家は美ヶ原がすぐ近く望める松本市郊外にあり、(息子夫婦
には言えませんが…)私たちにとっては格好のロケーションで、
よきベースキャンプになっています。周囲はリンゴ畑、収穫したば
かりの真っ赤なリンゴを安く分けて貰いました。



車で15分ほどの松本城へ行きました。上の孫は前の家が近くにあり、
お堀端をよくベビーカーで通ったものです。今日は天守閣に登りたい
といいだし、ナラシカジイ(奈良鹿爺)さんと、急で段差の大きい
階段を物ともせずに六層の天守に登りました。今度は一緒に富士山
に登るんだそうです。



日曜日、安曇野の穂高神社に行きました。
地方版に「機関車トーマス」がきているというCMが出ていて孫た
ちは楽しみにしていたのですが、トーマスの仲間達もいず、一台が
ポツンと置いてあるだけで、しかも「てをふれないで…」の立て札。
せっかく行ったのにがっかりです。



仕方がないので、今度は松本空港へ飛行機を見に行きました。地方
空港だけに一日に数本の発着しかありません。しかし滑走路のすぐ
横が広い芝生の公園で、ボール遊びをしたりしながら30分ほど待っ
て、やっとジェット機の発着をみて帰りました。後ろに見える山は
高ボッチです。


諸国名山高山見立相撲

2005-11-11 11:11:11 | 四方山話
13日から福岡で大相撲11月(九州)場所がはじまります。
その番付は10月末に発表されましたが、相撲以外でも「長者番付」
や「納税者番付」などいろいろな「番付」があります。とくに江戸
時代末期から明治時代にかけては「歌舞伎番付」など多くの番付が
流行したそうです。



前にこのBLOGで「天狗番付」をご紹介しましたが、これは明治中頃
のものといわれる「日本の山」の番付です。

大関(東)豆州・箱根山     (西)肥後・阿蘇岳
関脇   信州・浅間山        薩摩・開門岳
小結   越中・立 山        長門・五磐岳(碁磐岳)
前頭   甲府・金峰山        肥前・温泉岳(雲仙岳)
  〃  出羽・月 山        大和・大峰山
  〃  奥州・万代山(磐梯山)   日向・桐嶋山(霧島山)
  〃  下野・男胎山(男体山)   伯耆・大仙山(大山)
  〃  越後・妙香山(妙高山)   対馬・有明山
  〃  甲州・七面山        土佐・五臺山
  〃  奥州・恐居山(恐山)    河内・金剛山
  〃  相州・大 山        防州・岩國山 
と並んでいますが、どこで東西の線を引いたのか、どんな基準でランク
付けをしたのか、一切分かりません。
ただ、ここに並んでいる山を見ると、高山よりもむしろ都人によく知ら
れた山が上位にきているようです。また、現代とは山名の表記が違うも
のもあります。

なお、三国無双駿河・富士山は常州・筑波山、信州・温嶽(御岳)と
並んで勧進元。行司は紀州・高野山、伊勢・朝熊山、を江・石山となって
います。どうも宗教的な権威がある山(従って参詣人が多い山)も上位
ランキング入りをしているようです。行司の「を江」石山というのが
どうしても分かりませんでしたが、♀ペンは逆に石山だから「近江」だ
ろうと解きました。しかし、石山寺で有名な石山(地名)に「高山名山」
に数えられる山があるとは、露知りませんでした。
 

天狗の話 (13)

2005-11-10 08:45:30 | 四方山話
古い本をパラパラめくっていて、こんな物を見つけました。



(東)横綱・富士太郎、大関・飯綱三郎、関脇・相模大山伯耆坊、
小結・羽黒山三光坊、前頭筆頭・立山縄乗坊、二枚目以下は
秋葉山三天坊、筑波法印、高尾山供奉、道了薩捶、小御嶽正真坊、
御嶽山六尺坊と続きます。張出前頭というのがあって、(最上川)
水天狗円光坊、張出小結は上野妙義坊となっています。

一方、西は張出横綱・鞍馬山僧正坊、張出小結・(讃岐)白峰相模
坊、横綱・愛宕山太郎坊、大関・大峰前鬼、関脇・比良山次郎坊、
小結・彦山豊前坊、前頭筆頭・葛城山高天坊、以下は石鎚山法起坊、
大峰菊大坊、伯耆大仙清光坊、比叡山法性坊、肥後阿闍梨、高野山
高林坊、伊吹山飛行上人…とこれまた錚々たる顔ぶれです。

西の特徴は下の図のように、番付下位に同門?の天狗がずらりと
居並んでいることです。いわゆる木っ端天狗でしょうか?
そして前頭上位には「何とか坊」が多い中に、阿闍梨や上人が
おわします。しかも「天狗の番付」では下の方ですが、伊勢に二人
の「神」が並んでいることに気付きました。なんとかっての「狗」
は遂に人間を飛び越えて「神」に昇格したのでしょうか?




この奇妙な番付を作成したのは「狗賓堂光蔵」という人です。
面白いことに、番付の行事役に平田篤胤、哲学堂円了(お化け学者
として有名な井上円了)、役行者などと並んで、ちゃんと自分の名前
を出しています。「狗賓」というのは「天狗」の異名で、地方によって
他にも呼び方がたくさんあります。 

これこそ四方山…

2005-11-08 11:52:37 | 四方山話
日本山岳会創立100周年を記念して「新日本山岳誌」が発刊されました。
北は北方四島から南は南西諸島まで、今まで紹介されなかった山も含め
その数、4000山。最新最大の山岳百科事典です。



各支部の500余名が分担して執筆しました。変愚院も関西の山の
一部を担当執筆しています。次の山々です。
神野山、一体山、都介野山、戒場山、額井岳、貝ヶ平山、若草山、
春日山、高円山、城山、高峰山、竜王山、大国見、巻向山、白山、
三輪山、伊那佐山、日張山、音羽山、御破裂山、耳成山、天香具山
畝傍山、(以上、大和高原と奈良盆地)
百貝岳、高野山、揚柳山、摩尼山、竜王山(紀伊山地西部・大峰山脈)
(河内)飯盛山、生駒山、矢田山、松尾山、高安山、信貴山、屯鶴峰
二上山、岩橋山、(大和)葛城山(以上、生駒金剛泉山脈)
国見山、鎧岳、兜岳、住塚山、三郎ヶ岳(以上、鈴鹿布引山地)

このようにあまり知られていない低山が多いのですが、すべて自分の
足で登った山に限って書いています。また企画から発刊まで七年の間
に「紀伊山地の参詣道」が世界遺産に登録され、私が執筆した中の、
高野山で関西支部創設七〇周年記念事業が行われることになりました。
記念式典会場で出版社のナカニシヤが講演者の著書とともに展示(販売)
され、「高野山」のページが開かれていたのを見て晴れがましい気持ち
でした。



定価18,900円と値段の張る本ですので、お住まいの地域の図書館に
置いて読んで頂けたら幸いです。是非、購入希望図書にお加え下さい。
手前味噌ながら、ちょっと宣伝させて頂きました。

雨模様の町石道 (11.06)

2005-11-07 17:21:04 | 山日記
夜の空けないうちから激しい雨。しかし、「町石道」「高野三山」
二つのコースに別れて出発する頃には小降りになりました。私は
Aコース(町石道)のコースリーダーで26名のパーティの先頭を
歩きました。
山上伽藍から九度山まで百八十丁プラス3.5㎞の長丁場でしたが、
幸い大した降りにはなりませんでした。
写真は最後尾を締めて下さった重廣支部長と二つ鳥居で。
ここまで百二十町歩きました。あと、三分の一です。



百六十五町、紀ノ川を見下ろす展望台まで来ると、青空も覗いて
きました。周囲は柿畑。正面に金剛山が見えます。



町石道の起点、慈尊院。空海が高野山を開くとき、猟師に化身した
狩場明神から譲られた二匹のイヌが山上まで案内したという話があ
ります。
ところがこの寺には、先頃までお遍路さんを山上に案内する「ゴン」
という名のイヌがいました。今は御大師さんの横に座っています。



これは二代目のゴンちゃん。ちょっと太り気味だが大丈夫かな?
ペンギン夫婦に敦賀の山を案内してくれた「ジョン」君のことを
思い出しました。



16時、無事九度山駅に着きました。支部長の挨拶で終了。遠くから
参加された人にも喜んで頂けて、係の責任が果たせてホットしました。

秋の高野山で (11.05)

2005-11-07 16:30:46 | 山日記
日本山岳会創立100周年・関西支部設立70周年の記念事業
が行われました。長い準備期間を経て、いよいよ当日の朝
は素晴らしい秋晴れです。
北海道から九州まで、各地から高野山に集まった方は140
人に達しました。山行の係なので会旗を持って、遠来の客
をお迎えしました。



バスで奥の院に行き、御廟から壇上伽藍まで三六丁の町石道
をご案内しました。皆さん山岳会員だけに、一の橋近くの
河口慧海師供養塔に関心が集まりました。
壇上伽藍一帯は顔が染まるほど見事に紅葉していました。



午後は高野山大学で「日本の登山文化の原点を探る」と題した記念
講演が行われました。写真は「進行」の重廣恒夫関西支部長。
77年日本人初のK2登頂、80年の北壁からのチョモランマ登頂、
96年の日本百名山123日連続踏破などで有名な人です。



高野山大学奥山教授の「河口慧海の道を追うー日本人初の
ヒマラヤ越え」の講演のあと、吉野山金峯山寺の田中利典
執行長の「役行者と修験道」の講演がありました。
二一世紀は自然と人間の「共死」の時代で、自然が滅びれば
人類も滅びるという結びのお話は強く胸をうちました。



会場外の展示です。「中央分水嶺関西支部担当区間」と「紀伊山地
の参詣道を辿る」の地図と写真を展示しました。



講演後の記念式典では、平山善吉日本山岳会長の挨拶や、高野町長ら
の挨拶、阿部前支部長の「支部70年の歩み」報告などがあり、
暗くなってから宿舎の遍照光院へ移動。会席スタイルで精進料理を
般若湯を楽しみました。

窓際の板の間まで参会者で一杯の宴会風景です。



余談ですが、昼間、「般若湯」という酒屋の看板をみて、銭湯と
間違えた人がいました。また昼食に入った食堂のメニューに
「泡般若」「生般若」というのがあり、さすが高野山と感心しました。

我が家の花 (11.04)

2005-11-04 16:54:05 | 花日記
朝のうちは濃い霧だったのですが、9時を過ぎてようやく日が
射してきました。
シシンランの花も嬉しそうです。



これはどこにでもあるセイジ。近くでよく見ると可愛い花です。



近所で頂いたシュウメイギクを鉢植えにして、柿の実をザルに
一杯もぎました。