小豆島には他にもいろいろな見所があるのですが、16日は島内に僅か4時間足らずの滞在
で、寒霞渓の他には行くことができませんでした。
ただ、帰りに島北部の小海にある道の駅「みなとオアシス」でトイレ休憩がありました。
この道の駅は「大阪城残石記念公園」の中にあるので、大急ぎで公園を見て回りました。
この碑の横にある土庄町教育委員会の説明板によると、小豆島には大阪城築城の石切り場
が小海だけでも6個所あったと古記録にあるそうです。
この防波堤の上には「とうふ形」に切られた石が積みだされることなく40個ならび、
砂浜にも数個残されています。
これは「残念石」と呼ばれ、各所に散在していたものを明治初年にここに集めたもの
です。
修羅
修羅は大石を運搬するのに乗せる木の枠で、右のひもでロクロにつながっています。
ロクロは石を持ち上げる石揚げ機。いまでいうウィンチの役割ですね。
水の上を運ぶ仕組みを再現しています。他に資料館もありましたが時間がありません
でした。
これは昼、出港前に日生港で見た「与謝野晶子の歌碑」
「妻恋いの 鹿海越ゆる話聞き それかと見れば 沖の鶴島」
鉄幹・晶子夫妻が日生で舟遊びをした時の歌といわれています。碑の字は孫の衆議院議員・
与謝野馨氏の筆だそうです。
で、寒霞渓の他には行くことができませんでした。
ただ、帰りに島北部の小海にある道の駅「みなとオアシス」でトイレ休憩がありました。
この道の駅は「大阪城残石記念公園」の中にあるので、大急ぎで公園を見て回りました。
この碑の横にある土庄町教育委員会の説明板によると、小豆島には大阪城築城の石切り場
が小海だけでも6個所あったと古記録にあるそうです。
この防波堤の上には「とうふ形」に切られた石が積みだされることなく40個ならび、
砂浜にも数個残されています。
これは「残念石」と呼ばれ、各所に散在していたものを明治初年にここに集めたもの
です。
修羅
修羅は大石を運搬するのに乗せる木の枠で、右のひもでロクロにつながっています。
ロクロは石を持ち上げる石揚げ機。いまでいうウィンチの役割ですね。
水の上を運ぶ仕組みを再現しています。他に資料館もありましたが時間がありません
でした。
これは昼、出港前に日生港で見た「与謝野晶子の歌碑」
「妻恋いの 鹿海越ゆる話聞き それかと見れば 沖の鶴島」
鉄幹・晶子夫妻が日生で舟遊びをした時の歌といわれています。碑の字は孫の衆議院議員・
与謝野馨氏の筆だそうです。