1月24日の話なんですが…
エクアン城は
パリから18.4km北に位置する
Écouenにあるお城です
パリ北駅からSNCFで30分にも関わらず
駅周辺は想像を絶するくらいド田舎の様相
恐ろしいくらい何ない!
駅から町を巡回しているバスでも行けますが
歩いてもいける距離
と言うので
歩いてみまいした
人っ子
ひとりいない閑散とした森?
民家も見当たらず
遭難なんてしないよな~
と心持やや不安になりつつも
城壁を発見!
城の敷地内に入り
歩くこと数分
無事
エクアン城に到着
今回も
ルーブル学生証大活躍です!
旅客機が
やたらと上空を飛んでいると思ったら
エクアン城の上空は
シャルル・ド・ゴール空港へ離着陸する
飛行機の空路となっているらく
旅客機の着陸寸前や離陸直後
機内の窓を見下ろすと
エクアン城が見えることもあるらしい
12世紀には
Écouen一帯の土地を
モンモランシー一族が所有していたらしく
エクアン城が
現在の形にほぼ完成したのは16世紀半ば
当主であるアンヌ・ド・モンモランシーが
エクアン城建築にあたり出した希望は
防衛を第一目的とした中世の城とは違い
優美さと合理性を兼ね備えた新しいタイプのお城でした
彼の死後
エクアン城は
様々な所有者の手を経たとのこと
フランス革命の頃
城内に飾っていた調度品は
売却されるか熔解されてしまい
現在では
当時の様子をうかがい知ることは出来ません
1807年
皇帝ナポレオン1世の命で
レジオン・ド・ヌール受勲者の娘達の為の
寄宿学校がエクアン城に設立されます
彼女たちの教育を任されたのは
王妃マリーの女官長だったマダム・カンパン
学校がルネサンス美術館設立に際して
移転するまでの約150年間
エクアン城は
選ばれた少女たちの養育の場であったのです
『ルネサンス美術館 - エクアン城』より引用
チケット売り場を兼ねている売店を抜けると
当時の天井の装飾が鮮やかに残る礼拝堂があります
そのゴシック様式の礼拝堂の天井中央には
アンヌ・ド・モンモランシーと
その妻のマドレーヌ・ド・サヴォワの紋章が
描かれています
運が良いと
このパイプオルガンの解説付き演奏に
遭遇することが出来ます
脇にある棒を調節することにより
まったく異なる
3種類の音色を奏でる事が出来る
優れモノでした
何故か
レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』のレプリカがこんなところに…
エクアン城は
パリから18.4km北に位置する
Écouenにあるお城です
パリ北駅からSNCFで30分にも関わらず
駅周辺は想像を絶するくらいド田舎の様相
恐ろしいくらい何ない!
駅から町を巡回しているバスでも行けますが
歩いてもいける距離
と言うので
歩いてみまいした
人っ子
ひとりいない閑散とした森?
民家も見当たらず
遭難なんてしないよな~
と心持やや不安になりつつも
城壁を発見!
城の敷地内に入り
歩くこと数分
無事
エクアン城に到着
今回も
ルーブル学生証大活躍です!
旅客機が
やたらと上空を飛んでいると思ったら
エクアン城の上空は
シャルル・ド・ゴール空港へ離着陸する
飛行機の空路となっているらく
旅客機の着陸寸前や離陸直後
機内の窓を見下ろすと
エクアン城が見えることもあるらしい
12世紀には
Écouen一帯の土地を
モンモランシー一族が所有していたらしく
エクアン城が
現在の形にほぼ完成したのは16世紀半ば
当主であるアンヌ・ド・モンモランシーが
エクアン城建築にあたり出した希望は
防衛を第一目的とした中世の城とは違い
優美さと合理性を兼ね備えた新しいタイプのお城でした
彼の死後
エクアン城は
様々な所有者の手を経たとのこと
フランス革命の頃
城内に飾っていた調度品は
売却されるか熔解されてしまい
現在では
当時の様子をうかがい知ることは出来ません
1807年
皇帝ナポレオン1世の命で
レジオン・ド・ヌール受勲者の娘達の為の
寄宿学校がエクアン城に設立されます
彼女たちの教育を任されたのは
王妃マリーの女官長だったマダム・カンパン
学校がルネサンス美術館設立に際して
移転するまでの約150年間
エクアン城は
選ばれた少女たちの養育の場であったのです
『ルネサンス美術館 - エクアン城』より引用
チケット売り場を兼ねている売店を抜けると
当時の天井の装飾が鮮やかに残る礼拝堂があります
そのゴシック様式の礼拝堂の天井中央には
アンヌ・ド・モンモランシーと
その妻のマドレーヌ・ド・サヴォワの紋章が
描かれています
運が良いと
このパイプオルガンの解説付き演奏に
遭遇することが出来ます
脇にある棒を調節することにより
まったく異なる
3種類の音色を奏でる事が出来る
優れモノでした
何故か
レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』のレプリカがこんなところに…