庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

兆民

2007-06-20 23:04:15 | 拾い読み
切れた煙草を買いに伊予鉄高島屋まで行ってきた。私のパイプ煙草は市内ではここにしか置いていない。自転車散歩で往復約1時間の道程はなんも苦にはならないが、梅雨空や暑い季節には多少億劫になることがある。夕方の買い物のついでにと家人にたのんだら、あんな遠い所まで・・・と軽く断られ、必需品ならまとめて買っておくべきだと諭された。

自宅から高島屋まで自転車を漕ぐ道中に、堀ノ内公園があり県立図書館がある。せっかくだからと帰りにちょっと寄って、兆民を2冊。まだ通読したことがない『続・一年有半』と、拾い読みの域を出ていない『三酔人経綸問答』。三酔人の方は、本箱のどこかに隠れているはずだが、探し出すより早いだろうとついでに借りた。

久々に見る三酔人の面白いこと。夕食をはさんで一気に読み終えた。やっぱり兆民はすごい。ほとんど日本近代の預言書として読んでも充分に面白いのではないかと思われる。加藤周一がこれを兆民の「不朽の作品」の一つにあげ、「けだし、三酔人のいうところの多くは、ほとんどそのまま一世紀後の今日の政論家の説に通じる」(日本文学史序説・下・p286)と評したままの感想だ。

洋学紳士の言説は、その後、豪傑君の情熱の大半が現実のものとなり、現実化されたが故に厳しく破綻するという歴史を経てきた日本だからこそ、100年以上後の現在に正しく強く響いてくるものがある。豪傑君の間違いは歴史的に証明され、南海先生の憂慮は歴史的に解消された・・・と理解することもできるだろう。

それと、嬉しかったのは『続・一年有半』。係りが書庫から引っ張り出してきたのが、この明治38年20版のものだ。定価金参拾八銭(38銭)とある。これはこれから、過ぎた世紀の匂いを楽しみながら、少しじっくり読みこむことにする。





断崖でさえ

2007-06-20 12:17:12 | 言葉
For happiness one needs security, but joy can spring like a flower even from the cliffs of despair.
- Anne Morrow Lindbergh

幸福には安全が必要だ。しかし、絶望の断崖でさえ、喜びは花のように湧き出してくる。
- アン・モロー・リンドバーグ


彼女は夫のC・リンドバーグよりも20年以上長く、2001年、95歳まで生きた。その生涯が平穏無事だったわけではない。夫と同様、生来内向的で海辺の静けさを愛した彼女が、その名声に付随して体験することになる地上の苦悩と天空の危険は、彼女を何度か“絶望の断崖”に立たせたことだろう。それでも“喜びは花のように”数限りなく涌出して彼女の生命を満たし、その天寿ともいえる一生を全うさせたのである。