昨日「梅雨空が戻って来てなんだかホッとした」なんて書いたら、一夜明けて本日、気象庁が西日本の梅雨明け宣言を出した。例年よりかなり早いが、何にしても今年も本格的な夏が来てくれて私は嬉しい。堀江の浜で19㎡の痛んだプーリー交換の方法をF君に教えてもらいながら、缶コーヒーで梅雨明けのカンパイをした。これからいよいよ、“あの”別府と小松の季節なのだ。
私と同世代のF君いわく「年寄りには残り時間が少ないのだから、(残り時間の多い若者よりも)一生懸命やるのは当然だ・・・と若い仲間には言っている」。もちろん半分冗談だが、彼のことだから半分は本気だろうと、なんだか感心した。自分の本当にやりたいことに、真っ直ぐに取り組んでいる人間の姿ほど美しいものも少ない。
暦計算では、私もあと3年で還暦を迎える年齢に達した。それなりの「歳月を重ねた」ことは事実だ。たしかに、数十年前の自分と比べると身体の動きは徐々に硬くなってきている。ところが若い時の予想に反して、精神の動きははるかに柔らかくなってきている。「歳を取ると考え方が硬直化し頑固になる」という巷間(こうかん)の常識はまったく当てはまらず、事実は逆だ。こんな「非常識」な人間は、同時代に限らず、歴史的にも地理的にも広く存在するので、そう珍しい現象でもないらしい。
中国や日本の長い歴史を通じて、実に多くの人々に影響を与えた続けた孔子という人物は、彼の人生を10年区切りに整理し、「吾(われ)十有五(15)にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑はず、五十にして天命を知る。六十にして耳順ひ、七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰(こ)えず」と言っている。四十の「不惑」の字義は「惑(まど)わない・迷わない」ではなくて、「狭い枠にとらわれない」といったほどの意味だ。四十歳を超えた頃の私は、「不惑からはほど遠いなぁ・・・」と、ごくたまにだが、ため息をついた。そして、20代、30代で逝ってしまった何人かの友人が、「惑わず」も「天命」も「不惑」も知らなかったとは、簡単には思えない。
単なる物理的時間で人間の年齢を測ることに、大きな意義を感じることがない私の理由はこの辺りにある。この世界に二つとはない大切な一人の人間の人生は長短さまざまで、この世界に「絶対的」な何かがあるとするなら、それは神や仏ではなく、この「一人の人間の生命の大切さ」だと私は信じている。この絶対の世界を年齢という相対のモノサシで測ることにどれほどの意味があるというのか。
ちなみに、孔子の『論語』は現代でもなお多くの経営者にも、座右の書の一つとして教訓を与え続けているが、じゃあ、現在の教育論では非常に大切だとされる15歳までの幼少年期はどうしてたの?・・・と聞いても記録がないから分からず、72歳までしか生きなかった彼に、今では珍しくない80代、90代の人生指針を聞くことはできない。
こう書くと、なにか「論語読みの論語嫌い」のように響くかもしれないが、とんでもない。私は『老子・荘子』や『孟子』と並んで、かなりの『論語』好きである。
若干困ったことに先日、5~6年前から使っていた外付けハードディスクが、突然クラッシュした。まあ、主にバックアップ用だったから、痛痒(つうよう)はないけれども、マメに残していた大量の写真画像や動画などはみな消えてなくなってしまった。
信頼していたIOの250GBだったのだが、原因は常時通電のオーバーヒートによるものではないかと思う。ヘビーユーザーのハードディスクの寿命は3年~5年が当たり前だという。まあ、今は1TBが数千円で手に入る時代で、最近の外付けハードは動く必要の無いときは通電量を落とす節電機能なるものが付いているらしい。
そういえば、何年か前に愛用のノートPCがハードクラッシュを起こしたときの経緯(いきさつ)を書いたことがあったなぁ・・・と、4~5年前のブログ記事に検索をかけたら、懐かしい記事がいろいろと出てきた。ブログ管理を簡素化しておくためにも、目ぼしい記事は徐々にこちらに移動することにする。
YBBからNTTへ (私のPC歴)
「この数年お世話になったYahooBBから思い切ってNTTの光フレッツに変えることにした。思い切ってというのは、ホームページやらメールアドレスの件があって長い間躊躇していたということがあるのだが、これが実は杞憂であることが分かった。
ソフトバンクもこういう顧客が多いことを想定してちゃんとそれなりのサービスを用意しているのだ。ジオシティーズ・ライトとかゴールドとか・・・今日の解約申し込みの電話では解約ではなく休止ということにすれば、月額300円ほどかかるが、ネット接続を除いて今まで通り何の支障もなくYahooBBのサービスを継続することができることを知った。次のサーバーは老舗のニフティが運営する@ニフティに決めた。これで、サーバーの全体容量も幾らか増えるので、少々大きなファイルも安心してUPすることができるだろう。
ウィンドウズ95が出てすでに12年、干支が一回りしたわけだが、この間のインターネットやパソコンの技術革新は目まぐるしかった。ほとんど驚異的と言ってよい。私が手にしたWin95最初のPCは14インチモニター一体型のNECキャンビーだった。(当時25万円、今これだけ使えばかなりの性能のデスクトップが3台は買える。)Win3.1に比べると格段に扱いやすいOSになって、随分多くの時間をワクワクしながら、時にはノイローゼになりそうなくらい熱心にこの世界との付き合いを始めた。
ちょっと振り返ってみると、私のパソコンの原点は25年前のまだマイコンと呼んでいた頃のシャープMZ7000だ。これを安月給をはたいて購入したときの嬉しさは格別だった。モニターは家庭用のテレビ、プログラムはBASICをカセットテープで小さなメモリに何分もかけて読み込ませてから更にゲームソフトのテープを読ませる。それでやっと『スタートレック』などのアドベンチャーゲームみたいなものが楽しめる・・・というもので、ともかくゲームがしたくて始めたようなものだった。
そして、このBASIC言語を何日もかけて組んでやっと完成させ大喜びしたのが単純なピンャ塔Qームだった。これで充分感動できた時代だ。このゲーム熱も数年後にファミコンなる万能ゲーム機が出て一挙に冷めてしまうことになる。
12年前のネット環境は今から考えるとバカ高い料金の従量制で、ピーヒョロと鳴く14.4Kbpsのモデムで、常に時間を気にしながら100kb程度の(楽しい)画像を落とすのに何十分もじっと待っていたこともあった。これが今や100Mbpsの時代だ。ざっと1000倍の速度!
HPを中心とするネット上の情報の総量も圧涛Iに少なかったけれども、英語サイトの文書類にはかなり使えるものがあった。すごい時代になったな!これからもっとすごいことになるだろうなー・・・と考えていた。そして、その通りになった。PCのCPUやハードなどはもう言葉にもならないくらい大変なもので、私の想像をはるかに超えていた。メガバイトの単位のハードディスクの容量がギガバイトになったのだから、これも単純に1000倍進歩したということになる。10年ちょっとで1000倍に変化するものなんて、第一次世界大戦後のドイツを除いては、終戦直後の日本の物価くらいのものだろう。
人間の環境適応能力は全ての動物に優れる・・・という人がいる。私もある程度はこの説に賛同するが、しかし、どんどん前に進むだけが人間の幸せでないことも良く知っている。つまり、日の当たる進歩の裏にはおそらく同程度の退歩の影がくっ付いているという見方をする。長い目で見た場合、その退歩・後退が人類の存続にとって決定的な負荷になり、取り返しの付かないものにならないことを、とりあえず今は願うよりないのかもしれない。」