庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

粟井 (なんでか北西風)

2011-07-25 21:05:00 | 海と風

今日はたぶん曇り空で涼しくなるだろうから、久々に庭仕事でもしようかなぁ・・・と午後のひと時を予定していたら、なんでかそこそこの北西風が入ってきた。これは・・・やっぱり海に出かけるしかないだろう・・・ということで、潮具合の良い粟井エリアへ。19㎡で20kmほど。

それにしても、一年ほど前からカイトに出かける回数が圧涛Iに増えた。去年の夏、私の体重は80kgを超えていて、もっとも調子の良い70kg前半からすると、かなり際どいところまで来ていたようだ。

その頃のある日、何気ないジャンプをして両脚をグイと引き上げたら、ハーネスで抑えられて行き場を失った腹の脂肪が下から肋骨を圧迫して、肋軟骨が折れた、パキッと音を立てて・・・こんなことは想像したこともなかったことだ。

それから、私は本気でダイエットというかメタボ対策を始め、慣れない腹筋運動などというものを日課に加えたりしたのだが、何といっても効果があったのは、海に出かける回数の増加だった。

ちょうど去年の今頃から、F君の影響やことの成り行きで、愛用カイトをインフレータブルからラムエアに代え、19㎡を手にしてからは、それまでのおよそ2倍に近い時間を海岸や海上での運動に使うことになった。

もともとは、このフライサーファーのラムエア19㎡は、まあ微風用に一枚持っていても良いかな・・・程度の気持ちで購入したもので、これがこんなに頻繁に活躍するようになろうとは夢にも思ってなかった。

私は、カブリナのインフレ15㎡で海上を走り始めたのだが、1年も経って、クロスボウという13㎡を気に入ってからは、もう重たい15㎡は使う気になれず、大概の風はこの13㎡一枚で間に合うようになっていたのだ。

その感覚で19㎡というと、とんでもない面積だから相当に扱いにくいに違いなく、まあ風のない夏の季節に何度かお世話になれば良いかな・・・ぐらいの気持ちでいたのだった。

ところがどっこい・・・何でも自分でやってみないと分からない。この19㎡はとんでもない性能を持ったカイトなのだった。断っておくが、私はドイツのフライサーファー社の回し者ではない。

つづく・・・と思う^^;

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なんとか原理主義

2011-07-25 11:48:00 | 言葉

ノーベル賞のホスト国であり、村上春樹のベストセラー小説の題名の一部にもなった、あの美しい森の国ノルウェーで、やりきれないテロが起きた。

32歳の極右キリスト教原理主義を信条とする男が、ほとんど10代の大勢の若者たちを、恐らく何のためらいもなく射殺した・・・ということだ。

彼(か)の国々で近年増加し続ける移民労働者が、自国民の就職状況を悪化させたり、民族の誇りを傷つけたりすることが気に入らなくて、この残忍極まりない犯行に及んだらしい。

いわゆる「何とか原理主義」・・・私の頭の中のヘッャR辞書では、「原理」は「ある現象を成立させる基本法則」で「主義」は「好み」程度のものなのだが、「現象や法則」は自然界には満ち溢れていて、「好み」は人の数だけある。

ところが、なんとか原理主義者と呼ばれる人たちの中には、往々にして、自らが好みの原理や主義を絶対的に正しいものとし、他の原理や主義の存在を認めようとしない狭量な人間が存在する。

つまりは独善と非寛容ということなのだが、どちらも人間の幸福にとっては無用の長物であることに気が付かない人が、何ゆえに後を絶たないのか・・・すでに数千年を経る私たちの歴史に少し目を通せば、その間違いにすぐにでも気づくはずなのに・・・。

およそ、人間が創(つく)り、認識できるモノゴトの中に絶対的な何かは存在しない。

なぜなら、「あれ」の存在がなければ「これ」の存在もありえないからである。この世界の存在認識は相対化することによってのみ成立する。どんなものでも、絶対化すると、その絶対化した存在そのものが意味を失ってしまうことになる。

いちいち例を挙げるのも面唐ネことだが、例えば、全てが液体でできていて気体も固体もない世界では、液体という概念(考え)自体が存在できない。液体は気体や固体が存在するからこそ、それらと相対され区別されて液体として認識されるからだ。青色しかない世界の住人がどうして赤や白を知ることが出来るだろう。

ガリバーは小人の世界に流れ着いて初めて大男になった。彼が絶対的な神の存在を信じていたかどうかは忘れた。しかし、神が人間を創ったのか、人間が神を創ったのか?・・・と問われれば、私は躊躇(ちゅうちょ)なく後者に一票を入れる。

そして、私は「信の世界」を決して否定しない。この「信」を巡る私の思いつきはまた後で書く。