昨夜、テレビの報道番組で最後の部分をちょっとだけ観たに過ぎないが、 瀬戸内寂聴の言葉を重く聞いた。「私は我が身を挺(てい)して原発に反対する。私たちの子孫にこんな浮「ものを残してはいけない。」 もと流行作家で既に九十歳になろうとする天台尼僧の口調は静かで力強く響いた。
その他多くの原発反対者と同様、私もずいぶん以前から原発には反対の意見を持っている。とりあえずどのように「身を挺(てい)し」たら良いのかは、今のところ分からないけれども、日本でも一応「言論の自由」は保障されているので、ここでもハッキリと「原発は一刻も早く廃止すべきである」と発言しておく。
その理由についても、多くの反対者が語っているのとほぼ同じ内容なので、改めて言うまでもない。ただ、一点だけ、「それは大自然の摂理に根本的に反しているからである」ということは、軒の上に何十の軒を重ねることになっても、繰り返して強調しておきたい。
およそ、原発好きな方たちが、??「原発はいらないというが、電気が無くなってもいいのか!?」などと言う口調は、世界の人々或いはその他の全ての生き物たちの生命よりも、国家という人工制度の方が好きな人たちが、「(憲法9条に関して)軍隊はいらないというが、他の国に攻撃された時、黙って殺されてもいいのか!?」という語り口とよく似ている。
私は、日本では自衛隊という世界有数の軍隊組織を作りあげるだけの国家的労力を、一切の敵対国を作らないことに傾注する気持ちが少しでもあれば、このような発言はできず、同じく、大自然が潜在する実に多様なエネルギー源を利用することに少しでも関心を持てば、そのような発言も出て来るわけがないと思うのだが、どうだろう?
興味がある人は、どのような方たちが、その「国家好き」や「原発好き」か、ちょっと突っ込んで調べてみるといい。たぶんビックリするほど明瞭(めいりょう)な事実に気が付くだろう。
この数十年、ナチュラリストの一人として、じっくりと大自然の膨大かつ絶妙な力用(りきゆう)と付き合ってきて得た貴重な結論の一つは、自然と言っても、宇宙と言っても、一切法界と言ってもいいのだが、ともかく「私たち人間はそこから生まれそこに帰る存在であり、一時たりとも、その母体とも言える「大自然」から莫大な慈悲や恩恵を受けていない時はない」という事実である。
英語では、原発は原爆と同じで、頭に"NU-CLEAR"が付く。どこがクリアなの?"NO-CLEAR"にしたら・・・と、ちょっと突っ込みたくもなるが、それはともかく、この広い地球上のどの生命圏を探しても、物質の基本要素を、つまりは大自然やその中で生きる生命の根源的存在である原子を「破壊すること」で、何らかの力を引き出すなんてバカげたことをするものはいない。
人間だけが、その大恩を受け続けている自然世界に無理と不合理の限りを尽くしているとも言える。「恩を仇(あだ)で返す」という言葉があるが、原爆は言うにおよばず、原発もまた全く同様の仕方で、人間は自らを生み出し生かしている存在を裏切り続けているのではないのか。
天に向かってツバを吐くとそのまま自分に返ってくる。これは単なる諺(ことわざ)ではなく、地球の重力作用という厳然たる物理法則でもある。
また、人間や自然を慈愛する人は、いずれ人間にも自然にも慈愛されようになる。人を尊敬する人は人に尊敬される。親切にする人は親切にされる。逆に、人を恨む人は人に恨まれる。バカにする人はバカにされる。騙す人は騙される。裏切る人は裏切られる。苦しめる人は苦しめられる・・・など等の人間社会でよく見られる現象も含めて全て、単に道徳律に反するからというだけではなく、作用に必然的に伴う反作用という普遍の物理法則だからでもあろう。
これが「人倫の基本は自然界の懐(ふところ)に在り」とする私の根本的な原発反対理由である。