全ての生き物たちが長短の呼吸と共に生きているように、地球という大生命体にも大きな呼吸というリズムがある。これが単なる気象学的定義を超えた、いわば生命的・哲学的意味での「風の本質」だと言ってよい。
『風の博物誌』のライアル・ワトソンは、数十年前に、これを"Breath Of Heaven"「天の息」と呼んで、のちのトレンドとなるガイヤ(地球生命体)理論に先鞭を付けた。
呼吸は呼気(吐く息)と吸気(吸う息)とその間の間(ま)で成るわけだが、風読みの世界にいる人間は誰でも、一定時間の風の後には、必ずお休みの間が生まれるということを知っている。
数日間順風に恵まれた別府も、昨日は静かな様子だったのだが、昼過ぎたころから、少々西風の匂いがしてきた。今日はM君の顔も見たいし、カトちゃんも来るかもしれない。どのみちお盆の里帰りで、道中別府エリアを通る。
やはり、それなりの南西ブリーズが入り、皆さんそれなりの走りで楽しむことができた。久しぶりにM君の走りを見たが、ちゃんとジャイブスイッチをマスターしている。身軽な彼にはトルク重視の12平米に適当な板を組み合わせれば、大概の風で走れそうだということもよく分かった。
カトちゃん・・・グラハン4回目。今日は10平米を使う。M君、石やん・・・サメ[トありがとう^^。人に何かを伝えたり教えたりすることは、そう楽な作業ではないが、人のために何かをしようとすることで、返って自ら得るものが如何に大きいか・・・。
またしてもサーフィンの話しが出て来る。その発祥地であるハワイアンの基本精神の一つは"
Giving Spirit"であり、私も敬愛するジェリー・ロペツやメ[ル・ストローチなどは、まさにその体現者だ。ジェリーは「自分に何もなくなっても与え続けようとすること」、メ[ルは「与えたものが自分の中からなくなることは永遠にない」・・・と語っている。もう少し言うと、ハワイアン・スピリット中には、他に"
Respect"がある。「人を尊敬すること」・・・恐らくこれらの精神は、遠く古代ャ潟lシア文明にまで遡ることのできる、人類の倫理遺産と言っても良いものだろう。
また、或る仏典には、釈尊の前生譚(ぜんしょうたん・前世のお話し)として、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)という人物が出てくる。人を軽んじない菩薩という意味だ。貧しい身なりで、どんなに罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ、殴られ、石を投げられたりしても、「私はあなたを敬う。全ての人には仏性という、尊極の生命が内在しているからだ」と、自分を迫害する人たちを拝んで廻る姿だ。
ジェリーの話の中には、ハワイ文明から古代ャ潟lシアに至り、更にそれらと古代インド文明との関係に触れる部分が出てくるのだが、この辺りの不思議ともいえる相関性について、私の興味が尽きることはないだろう。