同僚のお父さんのお通夜(みたまうつし)に参列しました。
いつも思うのですが、葬儀は当然その家のしきたりに習って行われるため、作法がよく分からない場合があります。仏教は数珠を使いますが神道は使いませんし、逆に神道で配られる清めの塩は仏教では必要ありません。どこまで相手に合わせ、どこまで自分式で良いのか、いつも図りかねます。
特に困るのが今回のような天理教の場合です。自分は今回二度目だったので、数珠をしまい、玉串奉献も恐らく正しくできたと思われるのですが、周りは適当に合わせてやっているようでした。かくいう自分も4度の忍び手というのはすっかり失念していたので、普通に2度で済ませてしまいました。「こうしてください」なんて説明があれば親切だと思うのですが、それもご法度なのでしょうかね。実際、行ってみないと分からないのに、御仏前か御霊前かも判断できませんな。別に先方が何とも思わないにしても、失敗したと気づくとやはり決まりがわるいものです。全ての葬儀マナーを覚えておき、事前に備えて合わせるには、スキルが足りなさ過ぎるのかなぁと思いました。
せめて先に一言教えて欲しいのですが・・・それ所でないのも分かるのが辛いですね。
いつも思うのですが、葬儀は当然その家のしきたりに習って行われるため、作法がよく分からない場合があります。仏教は数珠を使いますが神道は使いませんし、逆に神道で配られる清めの塩は仏教では必要ありません。どこまで相手に合わせ、どこまで自分式で良いのか、いつも図りかねます。
特に困るのが今回のような天理教の場合です。自分は今回二度目だったので、数珠をしまい、玉串奉献も恐らく正しくできたと思われるのですが、周りは適当に合わせてやっているようでした。かくいう自分も4度の忍び手というのはすっかり失念していたので、普通に2度で済ませてしまいました。「こうしてください」なんて説明があれば親切だと思うのですが、それもご法度なのでしょうかね。実際、行ってみないと分からないのに、御仏前か御霊前かも判断できませんな。別に先方が何とも思わないにしても、失敗したと気づくとやはり決まりがわるいものです。全ての葬儀マナーを覚えておき、事前に備えて合わせるには、スキルが足りなさ過ぎるのかなぁと思いました。
せめて先に一言教えて欲しいのですが・・・それ所でないのも分かるのが辛いですね。