【戦後70年談話】首相談話全文
アメリカの時も思いましたけど、安倍総理のスピーチは非常にバランスの取れた秀逸な文章ですね。
当然総理の思惑は「もう何十年も経つのに未だに謝り続けるのっておかしくね?俺関係ないし…」ということでしょう。実は彼は第一次安倍内閣発足時、歴代初の戦後生まれ首相だったのです。いつまでも戦後何年と永久にカウントが続き、その都度国内外から叩かれている現状を何とかしようと、「戦後レジームからの脱却」を掲げていました。もちろん知識として戦争の恐ろしさや悲惨さを学ぶことは必要ですし、常に振り返りながら過去の過ちを繰り返さないために行動することも大切でしょう。しかしどうも現状では、日本の良い面である誠実さとか真面目で勤勉な態度が逆に中国や韓国、共産主義者などにいいように利用されているようにしか思えません。60年代だった第一次政権の時はまだ時期尚早だったかもしれませんが、やはりどこかで区切りをつけないと、それこそほぼ全員が戦後生まれになるだろう100年経っても事態は変わらないことになってしまいます。誰かがどこかで区切らないといけないとすれば、初の戦後生まれ首相である安倍首相ほどふさわしい人物はいないのです。
テレビの戦争特集を見ていると、どうも「戦争を知らない世代」を嘆かわしい存在として捉えているものがほとんどですが、正直こう毎年毎年同じことを言われ続けるのは自分もうんざりしています。我々は当然戦争は知りませんが、いくら本を読んだり話を聞いたりテレビを見たりしても、実際に体感できるものではありません。70年というとほぼ世界の平均寿命であり、いわば前世に等しい話です。今の子ども達はもう祖父母すら戦争を知らない世代が多いわけで、学校でも戦争体験者の話を聞く機会がありますが、もうそういう方も戦地へ行った人は少なく、子ども時代の苦労話くらいなのです。つまりもう加害体験ではなく、被害体験なのですね。子どものケンカだって叩いた方より叩かれた方がいつまでも覚えているものですが、そういう意味で戦争の記憶がだんだん薄れていくのはむしろ喜ばしいことであり、もう平和を当たり前に享受できている非常に恵まれた存在なのではないかと思うわけです。原爆は日本の被害体験の最たるものですが、8月6日や9日の認知度が3割だったのは、今で言うと東日本大震災のあった日を「3月11日?何かあったっけ?」と言っているに等しいわけです。これもまたいずれは必ず起こる現象であり、その都度不謹慎だと憤ることは簡単ですが、別の見方をすれば「あの惨状を忘れるほどの年月と復興が進んだ」ということを意味しているのです。果たして嘆かわしいのか、恵まれているのか、どちらでしょうか・・・?
もちろん今述べたことは国内観と言うべき戦争の被害者的側面であり、国外に及ぼした加害行為についてはちゃんと被害者の立場に立って謝罪、反省をすることは必要でしょう。しかし、これもまた70年が経ち、直接被害を受けた世代というのは既にほとんどいないと思われます。よくある教員ジョークで、「4月(前期)にこのクラスは大変だと言うのは分かるが、それを10月(後期)に言い出すのは最早前担任のせいでなく自分の指導力の問題だ」というものがあります。いつまでも文句ばかり言ってないで努力しろということですね。日本はこれまで十分な謝罪と賠償を行い、今現在他国に今だ戦争後の焼け野原のまま残っているような地区は存在しないでしょうし、もしあったとしても最早それは70年放置した方の責任だといえるでしょう。事実国同士の戦後補償問題は完全かつ最終的に解決しているわけで、後はもう心情面くらいしか残っていないのですが、現在も歪んだ教育によって新たないさかいの種を植え付けられ、忘れられなくなってしまったた人達が大勢いるのは既に日本でなくその国独自の問題だと捉えるべきでしょう。戦争中は、教育やメディアが一丸となって敵国の悪い情報を流し、味方のそれは伏せて戦意を煽るものですが、中国や韓国は今でも正ににそのような状態なわけです。いつまでも口を開けて餌をたかる雛鳥の真似をして恥ずかしくないのでしょうか。中国などは既に日本を抜くほどの経済発展を遂げたわけですし、いちいち過去を蒸し返すような真似は大人気ないと思います。韓国は・・・どうでもいいや(笑)
この談話の前に「侵略、おわび、反省、植民地」などのキーワードに拘らないと発表したら、案の定ものすごい勢いで反発を浴びてしまいました。しかし今回の談話を読むと、ちゃんとその文言は入っているものの、その使い方が絶妙であることが分かります。キーワードを入れたという既成事実は否定できず、かといって反発していた人が意図していた使われ方ではないので、「ぐうの音も出ない」というのが本音ではないでしょうか。総理の側近によほど優秀なブレーンがついているのでしょうね。しかも読んでいくと、後半に「日本を許してくれた国に感謝」という文言があり、これからは謝罪でなく他国に感謝しながら未来へ進もうと言う転換が図られていることも読み取れます。日本人って結構「ありがとう」の意味で「すみません」を使い、新人の頃はよく「何謝ってるの、そこは『ありがとう』でしょ。」と注意されたものですが(笑)70年の節目を機に、今までのような謝罪でなく感謝しながら付き合っていこうよという転換は非常に日本的で共感できるものではないでしょうか。朝日などは「謝罪の意が薄まった」「許されたかどうかは相手が決める」などと的外れな批判していますが、そんなことは当たり前であり、この大きな方針転換を読み取れないような新聞社はもう過去の遺物となっていくことは免れないでしょう。
今日の日経は、「車を運転する時バックミラーを見ることは大切だが、当然常に前を見ていないと必ず事故を起こす」という非常に的確な例え話が紹介されていました。歴史もまた交通状況と同じく流動するものであり、後ろばかり振り返っていては決して前に進めません。現在は国際社会と強調して歩を進めるのが重要であり、歴史をたまには顧みながらも世界平和の維持のため、国内法や国際法の範囲内でできる手助けは積極的に行い責務を果たすことが、これまでとこれからの日本が変わらずに進むべき道なのではないでしょうか。
いずれにせよ、80年談話はもう要りませんね。
アメリカの時も思いましたけど、安倍総理のスピーチは非常にバランスの取れた秀逸な文章ですね。
当然総理の思惑は「もう何十年も経つのに未だに謝り続けるのっておかしくね?俺関係ないし…」ということでしょう。実は彼は第一次安倍内閣発足時、歴代初の戦後生まれ首相だったのです。いつまでも戦後何年と永久にカウントが続き、その都度国内外から叩かれている現状を何とかしようと、「戦後レジームからの脱却」を掲げていました。もちろん知識として戦争の恐ろしさや悲惨さを学ぶことは必要ですし、常に振り返りながら過去の過ちを繰り返さないために行動することも大切でしょう。しかしどうも現状では、日本の良い面である誠実さとか真面目で勤勉な態度が逆に中国や韓国、共産主義者などにいいように利用されているようにしか思えません。60年代だった第一次政権の時はまだ時期尚早だったかもしれませんが、やはりどこかで区切りをつけないと、それこそほぼ全員が戦後生まれになるだろう100年経っても事態は変わらないことになってしまいます。誰かがどこかで区切らないといけないとすれば、初の戦後生まれ首相である安倍首相ほどふさわしい人物はいないのです。
テレビの戦争特集を見ていると、どうも「戦争を知らない世代」を嘆かわしい存在として捉えているものがほとんどですが、正直こう毎年毎年同じことを言われ続けるのは自分もうんざりしています。我々は当然戦争は知りませんが、いくら本を読んだり話を聞いたりテレビを見たりしても、実際に体感できるものではありません。70年というとほぼ世界の平均寿命であり、いわば前世に等しい話です。今の子ども達はもう祖父母すら戦争を知らない世代が多いわけで、学校でも戦争体験者の話を聞く機会がありますが、もうそういう方も戦地へ行った人は少なく、子ども時代の苦労話くらいなのです。つまりもう加害体験ではなく、被害体験なのですね。子どものケンカだって叩いた方より叩かれた方がいつまでも覚えているものですが、そういう意味で戦争の記憶がだんだん薄れていくのはむしろ喜ばしいことであり、もう平和を当たり前に享受できている非常に恵まれた存在なのではないかと思うわけです。原爆は日本の被害体験の最たるものですが、8月6日や9日の認知度が3割だったのは、今で言うと東日本大震災のあった日を「3月11日?何かあったっけ?」と言っているに等しいわけです。これもまたいずれは必ず起こる現象であり、その都度不謹慎だと憤ることは簡単ですが、別の見方をすれば「あの惨状を忘れるほどの年月と復興が進んだ」ということを意味しているのです。果たして嘆かわしいのか、恵まれているのか、どちらでしょうか・・・?
もちろん今述べたことは国内観と言うべき戦争の被害者的側面であり、国外に及ぼした加害行為についてはちゃんと被害者の立場に立って謝罪、反省をすることは必要でしょう。しかし、これもまた70年が経ち、直接被害を受けた世代というのは既にほとんどいないと思われます。よくある教員ジョークで、「4月(前期)にこのクラスは大変だと言うのは分かるが、それを10月(後期)に言い出すのは最早前担任のせいでなく自分の指導力の問題だ」というものがあります。いつまでも文句ばかり言ってないで努力しろということですね。日本はこれまで十分な謝罪と賠償を行い、今現在他国に今だ戦争後の焼け野原のまま残っているような地区は存在しないでしょうし、もしあったとしても最早それは70年放置した方の責任だといえるでしょう。事実国同士の戦後補償問題は完全かつ最終的に解決しているわけで、後はもう心情面くらいしか残っていないのですが、現在も歪んだ教育によって新たないさかいの種を植え付けられ、忘れられなくなってしまったた人達が大勢いるのは既に日本でなくその国独自の問題だと捉えるべきでしょう。戦争中は、教育やメディアが一丸となって敵国の悪い情報を流し、味方のそれは伏せて戦意を煽るものですが、中国や韓国は今でも正ににそのような状態なわけです。いつまでも口を開けて餌をたかる雛鳥の真似をして恥ずかしくないのでしょうか。中国などは既に日本を抜くほどの経済発展を遂げたわけですし、いちいち過去を蒸し返すような真似は大人気ないと思います。韓国は・・・どうでもいいや(笑)
この談話の前に「侵略、おわび、反省、植民地」などのキーワードに拘らないと発表したら、案の定ものすごい勢いで反発を浴びてしまいました。しかし今回の談話を読むと、ちゃんとその文言は入っているものの、その使い方が絶妙であることが分かります。キーワードを入れたという既成事実は否定できず、かといって反発していた人が意図していた使われ方ではないので、「ぐうの音も出ない」というのが本音ではないでしょうか。総理の側近によほど優秀なブレーンがついているのでしょうね。しかも読んでいくと、後半に「日本を許してくれた国に感謝」という文言があり、これからは謝罪でなく他国に感謝しながら未来へ進もうと言う転換が図られていることも読み取れます。日本人って結構「ありがとう」の意味で「すみません」を使い、新人の頃はよく「何謝ってるの、そこは『ありがとう』でしょ。」と注意されたものですが(笑)70年の節目を機に、今までのような謝罪でなく感謝しながら付き合っていこうよという転換は非常に日本的で共感できるものではないでしょうか。朝日などは「謝罪の意が薄まった」「許されたかどうかは相手が決める」などと的外れな批判していますが、そんなことは当たり前であり、この大きな方針転換を読み取れないような新聞社はもう過去の遺物となっていくことは免れないでしょう。
今日の日経は、「車を運転する時バックミラーを見ることは大切だが、当然常に前を見ていないと必ず事故を起こす」という非常に的確な例え話が紹介されていました。歴史もまた交通状況と同じく流動するものであり、後ろばかり振り返っていては決して前に進めません。現在は国際社会と強調して歩を進めるのが重要であり、歴史をたまには顧みながらも世界平和の維持のため、国内法や国際法の範囲内でできる手助けは積極的に行い責務を果たすことが、これまでとこれからの日本が変わらずに進むべき道なのではないでしょうか。
いずれにせよ、80年談話はもう要りませんね。