世界遺産になっていない観光地としては今一番ホットな場所ではないでしょうか。
三徳山三佛寺は「日本一危険な場所にある国宝(日本遺産)」ということですが、昨年の地震で参拝道が崩れてしまったようでしばらく入山禁止になっており、ようやくGW前に復旧したところでした。写真は対面の山の見晴台から文殊堂と地蔵堂が見えたので撮ったものですけど、投入堂はもう少し左方面にあったらしく、ちょっと確認できませんでした。まあお寺のある道に戻ってもう少し山を進んでいくと投入堂遥拝所というところがあり、そこからピンポイントで投入堂が見えるようになっていますけどね。体力に自信のなさそうなお年寄りのツアー客がたくさん写真を撮っていました。ちなみにココはタダですが入山には800円が必要。自分はもちろんチャレンジあるのみです。
本堂までの石段も普通にありましたけど、その裏手にある入口から投入堂まではさらにおよそ700m、標高差は200mあり、そのほとんどが自然の崖や木の根でできた険しい山道です。毎年のように滑落事故が起きているらしく、そのため入山するにはいくつかの決まりがあります。まず入山できるのは8時から15時までで悪天候だと中止、さらに2人以上でないと入れません。服装や靴にもチェックが入るようで、問題ありならわらじを買うことになるのだとか。とりあえず自分が一番危惧していたのは1人旅だということでしたが、少し待つことも考えて14時頃到着すると、幸運にも丁度今から入山しようとするカップルがいたので、頼んで一緒に行ってもらえることになりました。もちろん生存確認はしつつも邪魔しない範囲で離れて歩きましたけどね(笑)受付で登山届けのように住所や入山時刻、携帯番号など書き、輪袈裟を借りて身につけました。ここからは観光登山ではなく、修行の道、修験道です。
岐阜城の「馬の背コース」にも手を使って登るような険しい場所がいくつかありますけど、ここはスタートからいきなりクライマックスで、常に難所、難所の連続といった感じでした。特に鎖場は体感ではほとんど垂直な崖。尾道の千光寺に石鎚山を模したなんちゃって鎖場体験がありましたけど、本格的に体験したのは初めてでした。ちなみに写真の場所か、もう少し上の文殊堂の辺りがこの前の地震で崩れて鎖を打ち直したところらしく、一方通行になっていました。
登る前に見上げていたお堂まで辿り着きました。折角来たのでぐるっと回りを一周してみましたけど、下を見る勇気はありませんでした(笑)柵もないので落ちたら確実にアウトですね。ちなみにここまで30分。距離的にも時間的にもここが丁度半分といった感じのようです。やはり女性の方には厳しい道だったらしく、ペースとしてはかなりゆっくりめで、後から来た方達にもどんどん抜かされてしまいました。まあ自分1人だったらなるべく早く上がろうと無休憩で一気に上がってしまうのですけど、別に競争ではないですし、カップルに追いつかないよう十分休憩しがてら景色や山の雰囲気を楽しむのも疲れないしたまには良いかなと思いました。この先も難所が続き、地蔵堂、鐘楼堂を経てどんどん進んでいくとようやく勾配が少なくなり、でかい岩壁の中にある観音堂の裏岩を通り抜けると、ついに投入堂が姿を見せました。
手前の木の向こうは崖になっており、とてもじゃないですけどお堂まで登って行けそうにはありません。もちろん立ち入り禁止ですしね。行けもしないのにどうやって建てたのだろう・・・?行者が法力で投入れたという伝説もあるくらいミステリーですな。現代の技術ならまだしも平安時代よりあそこにあったと言うのですから、「あそこにお堂を建てて修行しよう」と思い立った修験者の信念と行動力とはすさまじいものです。
せめて賽銭を投げ入れようかと(笑)10円玉を投げてみましたが半分も届かずに崖の下に吸い込まれてしまいました。見た目以上に距離があるのかな・・・というより自分の遠投力がないだけかも。
三徳山三佛寺は「日本一危険な場所にある国宝(日本遺産)」ということですが、昨年の地震で参拝道が崩れてしまったようでしばらく入山禁止になっており、ようやくGW前に復旧したところでした。写真は対面の山の見晴台から文殊堂と地蔵堂が見えたので撮ったものですけど、投入堂はもう少し左方面にあったらしく、ちょっと確認できませんでした。まあお寺のある道に戻ってもう少し山を進んでいくと投入堂遥拝所というところがあり、そこからピンポイントで投入堂が見えるようになっていますけどね。体力に自信のなさそうなお年寄りのツアー客がたくさん写真を撮っていました。ちなみにココはタダですが入山には800円が必要。自分はもちろんチャレンジあるのみです。
本堂までの石段も普通にありましたけど、その裏手にある入口から投入堂まではさらにおよそ700m、標高差は200mあり、そのほとんどが自然の崖や木の根でできた険しい山道です。毎年のように滑落事故が起きているらしく、そのため入山するにはいくつかの決まりがあります。まず入山できるのは8時から15時までで悪天候だと中止、さらに2人以上でないと入れません。服装や靴にもチェックが入るようで、問題ありならわらじを買うことになるのだとか。とりあえず自分が一番危惧していたのは1人旅だということでしたが、少し待つことも考えて14時頃到着すると、幸運にも丁度今から入山しようとするカップルがいたので、頼んで一緒に行ってもらえることになりました。もちろん生存確認はしつつも邪魔しない範囲で離れて歩きましたけどね(笑)受付で登山届けのように住所や入山時刻、携帯番号など書き、輪袈裟を借りて身につけました。ここからは観光登山ではなく、修行の道、修験道です。
岐阜城の「馬の背コース」にも手を使って登るような険しい場所がいくつかありますけど、ここはスタートからいきなりクライマックスで、常に難所、難所の連続といった感じでした。特に鎖場は体感ではほとんど垂直な崖。尾道の千光寺に石鎚山を模したなんちゃって鎖場体験がありましたけど、本格的に体験したのは初めてでした。ちなみに写真の場所か、もう少し上の文殊堂の辺りがこの前の地震で崩れて鎖を打ち直したところらしく、一方通行になっていました。
登る前に見上げていたお堂まで辿り着きました。折角来たのでぐるっと回りを一周してみましたけど、下を見る勇気はありませんでした(笑)柵もないので落ちたら確実にアウトですね。ちなみにここまで30分。距離的にも時間的にもここが丁度半分といった感じのようです。やはり女性の方には厳しい道だったらしく、ペースとしてはかなりゆっくりめで、後から来た方達にもどんどん抜かされてしまいました。まあ自分1人だったらなるべく早く上がろうと無休憩で一気に上がってしまうのですけど、別に競争ではないですし、カップルに追いつかないよう十分休憩しがてら景色や山の雰囲気を楽しむのも疲れないしたまには良いかなと思いました。この先も難所が続き、地蔵堂、鐘楼堂を経てどんどん進んでいくとようやく勾配が少なくなり、でかい岩壁の中にある観音堂の裏岩を通り抜けると、ついに投入堂が姿を見せました。
手前の木の向こうは崖になっており、とてもじゃないですけどお堂まで登って行けそうにはありません。もちろん立ち入り禁止ですしね。行けもしないのにどうやって建てたのだろう・・・?行者が法力で投入れたという伝説もあるくらいミステリーですな。現代の技術ならまだしも平安時代よりあそこにあったと言うのですから、「あそこにお堂を建てて修行しよう」と思い立った修験者の信念と行動力とはすさまじいものです。
せめて賽銭を投げ入れようかと(笑)10円玉を投げてみましたが半分も届かずに崖の下に吸い込まれてしまいました。見た目以上に距離があるのかな・・・というより自分の遠投力がないだけかも。