katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

りょうさん教室X2

2025-02-07 07:12:20 | モザイクタイル教室

今日は午前午後ともりょうさん教室。りょうさんはkameyaさんではタイル、アトリエではガラスタイルみたいな感じに進めているんだけれど、最近2マスを

取って丸々1日のスタイルが定番になりつつあって・・・ただずっと座っていられない人には苦痛でしか無いものなんだけれど、全く平気って言うのなら、

それ自体が能力だったりもするのね。ただ例えば1日歩けるとか、ゴルフをして来たとか、外での活動は元気だねーとか、能力扱いをする表現があるけれど

ただ座っているだけでしょ?って思われる事の方が多いのね。でもピアノを弾くとか、物作りとか、勉強とか、座っていないと出来ない事があるのね。

つまり座り続けるって言う能力の無い人では、その権利が半減されるのね。ただ半減であって、例えば短距離とマラソンでは、走り方に違いはあるし、

スポーツだって、レギュラーと控えでは活躍時間は変わって来る。つまり同じ上手くなりたい・・・と思うのなら、その到達の仕方が変わって来るって事。

例えば勉強だとする。趣味で勉強をする・・・こんな言葉にしたら、どんな感じがするか?となると、子供だと絶望的だけれど、80歳だったら?・・・

凄いねー頑張るねーになる。この場合、子供は勉強を趣味では駄目であり、80歳の高齢では、勉強をするなんて事は無いだろうから、達者だね、凄いねと、

表現されるんだろうね。では趣味って一ヶ月に何回すると成立するんだろうか?って事になると、ウチでは大抵1ヶ月に1回の人が多いのね。つまり1年で

36時間。これで趣味が成立する。ではこれで上手くなるだろうか?となった時、趣味って何?って改めて聞かれた事の無い人でも、頑張って答えると娯楽?

くらいの言葉は出て来ると思うのね。それなら1ヶ月に1回の娯楽なんだから、楽しんで行ってね・・・になる。では娯楽とは?になると、映画に行った、

コンサートを見た、散歩に行った・・・こんな事と一緒になるのね。くくりとしては。それなら悩んでやる必要は無いし、考える必要も無いのね。だから

楽しいとも言うが、楽(らく)って読むのね。だから日常が大変なら、そこで楽をする事で楽しいとなるし、日常に刺激が無いのなら、刺激になれば、

楽しいに繋がるってだけで、当たり前の事なのね。ただ折角続けているから・・と言うと、だから?って掘り下げると、上手くなりたい・・・って、

言い出したりするのね。折角って言葉を使うと、人は前向きになるからね。例えば、雨が降ってる。何とも後ろ向きになる言葉である。所が折角雨だから

・・・って言えると、雨でしか出来ない事を考える。こんな事が、意識を変えないと行動が変わらない・・・の仕組みなのね。しかも折角やるなら上手く・・

って言うのも、言葉として文章としては立派な心掛けになるが、これも仕組みのように定型文なのね。確かに合って入るし、聞き心地は良いのね。でもね、

例えば、今日から始める人のセリフと、りょうさんのように10年近く続いている人のセリフだとしたら、重みが変わって来るのね。それが継続は力なりにも

通ずるのね。例えば新規なら、楽しむべきなのね。まずは継続したくなるように・・・だからまずその分野に慣れる事。それをいきなり上手くなりたい・・

って言うと、意気込みはあっても、1つつまづけば簡単にもろく崩れる。人って言うものはそう言うものなのね。それよりはまず定期的に来て、座れる事。

それから出来た・・・って経験を積む。所が人は良くも悪くも慣れる。その繰り返しが、出来た・・・だけでは満足が行かなくなる。そこで折角って言葉に

繋がると、折角やるのだから・・・になると、今までの時間では進まないし・・・となる。そう感じるのは?大作だから。それが2、3回で終わるなら

何も感じずに今まで通りで平気なのね。所が進まないから・・・となると、進み具合を重視した事になる。つまり質を落とす可能性がある。では質を落とし

進んで満足か?となると、人は厄介なもので、ただ出来た・・・を卒業して大作になったのに、大作で、ただ出来たをして満足行くのか?になるのね。まず、

無理だろうね。しかも掛けた時間もお金も見合わなくなるのだから、むしろダメージの方が多いのね。つまりそうならない為にも、まず切ったパーツを張る

前に、それって美しいですか?って言って見る。ん・・・って思ったら張らずに立ち止まる。そうすれば、何も言わなくてもその異変を俺が察知する。しかし

本人が立ち止まる事無く、進む事を重視するのなら、OKを出すその人を尊重します・・・大人が決めた事だから。しかしながら、何故こうなった?と後悔を

しても、簡単な話で、美しさより進行度を優先したからなのね。そのパーツを毎回向き合っていたのなら、その時の自分はOKをしたのね。ただ、上手くなる。

って言うのは、自分を更に向上になるのね。つまり言い方を変えれば、常に自分否定をし続ける事にもなるのね。ここ剥がしたい、何でこんな事をしたのか?

ってね。ただそれで良いのね。上手くなったから気が付いた。それがあったから、今の自分がある。その繰り返しなのね。でもそれを簡単に剥がせる癖を

付けると、今どきの子供達のゲームのリセットのように、無かった事にして、1から・・・って出来る。つまり上手く行かなかったら剥がせば良いや癖が付く

のね。つまり責任感が付かなくなる。何も背負わず楽をする癖を付ける事になる。そしていつも先生が助けてくれる・・・だから進んじゃおうってね。

所が美しい?を取ると、当然自分に厳しくなる。だから進まない。折角2マスにしたのに・・・全てが裏目になる。所がりょうさんのように美しさに慣れた。

こうなると、いつか終わる・・・って、どっしり構えられる。ただ完成せず終わる人生は嫌だから・・・折角始めたのに。って文章が重くなったでしょ?

これが意識が変わる瞬間のセリフなのね。趣味では無くなったのね。こうなると、どっしり・・・って座ってない?慌てていないのね。だから取り組む姿勢が

変わるのね。美しいものを作る・・・にね。出来たでは無くてね。意識が変われば行動が変わる。だって出来たなら進み具合が1、美しさは2番以降になる。

そうね、良く安全第一って聞くでしょ?じゃ2は?3は?って考えた事ある?これが品質、生産と続くのね。つまり品質は2番。まずは死なないようにとか、倒れ

ないように・・・らしいのね。じゃりょうさんは?俺は安全なんて言うのは、旦那でも彼氏でも無いから、健康なんて管理は出来ないのね。つまり品質。

ここが俺の担当なんだけれど・・・ただ真の信頼なんてものを得られると、多分先生なんて言葉の重みが変わって来るものなのね・・・聞く耳が変わるから。

その時に、この話って、気持ちの問題でしょ?って安易に考える人は、きっと心は支えなくても良い人で、技術だけ知りたい人になる。つまり心技体の技のみ

って事になる。所が人の心なんて簡単に折れるのね。これが病は気から。気持ち1つでポッキリね。それが本当の師と仰げる人がいるのなら、支えがある。

こんな人は技術だけじゃ無くて、心も習うだろうね。心は気持ちなのね。こんな事を踏まえて、さっきの安全第一的に、実は生きるって事には全ての人が順位や

優先、ランク・・・何でも意識せずに無意識にあるのね。なのにその脳にある潜在意識に気が付かず、蓋をして、気が付かないようにしているか?全くそんな

ことを考えずに偶然で進むか?の二択的な話が普通なのね。だから普通って言うのは、ラッキーと、どうしてこんな事になっちゃったんだろう?の2つを繰り返す事になるのね。

でも実はそうなるべきでそうなっているだけなのね。そうなる理屈通りにね。ただ厄介なのは結果を思い通りにならなかったから辞めるって選択ね。

たった1回で・・・見切りね。しかも体験で・・・。これでは、何の根拠も無く気に入らないから・・・ここも気ね。だから気分、気持ち、やる気、根気、弱気、強気、気まぐれ・・・みんな気。

この気ってものを安定させられる技術があったのなら、楽しい教室では無いけれど、普通でいられる気を作り出す事は出来るはずなのね。判るかなぁ?

そもそも例えば、これから人生ってテーマで、何を重要としますか?順位を持って答えて下さい・・・とした時、何て答えますか?となった時、恐らく普通は

楽しく生きたい・・・なんて言ってしまうと思うのね。確かに文章は合っているし、聞いている方も聞き心地が良いのね。でも出来るかなぁ〜?そうする為に

何をしてる?・・・種を撒かないと花は咲かないんだって・・・先人が言ってた。じゃきっとそう言う人達は、楽しく生きたい種を撒いているんだろうね。

じゃ俺にはそんな種は無いから、違う園芸屋さんにならないとね・・・じゃどうする?って事で考えると、そもそもその文章は強欲なのね。はぁ?って思うと

思うんだけどね。だって生きるの前に楽しいんだもん。つまり生きているだけじゃ駄目なんだよね?楽しく無いと・・・。ここに気が付けばまだしも、実は

順番って言ったのに、2つ一緒に言っちゃったのね。こんな人は。じゃさっきの安全第一じゃ無くて、安全品質生産第一にすりゃ良いじゃん。何か折り合いの

付かない合併会社の名前みたいだね。だから楽しく無いと生きている意味が無い気持ちになって来るのね。つまり不幸が起こった時に、とてももろくなる。

それが例えば、貧乏なら生きてやる、何としても生きてやる、人のものを取ってもこの子供だけは・・・って言うと、生きる事が一番になる。重みが違う。

そして2番に出来れば、楽しく・・・って言うのなら、生きていれば苦しい事があったとしても、楽しみ待ちが出来る。しかし、これは悲しみを背負った人は

理解出来ても、即効性のある抗生物質では無くて、漢方なのね。続ける事で意識をし、改革をする事で、潜在意識を引き出す・・・つまり良くも悪くも今まで

見た事無い自分と向き合う・・・最高の刺激になるはずなのね。でもそれは悲しい事や辛い事を経験している人には理解出来ても、出来れば触れたくないし

出来れば・・・って遠のけば、またそこに来るまで向き合わなくて済む。全て良い事と悪い事は背中合わせで、悲しみや辛さと向き合える事を繰り返すのと

楽しい事だけ追求する・・・全く正反対のものなのね。つまり生きるは大変で、楽しいはラクな事なのだから、これを成立させる種を撒いていますか?

って話なのね。こんな矛盾した文章は無いのね。ただ、ただ例外は何にでもあって、もしお金持ちなら、苦労は財産分与、個人資産税、日々の家計費って

何でもかんでも莫大なお金が掛かるんだけど、ランチで1000円超えるのはなぁ〜って考えない。常に食べたいものを食べ、着たいものを着て、常に暖かく

常に涼しく、行きたい所へ行き、充実した人生・・・楽しそうだね。でも、日々の生活に追われ、食べるものも考え、我慢したり、やりくりして、時に

少しだけ浮世離れしたランチや、ディナー、旅行・・・これって不幸せ?結局無い物ねだりとはこんな事なのね。しかしながら、どんな人も死ぬのね。

しかも理不尽に順番でも無く・・・楽しさなんて簡単に崩れる。もろいものなのね。でももしその試練を乗り切る事が出来るのなら、きっと明日がある・・

って思う事が出来るはず。でもね、楽しいを追求している人がお金を持っているのなら、大人は大抵の事はお金で解決出来るのね。だからこの話全ては要らないのね。

でももし、そうで無い側なら、この話全てが、いつか必要になる日が来るのね・・・その時の準備と言うのなら、自分で選んだ大作なんて、たかがモザイク。

やってりゃ終わるのね。それで終わるだけでも普通は出来ない。だってみんな楽しい事をやっているのだから。だから出来る事をコツコツと進めばカメでも

到達する。しかしながら、カメじゃ無いじゃん。だから欲があるのね。折角なら・・・って折角ね。だから、カメより頭を使う。ただそれだけ。しかも残りの

人生は長いかも知れないし、短いかも知れない。でも気が張っているのなら、気が何とかしてくれるかも知れないし、気まま、気軽、こんな事が出来るなら

何も考えずに乗り切れるだろうね。つまり出来ない人、無い人、って言う人の気を0にする事なら、俺でも出来るだろうね・・・きっと。

同じように、粋な人ってのは、お金を持っていないと出来ないが、小粋って小さくなら貧乏でも出来る。つまり考え方は1つじゃ無いが、自分がどっちに所属

していて、何処にいて、どのくらいで、どうしたいか?であって、趣味って言葉は、きっかけも簡単に始められるし、簡単に辞められるものなのね。でもね、

りょうさんのように、生き甲斐なんて言えるようになると、そりゃ教える事はいっぱいある。何せ趣味では必要の無い考え方や思考があるのだから・・・。

生きる甲斐のお手伝いなんだからね。そりゃ責任が重いのね・・・こっちも。お手軽なお遊びじゃ無いからね。ただ重すぎる・・・何でも過ぎるのはね。

だから息抜き。鼻だけやって貰ったのね。たった9粒。この大作を作っている人なんだから、大した事無いでしょ?・・・って思うよね?誰でも・・・。でもね、

多分、この9粒が一番疲れて、一番緊張したと思うのね・・・じゃ良い刺激になったじゃん。慣れとは恐ろしいもので、りょうさんは大作に慣れて来たのね。

だから進もうが進むまいが、来た分だけ進んだ・・・って意識が普通になった。しかも美しいが普通って・・・。そんな意識が普通に出来るようになった人が、緊張した・・・って。

そうね、この作品は俺の作品であり、外の壁画で人に見られる。その上、俺とも比べられるが、生徒さんとも比べられる。一生残る発表会みたいな感覚。

そりゃ緊張が当たり前なのね。しかも前回のピエロではバックだったが、今回は役がある・・・ラクダはりょうさんだよ・・・ってね。ただ流石にバックから、いきなりラクダ全部・・・ってね。

だから縁取りもしているし、目も切った。もうほぼバックの気分・・・また気ね。流石に気楽でしょ?までは言わないけれど、やればやっただけの扉が開く。

種を撒くって言うのはそんな事なのね。そしてまた2人目が始まったのね。大変だろうなぁ・・・きっとって思うけど・・・けど。可愛い子には旅をさせろって

言うのと一緒で、俺が俺の実力で完成させる方が早いし上手い。こんな事は当たり前・・・それじゃ普通なのね。それをkatsu先生が教えた生徒さんがやった

キャラをいかにバックで更に良く見せるか?作家katsuの練習ですとでも言うのか?ジブリ作りとしたのなら、生徒さんの向上の意識改革とでも言うのか?

どんな取りようでも良いが、一応俺には俺の考えがあっての事。それに乗ってくれたって話・・・きっと完成を一緒に見た時に、ただの見学では無くなるはず。

それでまた意識は変わる。


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