katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

kameyaさん教室とレゴ教室

2019-07-28 08:13:06 | モザイク教室
今日はkameyaさんの出張教室。それが例のガーリッシュな玄関の話の話からスタートだったんだけれど、朝ドアを開けると知らない人が立っている事が多くて、この間は親子で見ていて、自分の家なのにごめんなさい・・・ごゆっくり的な挨拶しちゃった・・・って、笑い話だったんだけれど、正直当たり前

なのね。そもそも俺の作る玄関・・・素通りされるようじゃ作った価値が無いし、何これ?あっ、可愛いぃぃとか、素敵とか、立ち止まらせてなんぼなのね。勿論、そう言う意味では一般家庭では必要無いのかも知れないけれど、何処にも無い1点モノって点では、後は付加価値・・・それのみ。

今は知る人ぞ知るなんて小さい単位の知名度なんで、もっと知られないとね・・・昔の偉人さんじゃ無いが死んじゃってからでは遅いのね。あははは。
そんなこんなで棟梁から。もうお見事です・・・としか言えないのね。何度と無くバックの花も描き直ししっくりしていたし、切る事なら心配も無い。

しかもこれだけの大作のモザイクを仕上げるだけでも凄いのに、額の木彫・・・この世にこんなのある?って話なのね。勿論、こう言うと、木彫の人達にこの位の事は出来る・・・なんて言う人はいるだろうが、その人はモザイクは出来ない。まっ、モザイクの方でこの位なんて、俺がいる限り言わさない。

しかも弟子では無く生徒さん・・・勿論これが弟子と言うのであれば、普通に上手いね。って表現でも構わないが、生徒さんはあくまで趣味。それを更に向上させる表現として上り詰めた言葉が生きがい。それは何処までも自分追及の旅になるのね。これが弟子側に立つと、人に寄ってだけれど、かぐやの

ように修業と言う形として、遠方から仕事に来るのだけれど、仕事と言うと生活をまかなえる賃金が発生する訳だが、修業とは?って言うと、仕事を習う為の丁稚奉公的なものだから、ある意味志願であるようなもの。まっ俺もそうだったが、本当は嫌々だったけれどね・・・タイル屋の頃の修業なんて。

でもね、それを乗り切った時に得るモノは、気が付くと違うものになるのね・・・それは人がお金を出してでも認めてくれる人になれる。つまり仕事って言うのは認めて貰った賃金の事になるのね。ただ、残酷だが一般の職業とは違うので、芸人、プロ選手、落語家・・・何でも良いが、タイル屋じゃない。

タイル屋のままなら一般の人。けれどそうでは無い扱いをされたいのだから、芸を見せた上の値段。ポンコツなら死ねば良いし、本当に認められるのなら、世界に羽ばたけば良い。別に余りに普通過ぎて語るのも恥ずかしいが・・・。そこに到達するかどうかは別にして、そっち側を歩こうとすると、

自己満足側の自己追及ではいられなくなる。人に評価されてなんぼなんで、誹謗も受けて当然だし、逆に完成時に泣かれるのも良かろう。つまりアヒルで生きるも良し。みにくい・・・おっとこう言うと可愛く誤魔化してやんわり収まるから、あえてえぐく、醜いなんかわからない子で生きるも良し。

こんな子供の頃に習ったバイブルのような話が全て生き様で、アヒルで生きるのなら、みんなと一緒を選べば良いし、けれどそっちに安心なんて1つも無い。そっちにも甲乙丙丁はあるのだから。そして逆に醜いとされる側を歩くのなら、いじめられたぁぁぁぁって言ってるのも良かろうが、結局アヒルでは

無い生き物になってそこから旅立つ。勿論、童話は子供に判りやすく作ってあるから、結局アヒルじゃないものは黒かったけれど、純白のハクチョウだった・・・となるんだけれど、もうハクチョウになる事を知った上の話なのね・・・一度知ってしまうとね。つまり答えありきの話。詰まんない。

そもそも人とは違う道を選んだのなら、一体アヒルじゃない、何になれるんだろうか?の旅なんでしょ?・・・俺はハクチョウでも嫌だわ。そんなのも何処にでもいるし・・・最低でも日本ならトキ位、大事にされないとね・・・あはははは。まっ、それでもまだ嫌なんだけれどね・・・。

だから地球外生物になりたいのね・・・そんな事を考えていると、結局スライムが一番判りやすいのね・・・俺スライムになりたい。箱から出すと、グニャとして、原形を留めない。持った人の手の中で色んな形にもなるが、その人に意志が無いと、ただのグニャグニャなもの。

何もしなければ、何も起こらないし、特に害は無い。まっそれでもいつか俺が意志を持って何か取り組む日が来るのなら、その時に一緒にいた人とどんな姿でどんな景色が見られるのか?ただそれだけの話で、それを強く見たい・・・と思う人の先頭にかぐやがいるだけの話。

おっと話がそれて、つまりもう棟梁の作品は、このままのグレードをキープして完成すれば、自己満足作品の最高傑作を作れた事になるだろうって話。後はその先、どうしたいか?は棟梁の問題。そんな人の横で取り組めば、当然みんなも影響を受けるもので・・・


レシピ通りにきちんと切る・・・の練習だし、時より同じ事の繰り返しの単調にならないように、それが出来るならこんなのは?って慣れさせないアドバイスをして、やり方がこれしかない・・・とか、これしか出来ない・・・みたいにならないように、色んな道筋がある・・・って話。

そこで一体何が自分にしっくり来るか?を問うのも良いんじゃないのかな?ってね。しかも現状の作品を大きく冒涜する事でも無いしね。あくまでチャレンジ、チャレンジ・・・そこは責めないとってね。りょうさんはこれが最高傑作な訳じゃないから、ここは失敗を恐れずに責める事なのね。

これがラパンさんになると、

これが今までの中で一番の作品になるはずなんで、慎重に・・・もう心変わりだの、気の迷いだの、そんな事は無いように、淡々と、黙々と、何しろこのまま安定をキープしてバックに入りたいのね。こうして3人いれば、どの人もやっている事が違うんで、言う事も変わって来るのね。

そんな中、棟梁にほおづき貰って・・・小学生以来のチャレンジぃぃ。


柔らかくなるまで、そぉぉぉっと押す・・・そして押す、軽く押す・・・あっ・・・


付け根から外す為にはそこを柔らかくしないとならず・・・・責め過ぎて失敗・・・しかも2つ続けて。1回目責め過ぎたんで、次は慎重にやったんだけれどなぁ・・・ただ、子供の頃も1回しか成功した事が無く、しかも成功しても、鳴った事は一度も無く・・・海ほおづきしか鳴らなかった・・・。

楽しい記憶と苦い記憶が一緒にやって来た・・・そこの叔母さんの子供は3姉妹。みんな鳴らせて上手いんだけれど、親父の姉さんで俺の親父は末っ子だから、お前のお父さんぶきっちょだったからなぁ・・・って。でもお前は器用だね・・・って言われたけれど、ほおづきは上手く行かなかった。

そんなこんなの帰り際に・・・

先生こんなの作ったから、目地お願いしますぅぅって。あははは、自分でやりゃ良いじゃんって話だけれど、誰かのついでに・・・って。わざわざ目地を練る量じゃないしって。はいはい、やっとくよぉ。そんな事よりも、こんなコースター・・・養魚場の親父も困るのね・・・愛好家の腕には。

そんなこんなで、本当は今日3組入っていたんだけれど、1人キャンセルになったんで、夕方からレゴ教室。


ようやく方向性も見えたのね。メインは終わりを迎えたんだけれど、バックのスペースが多いんで、そこに意味を乗っけないと、はい景色になりがち。それではパンチが無くなって説得力が無い。いかにそこに自分らしさを乗っけられるか?が宿題だったんだけれど、色々考えて来たんだけれど

もっと俺が納得する話を頑張ってしてごらん・・・ここが一番大事な事なんだから・・・って中、結構粘って、色々と話して・・・後ちょっと・・・って所までは来た。後は残された時間と、今日決めた事を自宅でやった様子で、材料の判断をする事になったのね。さてどうなるかな?

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