今日は緊急事態宣言前に・・・と急きょキウイ教室。まずはこんな事って画像から・・・
トップの画像のピンセット先のパーツを見ると、縦斜めに線の入ったガラスタイルが入っているのね。それを取って横に見えるパーツに入れ替えたのね。これは以前やったものなんだけれど、例えば最初の頃はガラスタイルを切るのがやっと。
そんな中、折角切ったガラスタイルを切り直そうか・・・と言う必要も無く、スルーしたのね。つまり形に切れた事、色が合っていた事で、大きくは問題無いだろう・・・と。でも今は狙った形に自由に切れる。あの時とは違うのね。
そうなるとどうなるか?って言うのが、自由に切れる腕になった・・・って事と同時に眼も肥える事になるのね。そもそもやっとの頃は色が合っている・・入ったぁって安堵って感覚。でも今は入る事は当たり前。入っただけじゃ気に入らない。
だから満足度数とでも言うのかな?それを料理に例えると、出来ただけじゃ無く、美味しさや盛り付けも気になるって感じ・・・これが大作にだけ起こる現象で、例えば1日で終われば、終わる事はあっても最初の1パーツ目と最後のパーツの
上手さを比較しても左程は感じない。けれどこんなに何年も掛かっている大作は、想像を超える上手さになってしまうのね。そもそも今、何千何万パーツ目なのか?って話だし、もっと言えば大作の人はこの作品の他にも作っていたりする。
そう箸休め的にね。つまりこの作品以外にも切っていた事になる。そんな事になれば以前の自分と比較すれば、当然大きく腕前が変わって来る。ここまでは誰もが判るだろうが、それと同時に経験値として、自分の作品以外に色んな作品を目に
して来た事になる。これを文字として何も画像無しで説明すると、これしか作っていない・・・って文章と、あれもこれも、あぁそんなのも・・・そう言われると、あれもあったなぁ・・・って文章、相当なつわものに聞こえないかな?
これが経験値の話。そしてその上、作った話では無く、文章を変えて、見たって事にすると、これしか作っていない人は、こんなの初めて見た・・・って事になるものが、つわものは、あれも知ってる、これも知ってる、あぁあれね・・でも、
こんなのもありましたよね・・・となると、見る事だけでも相当見て来た感じしないかな?これが肥えるって話なのね。つまり時間が掛かった分、腕前だけでなく、見る眼も肥えた事になるのね。そうなった時に、自分に厳しいと、あれもダメ
これもダメ・・・と以前のパーツを否定したりする。こんな事が起こるのは眼が肥えた上に、直せる腕が付いたからなのね。こんな場合、どうしても・・・と本人の気持ちが強かったり、理に適っている場合は剥がしてあげるが、単なる思い付きや、
左程効果は無いな・・・って場合は却下したりする。この判断も中々難しいのね・・・こちらとしては、その時、これでOKを出した理由があって、例えば中々終わらない・・・と嘆くようなら、この位なら良いかっ・・・となるし、ナーバスに
進まなかったりすれば、それで大丈夫だよ・・・にもなる。逆に進む事重視な感じに、スイスイやれば、それが出来るならこんなのは?と難しい事にチャレンジみたいに、ペースダウンしても質を教えたりもする。これがさじ加減だったりする。
だからこっちとしては、良く見て置かないと、その人の変化を判断ミスすると、上手くなればなるほど、たちの悪い事になるのね・・・それは上手くなって早くなると、見逃している時間の分、大きく進んでしまうからなのね。
そうなると、えっ?って事が起こりやすい。逆に手慣れない人なら、ビックリする程は進まないから、少し多めに目を離す事が出来たりもする。そう言う事を踏まえると、キウイはえっ?って事が起こりやすい人って事になる。
こだわり方1つ取っても、常に一定とも限らないし、その人その人の普通を常にこちらが見極めないと、やり過ぎなのか?やらな過ぎなのか?の判断が出来なくなる。今日はちょっと目を離し過ぎたかな・・・って感じではあったのね。
こんな事は当たり前だし・・・と思って改めて言う事では無いけれど、ガラスタイルも1cmタイルも大抵は同じ厚み。つまり平らに張れるはずなのね・・・なのに久し振りに定位置で見たら、デコボコしている所があって・・・。
ただそのパーツはほんの数mmのパーツだったりして・・・見づらかったのかも・・・と思うと、もっと見とけば良かったな・・と後悔する事になった。それが結構あって・・・夜、直したけれど、まだあったりする・・・。
キウイと言えど・・・と良い勉強になった。