今日は中学生教室が時間差で2組。ただ何しろ提出の作品だから、ネタバレ禁止なんで何と無く画像。まずは夏っぽい作品なんだけど、2人どちらも景色なんで、オーソドックスな感じなのね。こんな場合、何しろちゃんとが求められる。
この時、たかだか1m以内の大きさでは、ドットアートって言う、一切切らないスタイルでは、何と無く見える程度の仕上がりになるもので、そうなると当然、タイルをカットしての制作となるのね。これを全くモザイクを知らない前提で相談って
事になると、例えば小鳥を作りたいとすると、全く切らずにドットアートとなると、1mにしてもやっと見えるかな?くらいなものなのね。ただもはやそれは小鳥では無く、ワシやタカの大きさでちっとも小鳥では無くなるのね。
じゃカットするとする。じゃ初めてで、何処まで細く、何処まで細かく切れる?って技術論になる。例えば、初めての包丁だとして、蕎麦の細さに・・・って言っても、うどんやきしめんになってしまったら、味は蕎麦でも見た目は変わるのね。
それならいっそ、うどんにはならない?って相談になるのね。これをモザイクの話にすると、その髪の毛を切るのに、大きさをそのままでその細さの髪の毛は無理だから、思った大きさの倍にすれば、髪の毛がうどんの太さでも何とか・・・
みたいな相談になるし、魚のウロコだとしても、俺の作品のカレイなんかになると、1cmタイルの4分の1のウロコなんだけれど、どうしてもウロコにしたければ、1cmタイルのままウロコにすれば・・・でも俺のカレイの4倍の大きさになる。
つまり軽く1mって事になる。確かにそう言うと、大変そうだけれど、それならカレイの形に下地に切るから、バックは無くなる分、一点豪華みたいな見せ方はどうだろうか?みたいな相談になったりするのね。
つまりどうしたらそのモチーフを変えずに工夫をすれば、出来るか?って相談なのね。でも大きさは変えない、モチーフもそのまま、なんて場合、相談では無いのね・・・そんな時は、アップにしたら?とか、色々提案もして見るが、それって
決まっている場合、進展無く終わる事もあるのね。しかも何と無く・・・なんて場合、何と無くだから、何と無く変更も出来たりする。だから益々決まらない。ただ何も譲れない場合、決裂的な状況になったりもする・・・。
まぁこんな場合は、先生に無理って言われた感満載なんだけれどね。こんな場合は、失敗しないように・・・とか、無謀な事にならないように・・・って言う老婆心が、出来る前提、頑張れば何とかなるって言う、何の根拠も無い自信と
ぶつかったりする事もあり、勿論流石に子供だけでは相手が不利になるから、相談には必ず親御さんに居て貰うんだけどね。そんな事を経て既に張り始めているのだけれど、プレッシャーなんて誰でも知っている話をしたのね。
例えば1年生の場合、去年まで小学生だったのね。当たり前だけど。ならそのまま、やりたい・・・そうだねとは行かずとも、これならどうかな?と出来ない訳じゃ無いのかぁ・・・で済めば、やりたい事は残った事でスタートを切れる場合、
初モザイクだから、ワクワクって新鮮。それが全てが揃わないから、じゃまた考えて来るなんて事になると、1か月後なんて事になると、仕事を持ったり、普通のお母さんの教室と条件は一緒だから、自宅で考える事だけの1か月になる。
でも大きく違うのは、大人は趣味って言えば、完成が何年後でも自分の問題。でも労作展って期日があるって事は、とても不利な展開になるのね。例えば夏休みの中で、さぁ始めるって言っても、相談して、下絵を決めて、下地を作って、
それを写して・・・となると、最低でも2回は使う。これを1か月に1回の場合だと、2か月モザイクが出来ない状況になるから、そろそろ新作の話を・・・なんて始めて、終わると同時に始まるような準備になるのね。
それがすんなり決まると、夏休み前に何回かモザイクが出来たりすると、切る感じが掴めて、尚且つ貯金としての張った進んだ分を持ってのスタートが切れる。しかし、打ち合わせが伸びると、ただモチーフが決まって下地の準備が出来た。
そんな場合、夏休みになってみんなが動き出して、よーいどんって一斉にスタートって感じで、貯金0って感じになる。これが1年生に起こる事だったりすると、2年生の場合、例えモザイクをしていなくても、既に労作展を経験しているのね。
勿論、親御さんも。つまり早めな始動なのは、経験値からなのね。しかも、どうして早めなの?って理由は1つで、去年何かあったからなのね。例えばバタバタしたとか、あんなに凄い事だとは知らなかったとかね。
だから早めに始動なんだけれど、今度はその理由から安心を得たいんだけど、要するに受験の学校決めみたいな話なのね。何処の学校を受験するのか?簡単なのは、東大、芸大、音大、プロになりたい・・・こんな場合、特訓でしょ?
涙も流しても良いんじゃない?友達も無くなって良いかもね。遊んでいる暇なんて無くない?って判りやすい。じゃそうすると良いのね。だからまず覚悟。ただね、厄介なのは、とは言え、学校からして勉強が1番。じゃ2番は・・・。
そうね、例えば建築。良く看板とかに安全第一なんて見掛けるでしょ?遠い記憶なんで順番が違うかも知れないけれど、昔大手の現場監督に安全第一って、じゃ2とか3とかあるの?って聞いたら、第2が品質、第3は生産って言ってたのね。
まさにあれなのね。つまり勉強が1なら、2はクラブ、その時に、本来なら夏だけ3はモザイクね・・・とモザイク先生としては言いたいが、恐らく無理だろうから、ゲームよりは上にしといて・・・みたいな言い方になる。
それが5番なのか?7番なのか?で目指す学校が変わるんだけどね・・・ただそれでも、最高は3番にしかならない。いや、なっちゃダメなのね。それ以上やると、1番の時間を削ろうとするから。それでも、軽く100時間超えをして来るから、
それ相応の結果が出る訳で・・・。例え初めてでも結果が付いて来るのも当たり前と言えば、当たり前なのね。そもそも大人なら4・5年は掛かってしまう大作になるのだから。ここも同じで、だからどの位やる覚悟をする?なのね。
ここまでは普通の話なのね。所が中には受賞経歴アリなんて子もいたりする。当然、大変な事は全て知った上で、早めに始動する。しかも相談のやり取りも判っているからすんなり終われる。ただ、内容からしてステップアップを臨むから、
ぺきぺきから1cmとか、素材を変えたりする。ここがまた覚悟なんだけれど、ステップアップを臨めば、当然大変な事へ走り出すのね。例えばバイトリーダーのまま、ずっとその立ち位置のままと、正社員になるとでは、きっと変わるでしょ?
例えば2軍のエースを3年経験、それを経て1軍に・・・とても慣れだけで通用するとは思えないのね。痛い目にきっと合うだろうね・・・そう思っているのなら、やっぱりな・・・なんだけど、夢と希望だけの場合、必ず心が折れる日が来る。
実はこうした技術には一切関係の無い、気って気持ちの部分は、もろいものなのね。しかも前年度受賞なんて場合、全く意識せずに、頑張ったら付いて来た副産物みたいなもんだった。なのに意識をしちゃったのね・・・。
だからステップアップにしたのね。でも思っていた以上だった場合、ぺきぺきのように進まないとか、失敗パーツの経験が少ないクラッシュと、きちんとした形を切る事で失敗ありきのパーツの違いをやればやるほど経験する事になる。
例えば料理なら大根やニンジンの皮剥き。これは誰でも出来るけど、じゃ何本切る?普通の家族構成なら、たかが知れてるし、カレーやみそ汁みたいに、ザックっと切ったり、千切りだったりすれば、具材の1つになり、目立たなくなる。
しかし、モザイクの場合、全てのパーツが見られてしまうのね。ルーや汁で隠せないから。しかもクラッシュなら失敗は目立たないが、同じ丸を100個、1000個となると、もはや家庭料理の数では無いし、しかもそれがもしおもてなしなら?
結婚式の料理なら?天皇の料理番なら?・・・質が問われる。ほら簡単な話で、東大、芸大、音大みたいなら、当然このクラスな話が必要になるでしょ?だから簡単なのね。意識として高いを臨ませれば良いのだから。
しかし、何処でも入れれば良いんです・・・の場合でも、これもまた同じで、0点じゃ無ければ何とかなる。みたいな感覚で、やり遂げれば良い事になる。だからこんなのは、相談でも考える事でも無いのね。どっちも考える必要は無い。
一番難しいのは、47点寄りなのか?63点寄りなのか?なのね。これが微妙なさじ加減の話。塩の少々と一つまみの話みたいな微妙な違いの話・・・これが一番ナーバスな所なのね。ここは考え抜かないとならないのね。全く違うからね。
47点側なら下回る表現になり、63点側なら上回る。つまり受賞者が下回るはずが無いから、早めに始動して、上回る側の選択をしただろうが、1番の選択は出来ないし、最高は3番目。しかも、前回は無意識で頑張っただけ。
今回は意識もするし、良いものを作りたい欲も出る。ただ欲は良いが、強欲になるとね、心がひずむのね。何かが過剰になるから・・・逆に折れてしまうと、何でも良いから終わらせられれば・・・になるのね。不安だから。
その時点で美しさを捨てる事になるのね。しかも使ったお金と時間をね。きついでしょ?これが実はプレッシャーなのね。良いものは作りたい、でも果てしない・・・終わらないと困る・・・何を捨てる?って時に美をね・・・。
美なんてどーでも良いじゃん。見栄えなんてどーでも良いじゃん。弁当なんか食えりゃ良いんだよ。腹いっぱい。見栄えなんかどーでも良いんだよ、車なんか走りゃ・・・見た目なんかどーでも良いんだよ、健康なら・・・。
ほら捨てられるのなら簡単になる。機能性重視・・・スタイリングはどーでも良いならね。ただ残念な事に俺は見た目の美側重視なのね・・・つまり最低限の美はキープしてあげないと、先生として成立しなくなるのね・・・。
それと心の立て直し。って今は言ってるけど、それで良いの?本当に大丈夫なの?ってね。まだ6月初旬・・・安心は出来ないが、不安になる必要も無い。次に来る時に気持ちもペースも上がらなかったら、その時はドヤして、是正を考える。
でも今はへこたれているだけ・・・そう判断したのね。良い経験だと思うのね。プレッシャーが掛かって期待と不安なんて、中々経験出来る事じゃ無いし、後悔するも良し、良い結果になるも良し。あの時どうしたか?そしてどうなったか?
きっといつか自分の経験値になる。そして次の何かに生かす・・・何をやっても次って気持ちがあるのなら、良くも悪くも生かされるものである。それが労作展に限らずね。それは誰でも・・・。
そんな後は、デイ・サービスの下準備。