katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

カットTB南篠崎店のピエロの壁画の2周目縁取りと寅さん教室

2025-02-09 01:10:14 | モザイクタイル教室

今日は午後から寅さん教室。それまではカットTB南篠崎店のピエロの壁画の縁取りの2周目。ただ半日だからねぇ・・・とは言えやらないと進まないし。

まぁそれでも何とか後少し・・・って所まで来たのね。そんな中、杏さんから連絡があり、昔作ったカサブランカの壁画の側にいるんですけど・・・って。

そんな訳で住所を調べて教えたのね。見られたかなぁ・・・。そうね、もし見て貰えたのなら、今の杏さんの実力を持って技術を見て貰えるのだから、好み

で評価はされないし、弟子のかぐやの腕も少しだけだけど、改めて判るだろうし。ある意味、この動物に参加する意味も理解出来るだろうと思うのね。

要するに俺と一緒に壁画を作る・・・今見ようとしている壁画のかぐやと同じ事をしようとしている。勿論、かぐやと比較をしている訳では無く、参加する

意味だけが判るだけで、取り組み方が変わるだろうね・・・って話。そんなこんなで寅さん教室となるんだけれど、先月お休みしている事もあって、もしその

時間を取れるのなら、参加しますか?と言うと、出来ます・・・って事で、3人目の参加となったのね。ただブログは読んでいないらしいんで、この壁画の事を

全く知らないらしく、説明をして参加となったが、もし杏さんが壁画を見ての参加となるのなら、ブログを読んで、過去の壁画を見ての参加となれば、当然

色々とプレッシャーにもなるだろうけれど、知った上の参加と言うのは、覚悟の上なんで、終わらせるって事がどんな事かも判った上となる参加。それなら

それを前提となれば、こちらとしてはキリンをやって貰おうかな?になる。意味は簡単で、大きさが倍になるって事。同じように明日、5人目の参加となる、

健さんは同じように何もかも知った上の参加なんで、時間も気にしてくれた上となれば、あれだけ切れる上の参加となれば、顔が複雑なアライグマだな・・・

って事になる。そう考えると、何も知らないって寅さんの参加は、知らぬが仏って事で、ノープレッシャーになるし、簡単に言えば終わらなければ、手伝って

終わる事も良いだろうね。要するに前回のバックよりもやった・・・って経験値になれば良いだけだから。こんな事も昨日の話と全てが一緒なのね。

全ては覚悟でスタートした場合、やる前からプレッシャーが掛かり、終わらなかったら・・・って事や、そんな事出来るかな?とか、みんなと比べられるとか

色んな事を意識する。その上での参加は、ディフェンダー的な考え方なのね。つまりありとあらゆる後向きの事を考えた上なのね。だから、それらを踏まえ

何が自分に足らないか?となれば、大事な事は時間。つまり自分が終わる為の時間を取れるか取れないか・・・なのね。それはいつもとは全く違うのね。

いつもは自分の作品を自分の為に作る時間の予約。だから自分の都合。今回の場合、自分がやって見たい・・・と思ったのなら、いつもと同じでやりたい

自分の都合で一緒なんだけれど、いつもよりも早い段階の予約を入れようとする。しかしながらそれを、先生に頼まれたから・・・と言うのが、強制的に

感じれば、何でお金を払ってこんな人のものを作らないとならないのかな?って気になっても不思議じゃないのね。考え方1つなんだけれどね。上手くなるって

点では、人に見られる発表会みたいなもんなんだけれど、単なる発表会はほんの一瞬でありはかなく消える短い時間なのね。今回のは店舗が無くなるまで、

ほぼ永遠かも知れない・・・そんな発表会。しかも会場内なら来た人だけの話しが、見たくもない人にも通りすがりで見られる事になる。中々そんな教室は

無いと思うのね。それを覚悟した上なら、今参加する前からプレッシャーを受けつつ始めると、緊張感ありきのスタートになる。でもその緊張感にもいつか

慣れる。逆にノープレッシャーの人って言うのは、やればやるほど段々とプレッシャーを受けて行く事になる。ではそれを踏まえて、今の自分の作品に

置き換えれば、簡単に自分を知る事が出来るのね。つまり覚悟ありきの大作に望んだのだから、ある程度考えた上でのスタートになる。しかしながら、でも

思っていた以上に大変だとか、時間が掛かる・・・って思えば、考えていた以上だっただけで、覚悟はあったから、ただ時間の修正だけになる。だから心は

必要以上には折れないのね。しかしながら、その覚悟が甘すぎると、まさかの展開にこんな事になるとは思わなかった・・・って事になるから、続かない。

何とも簡単な理屈なのね。それは自分の生き方すらも映し出してしまうのね。だから、物作りは自分自身って言うのね。しかもまっ良いか・・・って言えば、

粗雑になり終われる。そして、らくをするから楽になる。楽になれば楽しい。それをこだわりを強くする、上手くなりたいと思う。強欲になれば、許せない自分になる。

必要以上に、今の自分の実力以上に、更に人と比較をし、卑下すれば心は折れ、やる気・・・ここも気を失い、何でこんな事を始めてしまったんだろう。

って事になり、自暴自棄になったり、諦めたり・・・それが信頼出来る師を持っている人は、信用する事で、信じる者は救われるのか?触らぬ神に祟りなし。

なのか?は本人が決める事なのね。ただこれも簡単な話で、仕事にしたい・・となれば、甲子園に出たい、東大、慶応、早稲田に入りたい・・・なら、理想が

高い。低くてもタイル職人になりたい・・・こんな事は俺でも出来たのだから、辞めなきゃなれる。ただモザイクって分野になると、タイル屋とは違う。

だから職業としてタイル屋なら、需要と供給のバランスが整っていても、モザイクって何?って状況では、野球、ゴルフ、サッカー選手になりたいって言うのと

セパタクロー、ラクロス、カバティを職業にしたいって言っているようなもん。つまり頑張れば、続ければなれる保証が無いのね。おっと、話を戻して、

目標がしっかりしていれば、覚悟がある分、受かるまで続けようと努力をし続けられる可能性があるし、何としても・・・とか、意地とか色んなものが、

プラスになる。しかし、何となく・・・って大学、何となく職業になると良いな・・・何となく・・・って。つまり覚悟が無いから、何となく辞めやすい。

これでは何をやっても確立は低い。ただそれも考え方1つなのね。作詞からスタートしても、作曲からスタートしても、出来る人なら一緒。こっちが正解なんて

無いのね。温湿布と冷湿布どっちが正しい?つまり状況環境、自分に合っている方かどうか?なのね。ただ、ただぁ〜なのね。その目は信用出来るの?・・・

自分の事は自分一番良く判る・・・って。おー傲慢んんんん。なら全て正解になるはずじゃん。じゃ全て自分で解決出来んじゃんなのね。それを友達ぃぃ、

なんて、同等かそれ以下でしょ?あんまり役に立たないのね。その時に、本気で信用や信頼出来る・・・って人がいるか?となると、それがいる人といない人では大きく変わるのね。だって意見がいつも自分のだけ・・。

しかも厄介な話で、いてもそんな人はガッチリ老婆心で語るから、自分否定される事が多い。逆に応援するぅ〜なんて他人事な場合、責任なんて取るつもりが無い

から、適当に良いじゃんそれ〜からの、頑張って・・・って。全く信用出来ないのね。ただいないよりは都合の良い人。愚痴くらいは聞いてくれる。

今は生徒さん側から考えると・・・って話で、こんな事だろうって事になるんだけれど、先生側となると、その人その人の歩み方やペースがあるだろうけれど、

普通なら先生の提案を課題なんて感じに進んでい行く感じ。でも俺はほぼ一切無いのね。みんなやりたい事をやりたい日にやっているのね。なのに、いきなりこんな事になる・・・

急に。戸惑う事もあるんだけど・・・この先生、ジブリが作りたいって言ってるのね。みんなで作る・・・って。最初から一貫して。まっそんな練習の機会が

来た・・・って時のお誘いなのね。ただこれは俺に取っては仕事なんで、流石にみんなの都合って訳にも行かないし、予約の順番に声を掛けているだけ・・・

だから規定数になったらおしまいになるし・・・まっ勿論、それでもやりたい人にはバックって手もあるんだけれどね。いずれにしても、また1人始まった。

そして明日は2人参加となる。


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