今日は初めてのりょうさん教室。今までは棟梁と一緒で来ていたんだけれど、1人で来るの初めてなのね。これがとても大事な事なんだけれど、本人はただ都合が合わなかったから・・・って、
とても単純な事だと思っているようなのね。でもそうでは無くて、ほぼ普通はみんな1人で来ているから、そんな人達から見れば、当たり前の事なんだけれど、今まで棟梁に乗せて来て貰っていた
のね。ある意味楽だったのね。でも今日は交通機関を使ったり、歩いたりしたと思うのね。本当に当たり前の事なんだけれど・・・。以前にも使った例えだけれど、世の中は未就学の子が、1人で
初めて1人で買い物へ行くだけで、見ている人が泣く番組があるのね。でもコロナ禍で自炊を始めた俺が買い物へ行っても泣くどころか、少し笑われたりもする。一体何処の何が違うんだろうか?
こんな事が感受性って話なんだけれど、初めてなのは一緒なのね。エコバックを持って、スーパーに買い物・・・これもまた一緒。ヨチヨチは歩かないけれど・・・。恐らく幼いって子供枠が、
そうさせると思うのね。ただその子供って枠も、小学生になって、1、2・・・って学年を上げて行くと、そうでも無くなって、中学生だったら、見ていても恐らく泣かなくなるのね。
まぁ違った意味なら、おつかいなんて行かないだろうから、珍しいね・・・って事にはなるかも知れないけれど。ってここまでの話なら、まぁ考えようとしなくても、まぁ大体判ると思うのね。
それと比較した時に、60をどんどんと上げて行くとする。70、80・・・きっと何処からか、違った心配事になり、扱いが未就学児と同じような目線になれば、お一人でお気の毒とか、ヨタヨタも
するかも知れないし、そんなに持てるの?忘れ物は無い?ってな事になる。つまり一番当たり前で、その対象にならないのがお母さんって枠になる。だってスーパーにお母さんがいる・・・って、
そんなに珍しい事じゃ無いからね。逆に60歳作務衣、ポニーテール、雪駄・・・一体何者?ってな事になる。何故なら、そのカッコの人はほぼ0に近いからね。だからコスプレ的な扱いとなれば、
変わった人だなぁ・・・って見られる。ある意味これも説明すれば、あぁそうかな?と感じる話だったりもするだろう。が、例えば、杖をついて来る人だったとしたら?大変だなとは思わない?
こんな事を聞いても、何が?って人は、それはそれとして、ただ来るとか、1人でとか、いつも誰かと来ていた・・・とか、アトリエに着いたら、みんなモザイクをするんだから、一緒であっても、
この出だしの1人で来た・・・ここは大きな事なのね。それは一緒にしか来れないって人は、一緒の人が来られないなんて事になれば、来月に延期になる。でも1人で来られれば、自分だけの都合
だから、自分の問題。そんな1歩だったのね。しかもアトリエに来て・・・となると、マンツーマンって事と、何人かいるのでは、その人数分の1の時間とでは、内容も変わって来る。
それと同時に、趣味って事くらいなら、わざわざアトリエに来なくても、kameyaさんだけでも・・って考えであっても良いだろうが、それをひと月に2回になって、しかも1回は個人レッスン
って事になると、趣味よりも上の心持ちな感じがしないかな?しかも自宅でも仕込みパーツを切っていたとしたら・・・ほら回数や時間はまだまだではあるものの、労作展の中学生スタイルみたい
・・・な気がしないかな?それが労作展ってのは、宿題って強制力が働くが、大人は自分が何かを持たないと、趣味って言葉にすると、楽しい、らくって方向に行っちゃうのね。目指さないから。
だから数回とか、数点やると飽きちゃうのね。本気の前に飽きちゃうから。でもこうした大作に向き合うって言うのは、嫌な例えだけれど遺作みたいな、極上の逸品作りだと思うのね。
つまりその人が今までとは違う姿勢で取り組む・・・だからその人の作品の中での最高になる方向に行けるのね。勿論、みんながみんな最後までたどり着く訳じゃ無いんだけれどね。それが継続は
力なり・・・って話で、続けりゃ誰でもそこそこ上手くはなる。けれど続ける事が難しいから、そんな当たり前の教訓があるのね。こんな事を踏まえたら、いつもとは違う刺激が欲しいよな・・・
ってな事になる。お互いにね。例えばりょうさんからすれば、初めての個人レッスン。しかも折角来たとか、わざわざ来たとか、何しろここまで来たのね。初めての1人なのね。何かを得たい・・
って言うのが、いつもよりも・・・って結果が欲しいじゃない?きっとね。じゃ先生側としては、それを踏まえて、個人レッスンじゃ無いと、目が離せない、こんな時じゃ無いと無理って事の方が
お互いに刺激だし、緊張感も生まれるし、結果もドラマチックだろうから・・・と、ガラスタイルにしたのね。ただいきなりガラスタイルをお任せってな訳には行かないから、基本の確認をしつつ
何しろ今日は考える事は無く、俺がしるしを付けたものを切る・・・わんこそばのように。そうすれば、何も考えずに切る事だけに集中出来るし、ガラスタイルを切るって事に慣れるのね。
何回も繰り返す事でね。ただ思っていたより失敗も少なく、あぁ切る事が上手くなったのかなぁ・・って。何しろ仕上がりに満足出来たり、上手く切れたりすれば、やる気になるのね。
気ってとても大切なもので、しかもどうしてもこの作品を完成させたい・・・って意気込みが、休みたくない・・・に繋がっているのだから、今度はそんな人への老婆心は、慌てないなのね。
やった分は進むのだから、休まなかったのなら、休まなかった分、進めたし、わざわざここまで来たんだから、来られた分のご褒美みたいな結果も出たし。これがまたガラスタイルに慣れた頃には
じゃしるしも自分でやって・・・って進級的な感じにはなるだろうが、何しろあれもこれも今日は初めてな事だらけ。良く逃げ切ったのね。そんな後は、椅子の下地になるんだけれど、材料を
買いに行ったり、野暮用があったりして・・・中々じっくりって訳には行かなかったりね。ただ方向だけは見えて来たんで、そこさえ解決出来れば・・・。
とても単純な事だと思っているようなのね。でもそうでは無くて、ほぼ普通はみんな1人で来ているから、そんな人達から見れば、当たり前の事なんだけれど、今まで棟梁に乗せて来て貰っていた
のね。ある意味楽だったのね。でも今日は交通機関を使ったり、歩いたりしたと思うのね。本当に当たり前の事なんだけれど・・・。以前にも使った例えだけれど、世の中は未就学の子が、1人で
初めて1人で買い物へ行くだけで、見ている人が泣く番組があるのね。でもコロナ禍で自炊を始めた俺が買い物へ行っても泣くどころか、少し笑われたりもする。一体何処の何が違うんだろうか?
こんな事が感受性って話なんだけれど、初めてなのは一緒なのね。エコバックを持って、スーパーに買い物・・・これもまた一緒。ヨチヨチは歩かないけれど・・・。恐らく幼いって子供枠が、
そうさせると思うのね。ただその子供って枠も、小学生になって、1、2・・・って学年を上げて行くと、そうでも無くなって、中学生だったら、見ていても恐らく泣かなくなるのね。
まぁ違った意味なら、おつかいなんて行かないだろうから、珍しいね・・・って事にはなるかも知れないけれど。ってここまでの話なら、まぁ考えようとしなくても、まぁ大体判ると思うのね。
それと比較した時に、60をどんどんと上げて行くとする。70、80・・・きっと何処からか、違った心配事になり、扱いが未就学児と同じような目線になれば、お一人でお気の毒とか、ヨタヨタも
するかも知れないし、そんなに持てるの?忘れ物は無い?ってな事になる。つまり一番当たり前で、その対象にならないのがお母さんって枠になる。だってスーパーにお母さんがいる・・・って、
そんなに珍しい事じゃ無いからね。逆に60歳作務衣、ポニーテール、雪駄・・・一体何者?ってな事になる。何故なら、そのカッコの人はほぼ0に近いからね。だからコスプレ的な扱いとなれば、
変わった人だなぁ・・・って見られる。ある意味これも説明すれば、あぁそうかな?と感じる話だったりもするだろう。が、例えば、杖をついて来る人だったとしたら?大変だなとは思わない?
こんな事を聞いても、何が?って人は、それはそれとして、ただ来るとか、1人でとか、いつも誰かと来ていた・・・とか、アトリエに着いたら、みんなモザイクをするんだから、一緒であっても、
この出だしの1人で来た・・・ここは大きな事なのね。それは一緒にしか来れないって人は、一緒の人が来られないなんて事になれば、来月に延期になる。でも1人で来られれば、自分だけの都合
だから、自分の問題。そんな1歩だったのね。しかもアトリエに来て・・・となると、マンツーマンって事と、何人かいるのでは、その人数分の1の時間とでは、内容も変わって来る。
それと同時に、趣味って事くらいなら、わざわざアトリエに来なくても、kameyaさんだけでも・・って考えであっても良いだろうが、それをひと月に2回になって、しかも1回は個人レッスン
って事になると、趣味よりも上の心持ちな感じがしないかな?しかも自宅でも仕込みパーツを切っていたとしたら・・・ほら回数や時間はまだまだではあるものの、労作展の中学生スタイルみたい
・・・な気がしないかな?それが労作展ってのは、宿題って強制力が働くが、大人は自分が何かを持たないと、趣味って言葉にすると、楽しい、らくって方向に行っちゃうのね。目指さないから。
だから数回とか、数点やると飽きちゃうのね。本気の前に飽きちゃうから。でもこうした大作に向き合うって言うのは、嫌な例えだけれど遺作みたいな、極上の逸品作りだと思うのね。
つまりその人が今までとは違う姿勢で取り組む・・・だからその人の作品の中での最高になる方向に行けるのね。勿論、みんながみんな最後までたどり着く訳じゃ無いんだけれどね。それが継続は
力なり・・・って話で、続けりゃ誰でもそこそこ上手くはなる。けれど続ける事が難しいから、そんな当たり前の教訓があるのね。こんな事を踏まえたら、いつもとは違う刺激が欲しいよな・・・
ってな事になる。お互いにね。例えばりょうさんからすれば、初めての個人レッスン。しかも折角来たとか、わざわざ来たとか、何しろここまで来たのね。初めての1人なのね。何かを得たい・・
って言うのが、いつもよりも・・・って結果が欲しいじゃない?きっとね。じゃ先生側としては、それを踏まえて、個人レッスンじゃ無いと、目が離せない、こんな時じゃ無いと無理って事の方が
お互いに刺激だし、緊張感も生まれるし、結果もドラマチックだろうから・・・と、ガラスタイルにしたのね。ただいきなりガラスタイルをお任せってな訳には行かないから、基本の確認をしつつ
何しろ今日は考える事は無く、俺がしるしを付けたものを切る・・・わんこそばのように。そうすれば、何も考えずに切る事だけに集中出来るし、ガラスタイルを切るって事に慣れるのね。
何回も繰り返す事でね。ただ思っていたより失敗も少なく、あぁ切る事が上手くなったのかなぁ・・って。何しろ仕上がりに満足出来たり、上手く切れたりすれば、やる気になるのね。
気ってとても大切なもので、しかもどうしてもこの作品を完成させたい・・・って意気込みが、休みたくない・・・に繋がっているのだから、今度はそんな人への老婆心は、慌てないなのね。
やった分は進むのだから、休まなかったのなら、休まなかった分、進めたし、わざわざここまで来たんだから、来られた分のご褒美みたいな結果も出たし。これがまたガラスタイルに慣れた頃には
じゃしるしも自分でやって・・・って進級的な感じにはなるだろうが、何しろあれもこれも今日は初めてな事だらけ。良く逃げ切ったのね。そんな後は、椅子の下地になるんだけれど、材料を
買いに行ったり、野暮用があったりして・・・中々じっくりって訳には行かなかったりね。ただ方向だけは見えて来たんで、そこさえ解決出来れば・・・。