katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

今日はエイプリルフールねぇ・・・

2024-04-01 23:58:36 | 下地彫り
今日は朝からコーナンで、サンシャインシティの展望台でのワークショップ用の下地彫り。昨日も彫ってるんで、遅くまでは掛からないものの、畳1枚分だからねぇ・・・夕方になっちゃったのね

ただ、しながわ水族館の事を考えれば、慣れってのは恐ろしいもんで、段々麻痺して平気になって来るのね。普通に出来たりする。でもそれは意識して置かないと、疲労は蓄積しているのね。

そこは考えに入れとかないと。そんなこんなでアトリエに帰ってから電動糸鋸で切り抜き。

まぁ一人だと特に話を広げる事が無いんだけれど、こうしたイベントを通称流しのワークショップって呼んでいるのね。要するに予約を受けた人数分では無く、何人来るか判らない・・・。

そんな時は、一体何人分作る事が適量なのか?考えないとならないのね。考える必要が無い事と、考えないとならない事。常に言っている真似をする作り方とオリジナルの違いと一緒なのね。

何人教室って人数が決まっている場合、例えば10人なら、不備を考えて11枚作れば良い。これは何も考える必要は無いが、初めてやるサンシャインシティの展望台は一体何人分作れば良い?って、

こんなの誰も判らないのね。だから考え方としては、様子が見たいとなると、かぐやと2人でやるとしたら、2人で回せる人数って・・・まぁ40人程度くらいかなって事で言うのなら、2日で80個。

単純に計算すればこうなる。ただそれは最高だろうから、契約書の項目では少なめに30くらいに書いて置くかってな事になる。そして実際は100個ちょい作る事になるのね。それは木の大きさ分を

作る事になると、畳1枚分で何個取れるか?になるからなのね。半端を余らせてもそれはそれで困るんでね。それと今後の参考として、この程度の下地だとこれ位時間が掛かるのか・・・ってね。

これでもし今後も・・・と頼まれたとしても、大体想像は付く事になる。全てがこうした準備を1の段階で10を知れるように準備をして置けば、大抵はそこを下回る事になる。

大きく困らないって事は、俺の予期した事よりも下回るからであって、それでは売れる方向にはならないのね。この予定調和が崩れないって事は、いつも通りな事しか置きないって事になる。

そう言う点では、しながわ水族館では経験値あっての2度目。どちらもまずまずな結果だったと思う・・・そうまずまず。つまり下回らずに上回らずににまずまず。これが困った・・にならないと

普通になってしまうのね。それが安定感。要するにこれを上回るには新しい事をして試さないとならないのだけれど、そうね例えば、薄っくらい歌をおっさん連中が歌うフォークソングって、

悪意すら感じる表現をしてから、旅立ちでデビューした松山千春さんって言うと、その当時だったら、福山くんばりの良い男がフォークソングって事になれば、そりゃ興味が無くても興味が湧く。

しかも歌も上手けりゃルックスも・・・ってなれば、薄っくらいって言うのを消すには十分。そこに銀の雨だの、青春だのって続けば、そりゃ安定感も出る。所がフォークソングってのは、

大体がギター一本なのね。だからポップな歌からは地味になる。勿論その地味さが情緒に繋がり、寂しさとかはかなさとか、切なさなんて言うには効果的だとは思うのね。ただそれをも超えると

なると、季節の中で・・・だと思うのね。ヒットした曲だから一般的になった。そうすると、その垢抜け感をニューミュージックって言い出すのね。こうなると、賛否両論になる。

フォークソング側からは歌謡曲みたい・・・となり、歌謡曲側からは、歌謡曲では無く垢抜け感があって・・・だから新しいから、ニューミュージックって。勿論個人的見解ね。

そしてこの辺までなら、どちらにも何と無く受け入れられたとしても、長い夜でその賛否両論もマックスとなり、もはや歌謡曲だな・・・って事に寄せられた感が増す。大きく変わったのは、

やはりドラム音が目立ったが、間奏はエレキギターソロなんて無かったし、オーケストラ感があった、季節の中で・・・から、いきなりエレキギターで入り、ずっとエレキの音がリズミカルに

刻まれて、しかも間奏にソロまで入って・・・そりゃフォークソング側に立ったら受け入れられない人も多いだろうね。ただそれでもコアなファンは残る。逆に全く興味が無かった人達には、

歌謡曲なら地上波に乗るし、一般的になるのだから、聞く回数が増える。つまり認知される事になる。良くも悪くも原理としては常にこんな感じなのね、昭和の場合。それはテレビが一番影響力が

あったから。ねぇ昨日見た?こんなセリフに尽きる。しかしながら、今はネットって配信されるものを見るだけでは無く、自分でも配信しちゃう時代なんだから、これはこれでまた変わるんだけど。

そんな事が結果として売れて行く仕組みだったとしたら?・・・って考えると、駆け出しの頃は常に作品を作っていた・・・何しろ徹底的に。これは作家katsu寄りになる。って言うか、それ

しか無かったから。タイル屋を辞めて、付き合いは無く、街中と言えど、話す相手もいないのだから、ひたすら何か思い付くものを作っていた。しかしながら、出会いが変わると周りは小さな子が

いるお母さんになると、公民館に頻繁に出入りする事になる。すると子ども教室などが増え、徐々に先生katsuの活動が増えて行く。すると出張教室もやって来るようになる。

これを松山千春さんの話に当てはめると、フォークソングに当たるのが、作家katsuになり、つまりそれが好き、それを応援するって側の人には、生活費を稼ぐには仕方無いかも知れないが、

作品作りが少なくなった・・・こうした考え方になる。逆に貧乏作家って大変じゃん・・・まず生活費稼がないと・・・って側の人達は、先生katsuの仕事を探してくれるし、場合に寄っては、

作品が欲しいと思う人を紹介して貰ったり・・・ただ先生katsu寄りって言うのは、作家活動の時間を割くって事にもなるのね。あっちを立てればこっちが立たずみたいな話ね。

ただ認知度を上げる、知って貰うって言うのは、公認無しで選挙に出るってもんなのね。しかも当時はテレチャンで優勝って看板もあって、多少の認知はあるものの、その威力は何処まで続くか?

って話で、むしろそれを捨てにも掛かった。それが芸術色で、あれこれやっては見たものの、何しろ宣伝広告費みたいなもんだから収入を上回っちゃうのね。そりゃ生活費もつぎ込むわけよ。

何しろ必要最低限以下の生活費だから、時には2ヶ月家賃滞納なんて当たり前、綱渡りの生活になるのね。それが少しマシになって来るんだけれど、当然作家katsuでは無く、先生katsu側ね。

周りがお母さんだったから。ただそれも同じように時は経つから、みんな大きくなる。つまり子ども教室は少なくなって行くのね。ただそこで培われた事が、公民館からカルチャーや、デイ・サービスと言った事に変わって行ったのね。

今度はこれをスキージャンプとかで置き換えると、絶対無敵のエースの高梨沙羅が、あれこれ規定が変わると、余り勝てなくなった。ただそれを乗り越えると、いつでも優勝って訳には行かないが

3位圏内に入れるようになる。本当に強いって言うのは、環境の変化に馴染む事なのね。要するにその環境でしか生きられないと、死が待っているだけなのね。予定調和で生きるにも常に順位が

あって、それ以外は生きられないのが当たり前なのね。幸い選択肢が無いからやるしか無い。まぁがむしゃらに・・・ってとても単純な事がしやすかったんだろうね。そんな変化の中で、待つって

スタイルから、営業・・・つまり狩るスタイルに変更となると、依頼されるのを待つのでは無く、こちらから出向く的な事が、かぐやのネット営業になり、俺はマルシェだのkatsu散歩だの、

人に見られる場所へ出向くなんて事をやったりもした。まぁ結果は散々なんだけれどね。ただやらないよりはマシで、多少の出会いもあったりするのね。勿論その間は制作は出来ないのだから、

夜な夜な作る事になり、それでも以前の制作とは全く違う事になる。そうね、年に数個って感じかな。それが60歳を迎えた時に、ようやくなったか・・・って思ったのね。それが大義名分。

もはや世間では定年の歳になった。これ以上、遠慮が美徳って生き方をし続ける?って自問自答すれば、自ずと答えは出て、自分の道を歩けば良いだけ・・・と言いやすくなった。

さて自分の道ってのは?って言うのも、見つかれば簡単で、最初から言って来た事を、具体的にすれば良いだけ。つまりサザンもやりたいのに桑田さんとしてのソロもしたい。

みんなで作るってスタイルと、個人の作品って言う事ね。しかもみんなで・・・ってサザンの場合、青山のサークル仲間って感じだけれど、俺は俺の生徒さんと共に・・・世界遺産が作りたいのね。

まぁそうなると、芸大みたいな肩書きと腕前が必要になるだろうが、良くも悪くも何にも属して無いのね・・・つまり正当な道は歩けない。道が無い所を歩かないと・・・つまり誰もやっていない

場所や事をしないと。まぁこうして探すようになると、とても具体的になる。これか?ここか?って探すから。ただ常に正解なら、もっと楽だろうが、通常は不正解が溜まって行くもんなのね。

ただその不正解が財産にもなるのね。実は。何せ逆も真なり。まっ簡単に言えば、これは違う、これも違うってダルマ落としのように叩けば、残ったものが正解なんだろうね。果てしない作業だけど。

まっでも答えは出ているし、後はそれに向かって時間を使うだけ。そんな中、タイルの商社の社長さんから見積もりをお願いされて数度出したり、眠っていた穂竜の作品が展示して貰えそうな話に

なったり、さいたまのコープみらいさんの会場が8箇所になったり、ピエロの壁画の依頼があったり、サンシャインシティの話だったり、でも金魚の壁画はまた忙しく据え置きになったり・・・

売れるって言うのは、これが全部決まって満員で、依頼も待って貰って、いつかお断りしないとならなくなるか、いつまでも待って貰えるようになる事だったりするんだろうね・・・。

ただこれでもまだ足りない。この程度の忙しさなんて、全く話にならない。もっともっとでっかい事がしたいのだから・・・みんなとは違う道から頂点に立つ気満々の60歳・・・今が一番良い。

そしてまた明日が一番良い。今まで起こった事は全て踏み台にして、上へ行かないと・・・1回きりの人生なんだから・・・月並みだけどね。しかも夏までは4、5ヶ月しか無い。

ここまでの人生に終止符を打つから、今しか出来ない事は残りあとわずかとなった・・・。そして今日はエイプリルフール・・・これが嘘か真かは、俺の問題では無い。信じるものは救われるのか、触らぬ神に祟り無しなのか?日本語って怖いわっ。一石二鳥に、二兎追う者は一兎も得ず。

結局決めるのは自分って事なのね。

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