今日は、まるっとピエロの壁画。流石に時間が解決って所まで行くと、何しろひたすらやる・・・ってだけなんで、特に話を広げる事も無いのね。ただきっとこう思うのね。そうね、例えば徳を積むなんて言葉がある。
これに付いて考えると、一日一善的に考えれば、歯を磨く的な事と違って、同じ事の繰り返しでは無く、毎回何なのか?その都度違っていて、これか?これなのか?って感じなのね。
ただ神様じゃ無いから、毎日毎日全てに置いて、全ての事例に徳を積むみたいな事なんて出来るもんなのかね?・・・って。ただもし普通は出来ないって言うのなら、その普通の考え方を辞めないとね・・・
だって結果が普通になっちゃうから。所がね、人だから楽をしたくなるのね。ただそこに家族なんてものがあると、欲が出るから、儲けなんて事を考える事になる。これを天秤に乗せれば、当然
自分の方が得をしようとするだろうから、徳を積むなんて考え方はほぼ崩壊する。これが子供でも100を基準にすれば、50、50にすればイーブンとなるって判るが、仕事でそんな事が出来るか?
となると、まずほぼ不可能に近いのね。何故なら商人のように、1個サービスねとか、端数はおまけね・・・とか、相手が判りやすいものなら納得出来たとしても、俺の仕事のような場合、
一体何をどうすれば納得行くの?となった時、完全なる結果って言うのは、きっとこれだけですいません・・・とか、涙を流すとか、こんな普通じゃ有り得ない状況を生んだら、圧倒的な納得で
あり、相手の提示した金額以上の事をした・・・納得して頂いたとなるんだろうね。まぁ何度かあるが。その時はやって良かった・・・って気持ちと引き換えに、わずかながらの残りの金額で、
家族は養う事は出来ずとも、一緒にやった人達とプチッと夕飯くらいご馳走出来たりする。要するに人と同じように生きていたら、普通の結果しか得られないと考えれば、欲しいのは普通じゃない
結果。それには普通じゃないプロセスを通らないと・・・常に結果は後から付いて来るものだからね。こうして繰り返す事、23年・・・結構、普通じゃないプロセスも溜まって来たのね。
ここで一旦、今の話から離れて、最高峰の話題で言えば、大谷さん。良く二刀流なんて事を比喩に使う人がいるが、打者と投手って普通はどっちか?に絞るものなのね。どっちか1つってね。
それを2つやるって事は、普通に考えたら普通の一流が100の努力を打者か投手に注ぐ事になる。つまりどっちかを捨てる。それを2つ一流にとなると、200必要になる。それを昭和なら寝るのも
惜しんで・・・になるだろうが、大谷さんはきちんと睡眠って言うのね。では200なんて到底無理になる。それを才能とかセンスとかの違い・・・って普通は棚に上げて言い訳をする。
そうまだ何もしていない段階で。しかも一流選手がね。でもその人達はもし自分が劣っていると感じていたなら、きっと寝る間も惜しんで・・・ってしたくなるだろうね・・・と思うが、大谷さん
が努力している時に、お酒を呑んだりしていたとしたら?当たり前の差が出て当然じゃ無いのかな?そもそも超一流って超な訳で。遥かに上のプロセスを踏んで結果を得ているのであって、普通の
プロセスでは無いと言う事なのね。だから結果が付いて来て、普通じゃ無い事が起こっている。勿論、全員が真似したとしても、その結果が出る訳じゃ無いが、当然自己ベストは狙える。
それがナンバー1じゃ無くて、オンリー1的な考え方だと思うが。いずれにせよ、そんな普通じゃ無い努力をしているのに、今年は打者だけの人になっている。一つしていないのね。
その元気分、走るって盗塁を重ねる事が出来る。ここで簡単に説明すると、ホームランって言うのは、歩いていても構わないのね。4つコマを進めるとでも説明して、4つ駆け抜けると1点。
それをヒットって場合だと、相手はアウトにしたい、こっちはヒットにしたいって事で走り抜ける事になり、セーフになれば、その場合に盗塁って言う事が出来るのね。つまりホームランを打つと
盗塁が出来なくなり、盗塁が出来るって事はホームランじゃ無いって事なのね。だから今の記録が凄いのね。相交えない事だから。そうつまり相交えない事が凄い事に繋がる・・・。
こうして理解をして、それを自分に当てはめれば、先生って言うのは教えるであって、本来は引退してからコーチや監督になるものなのね。所が選手となると、何しろ人よりも秀でないと・・・
つまり自分を前に出す事であり、コーチや監督は人を前に出す事って具合に、相交えない。それを例外として、プレーイングマネージャーと言って、自分が選手も監督もするって言う人がいる。
これもまた例外。未熟ながら俺もやっているんだけれどね・・・。まぁ、こうやって色々と積んで来た事をやり続けるのも継続は力なりで合ってはいるんだけれど・・・けれどね。
今やるべきは、制作よりも人に知られる努力なのね・・・それが無収入3点セットのリュウグウノツカイ、カツオノエボシ、そして蛸の椅子・・・宣伝の為に作った作品。それをしながわ水族館、
サンシャイン60の展望台、そして先日のセラスタ・・・と飾って頂いた。更にシンデレラのガラスの靴のように、東京では無く、大阪の中村タイルさんって問屋さんに置かせて貰う事になった。
この壁画もそう。地元江戸川区に、一般住宅のリフォームとして外壁になる。幼稚園では無く一般住宅に・・・誰もが見られる場所に。しかも今度はお金を貰える仕事として・・・。
内容が変わって来ているのね。ただ人は見かけで判断するもの。可愛いとしか見えないピエロの壁画では、何処まで行っても可愛いとしか見えないだろうし、これが凄いって思われるには、もう少し時間が掛かるのね。
そこにはまず足場固め。そろそろ生徒さんにも参加して貰う準備も出来て来た・・・。
これに付いて考えると、一日一善的に考えれば、歯を磨く的な事と違って、同じ事の繰り返しでは無く、毎回何なのか?その都度違っていて、これか?これなのか?って感じなのね。
ただ神様じゃ無いから、毎日毎日全てに置いて、全ての事例に徳を積むみたいな事なんて出来るもんなのかね?・・・って。ただもし普通は出来ないって言うのなら、その普通の考え方を辞めないとね・・・
だって結果が普通になっちゃうから。所がね、人だから楽をしたくなるのね。ただそこに家族なんてものがあると、欲が出るから、儲けなんて事を考える事になる。これを天秤に乗せれば、当然
自分の方が得をしようとするだろうから、徳を積むなんて考え方はほぼ崩壊する。これが子供でも100を基準にすれば、50、50にすればイーブンとなるって判るが、仕事でそんな事が出来るか?
となると、まずほぼ不可能に近いのね。何故なら商人のように、1個サービスねとか、端数はおまけね・・・とか、相手が判りやすいものなら納得出来たとしても、俺の仕事のような場合、
一体何をどうすれば納得行くの?となった時、完全なる結果って言うのは、きっとこれだけですいません・・・とか、涙を流すとか、こんな普通じゃ有り得ない状況を生んだら、圧倒的な納得で
あり、相手の提示した金額以上の事をした・・・納得して頂いたとなるんだろうね。まぁ何度かあるが。その時はやって良かった・・・って気持ちと引き換えに、わずかながらの残りの金額で、
家族は養う事は出来ずとも、一緒にやった人達とプチッと夕飯くらいご馳走出来たりする。要するに人と同じように生きていたら、普通の結果しか得られないと考えれば、欲しいのは普通じゃない
結果。それには普通じゃないプロセスを通らないと・・・常に結果は後から付いて来るものだからね。こうして繰り返す事、23年・・・結構、普通じゃないプロセスも溜まって来たのね。
ここで一旦、今の話から離れて、最高峰の話題で言えば、大谷さん。良く二刀流なんて事を比喩に使う人がいるが、打者と投手って普通はどっちか?に絞るものなのね。どっちか1つってね。
それを2つやるって事は、普通に考えたら普通の一流が100の努力を打者か投手に注ぐ事になる。つまりどっちかを捨てる。それを2つ一流にとなると、200必要になる。それを昭和なら寝るのも
惜しんで・・・になるだろうが、大谷さんはきちんと睡眠って言うのね。では200なんて到底無理になる。それを才能とかセンスとかの違い・・・って普通は棚に上げて言い訳をする。
そうまだ何もしていない段階で。しかも一流選手がね。でもその人達はもし自分が劣っていると感じていたなら、きっと寝る間も惜しんで・・・ってしたくなるだろうね・・・と思うが、大谷さん
が努力している時に、お酒を呑んだりしていたとしたら?当たり前の差が出て当然じゃ無いのかな?そもそも超一流って超な訳で。遥かに上のプロセスを踏んで結果を得ているのであって、普通の
プロセスでは無いと言う事なのね。だから結果が付いて来て、普通じゃ無い事が起こっている。勿論、全員が真似したとしても、その結果が出る訳じゃ無いが、当然自己ベストは狙える。
それがナンバー1じゃ無くて、オンリー1的な考え方だと思うが。いずれにせよ、そんな普通じゃ無い努力をしているのに、今年は打者だけの人になっている。一つしていないのね。
その元気分、走るって盗塁を重ねる事が出来る。ここで簡単に説明すると、ホームランって言うのは、歩いていても構わないのね。4つコマを進めるとでも説明して、4つ駆け抜けると1点。
それをヒットって場合だと、相手はアウトにしたい、こっちはヒットにしたいって事で走り抜ける事になり、セーフになれば、その場合に盗塁って言う事が出来るのね。つまりホームランを打つと
盗塁が出来なくなり、盗塁が出来るって事はホームランじゃ無いって事なのね。だから今の記録が凄いのね。相交えない事だから。そうつまり相交えない事が凄い事に繋がる・・・。
こうして理解をして、それを自分に当てはめれば、先生って言うのは教えるであって、本来は引退してからコーチや監督になるものなのね。所が選手となると、何しろ人よりも秀でないと・・・
つまり自分を前に出す事であり、コーチや監督は人を前に出す事って具合に、相交えない。それを例外として、プレーイングマネージャーと言って、自分が選手も監督もするって言う人がいる。
これもまた例外。未熟ながら俺もやっているんだけれどね・・・。まぁ、こうやって色々と積んで来た事をやり続けるのも継続は力なりで合ってはいるんだけれど・・・けれどね。
今やるべきは、制作よりも人に知られる努力なのね・・・それが無収入3点セットのリュウグウノツカイ、カツオノエボシ、そして蛸の椅子・・・宣伝の為に作った作品。それをしながわ水族館、
サンシャイン60の展望台、そして先日のセラスタ・・・と飾って頂いた。更にシンデレラのガラスの靴のように、東京では無く、大阪の中村タイルさんって問屋さんに置かせて貰う事になった。
この壁画もそう。地元江戸川区に、一般住宅のリフォームとして外壁になる。幼稚園では無く一般住宅に・・・誰もが見られる場所に。しかも今度はお金を貰える仕事として・・・。
内容が変わって来ているのね。ただ人は見かけで判断するもの。可愛いとしか見えないピエロの壁画では、何処まで行っても可愛いとしか見えないだろうし、これが凄いって思われるには、もう少し時間が掛かるのね。
そこにはまず足場固め。そろそろ生徒さんにも参加して貰う準備も出来て来た・・・。