今日は何と無くゆっくり目に家を出て母と正月の準備。まぁこんな事は後何回出来るんだろうか?って事になると、完全に思い出作りだったりするのだから、出来るのなら・・・って事で、そうなると今日しか空いて無かったから。
当然、昨日の続きで車内の音楽はベルばら。そうね、全く判って貰えないとは思うんだけれど、恐らく俺と同じように気分を作って行くやり方って言うのは、演者みたいな人達なら、結構いると思うんだけれどね・・・。
例えば、最近GYAOで、のだめカンタービレを見たのね。まぁザックリ言えば、幼少からピアノの天才と言われた女の子が、特訓をきっかけに強制される事がトラウマになるが、それでも音大に進むと、憧れの先輩の背中を追い掛ける・・・。
まぁ、話の内容からすると、アニメの、ちはやふるにも似ているのだけれど、そもそも誰もが何かのきっかけで頑張って取り組むなんて事は多々あるのね。その時に幼少の頃って、ただその分野が好きってだけでは中々続かないもので・・・。
それは当たり前で、友達と遊びたいし、ゲームだってやりたいし、テレビだって・・・それが友達もやっていたりすると、一緒に行けるから、出来るから・・・って言うと、続けやすくもなる。勿論、そこも良い事と悪い事は背中合わせ。
一緒に出来る為には、その人と同等の実力が無いと・・・いられないのね。もし仮にその人が大した実力が無かった場合、お互い補欠なら一緒に居られる可能性はあるが、厄介なのは、その人に誘われたのに、補欠だから詰まんない・・と
先に辞められたりすると、一緒に辞めたくなる。まぁこれならまだ良いが、更に誘われた方が付いて行けずに辞めるならまだ救いがあるが、逆の場合。誘われた方がレギュラー的に上手くなった場合、関係がギクシャクしたりもする。
更にもっと上を目指す場合、誘った相手が上手いと、そこに一緒に居る為には、もっと努力を重ねないとならなくなる。でももしそれが大会を目指すとか、優勝とか、志が高かった場合、もっと他の何かを割いてでもやらないと、とても追い付けない。
更にさっきの話と同じでも、志の高かった場合は、内容はもっと大きく変わって来るのね。つまり楽しいだけでは居られなくなるものなのね。そもそも、のだめの場合、幼少期に天才扱いされている時点で、きちんと続ければちゃんと音大に
入れる所までは何とかなる。ただ音大って言うのは、一体この先どうする?となった時、プロの道へ進めば、オーケストラに所属なんて事を目指す事になると、野球やサッカーみたいなプロの組織に入団しないとならない。
ある意味、入るだけでも凄いのに、レギュラーは人数が限られているのだから、入っても出られるかどうか?なんて事になるし、その肩書でレッスンコーチって言う道もあったり、KingGnuさんのように、ポップスバンドとして活動なんて
言う事もあったりもする。これは設計士でも同じで、大手建設会社に入社しても、設計士になれるなんて言うのは、ごくわずかであって、大半は現場の監督だったりする。逆に設計事務所なんかに入ると、確かに図面は引く事は出来ても、
志として、自分の設計をさせて貰えるか?となると、恐らく中々そんな事は無かったりもする。ほぼ全部一緒の話なのね。どれもこれも目指すような人になると、普通の人とは違う生き方になり、もはやド変態な生き方になるのね。
それがヒカルの碁なんて言うアニメだと、棋院に入れるのは・・・って年齢制限があったりして、これも優しさの配慮みたいなもので、きりが無くなる時間を諦める事の出来なくならないように、足切りをしてくれるシステムだったりして、
いずれにせよ、志すなんて言うのは、相当な覚悟が必要なのね。そしてその究極なものが、生まれ育った環境での縛り。カエルの子はカエル。歌舞伎なら血筋。それを稀に一般でやれる人もいるらしいが、ほぼ血縁関係。
つまり生まれて男の場合、100%後を継ぐ事になる。勿論、農家でも漁師でも、タイル屋でもあるけどね。でも絶対では無いのね。でも歌舞伎なら生き方を選択出来ない。そしてベルばらでも、近衛兵の良家の家柄と、ただの歩兵では、住む世界は違うし、交わう事は、護衛のみ。生き方はそれしか無い。
草むらに名も知れず咲いている花ならば・・・ただ風を受けながらそよいでいればいいけれど・・・バラだと気品に満ちた生き方をしないとならない・・・まぁ普通に読み取れば、バラ側に立つと、バラ以外は自由で良いな・・・となる。
勿論、バラ側では無いと、踏まれる事もあるし、摘まれてしまうかも知れない。名も知らぬ花なんて、花屋さんのような取引をされないのだから、単なる雑草扱い。たたき上げの生き方はそんなに甘くも無い。ただあくまでバラ側の歌ね。
だからバラには自由は無く、しかも気高く生きないといけない定め。そして平凡な人生はかなえられない身・・・こんな事をしっかり叩き込まないと、しぐさ、所作みたいな事とは何たるか?を理解する事は出来ない。
しかもそこに身を置く事になったのだから、知らないままで携われば、単なる仕事になる。それを知らずに一緒に作るなんて、ナンセンス極まり無いし、今更、誰にもそんな事を教えて貰えない。
しかも子供達が6年間教わっただけの事・・・それを58歳の大人だから、そんなの判るなんて言うようでは、思い上がりなのね。相手はオスカルなのだから・・・何とか一緒に居る為には、バラでは無いアンドレ程度にはならないと・・・。
そもそも例えば、のだめに出て来る話だと、楽譜通りに音を外さずに引く・・・こんなもん音大なら誰でも出来るのね。それは当たり前の事になのね。つまり普通。それを、目に見えない事を察する事が出来ると、その音が変わって来る。
それは当たり前の事で、意識が変えれば行動が変わる・・・つまりその技術を身に付けて置いて、目に見えない事を取り込む・・・それは時代背景や、作曲家の思い、その風景、そんな事を感じ取る・・・ただ弾く、ただ音を出していては、
誰もが一緒で普通なのね。でも感情が伝わらないのね。これは五感の聴覚の話。それが役者なら、自分の演じる台本の文字だけを追う者と、同じようにその人になり切る為に、生き方自体を想像して・・・場合に寄っては近づく為に、歯を抜いたり、
太ったり、痩せたり・・・俺はこっち側なんだけれど、勿論これも逆も真なりで、そんなの関係無いってスタイルもあるだろうが、いずれにせよ、その人その人の演じ方があるのね。これは視覚の話。そしてそれを徹底的に叩き込むのね。
それがしぐさや所作のように身に付いたら、一旦忘れる・・・じゃ無いと、演じてしまうから。このやり方は、その人になるのだから、演じるやり方では無いのね。その人なのね。身に付けて演技をするのでは無く、身に付けてその人なのね。
だからそうする為に身に付いたら忘れるのね。じゃ無いとやらされている感じになっちゃうから。いずれにせよ、そう言う気分作り・・・仕えるって言う点では、母に仕えたんだろうね・・・。これも1つの体験になる。