今日は完成としていた下地に不備とまでは言わないが、若干気になる事があって彫り直しをした後の、ペーパー掛けとペンキ塗り。何しろ1月第一週目から使うのに、やり直しなんだからね・・・
そりゃ急ピッチってな事になるんだけれど、まずは気持ちの気って部分。折角出来ていたのに・・・とか、後少ししか無いとか、自分を追い込む前に、一体本当はどの位の話なの?って、
自分に言い聞かせる為には、まずやる気・・・気ね。それには、そのやる気のちょっと前に、やれる気みたいにならないと、いきなり気持ちは立て直せないのね。だから大丈夫って言わせるには、
そのきっかけが欲しいのね。それが数時間やって、そこでどの位出来るか?例えば、ただ急いでいると、大家さんに頼んで外でやる・・・なんて考えるのは、能率効率なのね。そんな事を考えると
今週末、雨が降るなんて言っているんだから、条件が悪くなると、増々追い込まれる気持ちになるのね。だから必ず出来る前提のアトリエ内でやらないと意味が無いのね。逆に場合に寄っては、外
でも出来る・・・って感じになれば、得した気分にもなる。しかも常に良い事と悪い事は背中合わせ。アトリエ内は手狭であるけど、ファンヒーターを回せば、乾きも良くなるのね。
しかも地味なペンキ塗りでは、外は寒く、夜釣りだって冷えるのに、遊びじゃ無くて仕事・・・みんながそろそろ休みって中、呑気な話に見えるかも知れないし、まだ仕事?って言うのもね・・・
まぁそれはそれでパフォーマンスって言えば、それでも良いけれどね・・・それはコーナンで充分。話は戻して、つまり数時間やると、この位は出来る・・・って自分を言い聞かせられれば、
やる気にはなる。その次もまた気分。そもそも終わっていたのに・・・って気分は、まだ出来るって思っただけで、やる気って言う気持ちになっただけで、そこを何とかはぐらかさないと。
そこでいつもならラジオなら語り口で、それが孤独から開放されるし、スポティファイなら、好きな音楽を掛けるなんてのもあるが、こう言うイレギュラーな時って、いつもの繰り返しでは、
流石に単純な俺の脳でも切り替えられなかったりする。そもそも日常にしても、ずっと休み無くやっているんだから、追い込まれ感満載な上なのだから、更に・・・になる訳で。
そんな時はtverみたいなものを利用するんだけれど、みんなとはちょっと違って、画像は余り見ずに聞くって感じに使うのね。これもコツがあって、見ないから声だけ聞こえるラジオになる。
でもラジオは見えない前提で、放送側に配慮があるけど、画像ありきでは説明をしてくれないから、想像しないとならないのね。ここが大事なのね。要するに単純作業的な場合、考える事を
しない分、楽するのね・・・脳が。つまり日常で考える事ばかりのクリエーター的な場合、休みなら考えない・・・って言うのが楽なのね。でも考えないって事は、非日常であり、休む前提。
違うのね俺の場合は・・・休まない中で、余暇のフリをして脳を騙す・・・って話だから、いかにやる気に火を付け、やって行く道中に、飽きたとか、嫌だなとか、何でだろうとか、思わせない
ようにしないとならないのね。つまり日常では無く、休みの非日常でも無く、半日常みたいな感覚で、その半日常は刺激としてはラジオやスポティファイとも違っていて、尚且つ頭を使うのね。
だって見れば判るでしょ?って作りの画像ありきを、見ないで想像ってね・・・そうね、自分の家を目をつぶって歩くみたいに、いきなり外では無く、トイレに行くみたいな感覚。
これを不便だな・・・って人はストレスになるけれど、ほんのひとときなら、ゲーム感覚になる。まっ簡単に言えば、休みにキャンプって言う、都会の人が不便を買ったり、逆に田舎の人が、
ランドやシーの便利を買うみたいに、非日常が楽しい感覚なら、俺も非日常にすれば良いんだけど、休む前提では無くて、休んだフリで脳を誤魔化す仕組みの話で、何とか仕事をさせたいのね。
でも休んだような気持ちにさせないと、ストレスになる。だから、日頃見られないテレビを見ないで聞くみたいにすると、刺激にもなるし、その画像はどうなっているのか?手は動かして考えず、
でも娯楽の画像を考える・・・ってやると、常に考えるって脳は動くし、手は慣れれば、勝手に作業するのね。しかも、能率効率は便利な事を考えようとするんだけれど、そこが違っていて、
この作業をしているとテレビが聞ける・・・って思い込む自分に叩き込むと、ペンキ塗りやペーパー掛けすると、テレビが聞ける・・・って、楽しみになるのね。馬鹿でしょ俺の脳って。
何しろ継続は力なりって判っているんだから、どうやったら継続出来るか?自分の脳を・・・なのね。これは俺の脳の話で、みんなにも人それぞれやり方はあるだろうけれど、何も工夫が無いと、
かなり難しいと思うのね。まっこんな事の繰り返しで・・・
200枚以上は終わったから、年内に400枚に戻すのも、難しいかも知れないが、まっ無理でも無さそうなのね。
そりゃ急ピッチってな事になるんだけれど、まずは気持ちの気って部分。折角出来ていたのに・・・とか、後少ししか無いとか、自分を追い込む前に、一体本当はどの位の話なの?って、
自分に言い聞かせる為には、まずやる気・・・気ね。それには、そのやる気のちょっと前に、やれる気みたいにならないと、いきなり気持ちは立て直せないのね。だから大丈夫って言わせるには、
そのきっかけが欲しいのね。それが数時間やって、そこでどの位出来るか?例えば、ただ急いでいると、大家さんに頼んで外でやる・・・なんて考えるのは、能率効率なのね。そんな事を考えると
今週末、雨が降るなんて言っているんだから、条件が悪くなると、増々追い込まれる気持ちになるのね。だから必ず出来る前提のアトリエ内でやらないと意味が無いのね。逆に場合に寄っては、外
でも出来る・・・って感じになれば、得した気分にもなる。しかも常に良い事と悪い事は背中合わせ。アトリエ内は手狭であるけど、ファンヒーターを回せば、乾きも良くなるのね。
しかも地味なペンキ塗りでは、外は寒く、夜釣りだって冷えるのに、遊びじゃ無くて仕事・・・みんながそろそろ休みって中、呑気な話に見えるかも知れないし、まだ仕事?って言うのもね・・・
まぁそれはそれでパフォーマンスって言えば、それでも良いけれどね・・・それはコーナンで充分。話は戻して、つまり数時間やると、この位は出来る・・・って自分を言い聞かせられれば、
やる気にはなる。その次もまた気分。そもそも終わっていたのに・・・って気分は、まだ出来るって思っただけで、やる気って言う気持ちになっただけで、そこを何とかはぐらかさないと。
そこでいつもならラジオなら語り口で、それが孤独から開放されるし、スポティファイなら、好きな音楽を掛けるなんてのもあるが、こう言うイレギュラーな時って、いつもの繰り返しでは、
流石に単純な俺の脳でも切り替えられなかったりする。そもそも日常にしても、ずっと休み無くやっているんだから、追い込まれ感満載な上なのだから、更に・・・になる訳で。
そんな時はtverみたいなものを利用するんだけれど、みんなとはちょっと違って、画像は余り見ずに聞くって感じに使うのね。これもコツがあって、見ないから声だけ聞こえるラジオになる。
でもラジオは見えない前提で、放送側に配慮があるけど、画像ありきでは説明をしてくれないから、想像しないとならないのね。ここが大事なのね。要するに単純作業的な場合、考える事を
しない分、楽するのね・・・脳が。つまり日常で考える事ばかりのクリエーター的な場合、休みなら考えない・・・って言うのが楽なのね。でも考えないって事は、非日常であり、休む前提。
違うのね俺の場合は・・・休まない中で、余暇のフリをして脳を騙す・・・って話だから、いかにやる気に火を付け、やって行く道中に、飽きたとか、嫌だなとか、何でだろうとか、思わせない
ようにしないとならないのね。つまり日常では無く、休みの非日常でも無く、半日常みたいな感覚で、その半日常は刺激としてはラジオやスポティファイとも違っていて、尚且つ頭を使うのね。
だって見れば判るでしょ?って作りの画像ありきを、見ないで想像ってね・・・そうね、自分の家を目をつぶって歩くみたいに、いきなり外では無く、トイレに行くみたいな感覚。
これを不便だな・・・って人はストレスになるけれど、ほんのひとときなら、ゲーム感覚になる。まっ簡単に言えば、休みにキャンプって言う、都会の人が不便を買ったり、逆に田舎の人が、
ランドやシーの便利を買うみたいに、非日常が楽しい感覚なら、俺も非日常にすれば良いんだけど、休む前提では無くて、休んだフリで脳を誤魔化す仕組みの話で、何とか仕事をさせたいのね。
でも休んだような気持ちにさせないと、ストレスになる。だから、日頃見られないテレビを見ないで聞くみたいにすると、刺激にもなるし、その画像はどうなっているのか?手は動かして考えず、
でも娯楽の画像を考える・・・ってやると、常に考えるって脳は動くし、手は慣れれば、勝手に作業するのね。しかも、能率効率は便利な事を考えようとするんだけれど、そこが違っていて、
この作業をしているとテレビが聞ける・・・って思い込む自分に叩き込むと、ペンキ塗りやペーパー掛けすると、テレビが聞ける・・・って、楽しみになるのね。馬鹿でしょ俺の脳って。
何しろ継続は力なりって判っているんだから、どうやったら継続出来るか?自分の脳を・・・なのね。これは俺の脳の話で、みんなにも人それぞれやり方はあるだろうけれど、何も工夫が無いと、
かなり難しいと思うのね。まっこんな事の繰り返しで・・・
200枚以上は終わったから、年内に400枚に戻すのも、難しいかも知れないが、まっ無理でも無さそうなのね。