今日は実家にプチッとおせちらしいものを届けて、母と焼豚を作るって話になっていたはずだったが、その本人がデイ・サービスだったみたいで、父とやる事になったのね。
何かさぁ、今の時代にはそぐわない話だけれど、父と二人で年末に焼豚作りって・・・正直、食事ってお袋が作ってくれるもんで、そんな風に思っていたら、こうして父と作るってね・・・。
何か滑稽にも思えるし、きっと後からそんな事もあったね・・・って思うんだろうな。まぁ俺がそう思う頃は親父は全て忘れちゃっているか、いないもんなぁ・・・って言うと、まだ死なないって
・・・へぇ、頑張るじゃんって茶化すと、俺はこのまま生きていても何にも起こらないが、お前が何かしてくれるのを見るのが楽しみなんだ・・・って。へぇ、中々親らしい夢じゃん。
随分、素直に言えるようになったなぁ・・・って言うと、苦笑いしてた。昔は、何を言っても否定的で、何様で言っているんだか・・・とか、随分と上目線だなぁって思っていたのね。
しかも、何も知らないのに・・・。勿論、タイル屋であるのなら、父とは言え先輩になるのだから、腕の良し悪しも判るだろうし、仕方無い部分もあるが、そのときに反抗した事は、今となれば
こちらにも否はある。って理解は出来ても、今のモザイクに関して、出来もしないし、やれもしない・・・あえて言えば、そんな奴に口出しする権利は一つも無い。ただね、余生が残り少ないと、
どんどんと自分で何かを見つけないと、生きるって気力を失って行くのね。若い時は、お金もあって、人との交流もあって、旅行だったり余暇の過ごし方がいっぱいある。でも、必ずそれを
少しづつ失って行くのね。中々新しい交流は無く、行動範囲も狭くなる・・・段々と思い出ばかりに囲まれて行く・・・こんな事が老人になるって仕組みなのね。だからこそ、大抵の教訓は、
夢を持って生きよう・・・なんて勧める訳ね。子供の頃の話って全部そう。所が思春期になると、恋愛ものばかりになり、そんな中、夫婦や家族って集団を形成して行く。これが普通。
俺も一度はそんな時があったが、それどころか、タイル屋って20年やってた職業も捨てた。もう普通とは全く縁の無い生活になった。すると普通のみんなは、子供が生まれたりして、みんな大きく
いつのまにか働くような子供では無く、大人になっているのね。年末年始って言う機会は、そんな子達に会う機会もあったりする。その時の嬉しさと、俺の知っているあの頃の子達はいないって、
寂しさを感じたりするのは、たまに会うからであって、月日が恐ろしく経ったって感じさせる一瞬でもあったりする。ある意味、普通では無くなった・・・としっかり意識する時間だったする。
浦島太郎・・・って、こんな話。夢の世界で楽しんでいたら、月日が経った事も忘れ、元の世界に戻ると、おじいさんに・・・何でも一緒で夢中に・・・って、むちゅうとも読むが、ゆめのなか
って読める。勿論そこで諦めれば、思い出に変わるんだけれど、目指している最中は、夢中なのだから、夢半ばでもあり、夢うつつかも知れない。そんな時は、辛ければ長く、少し楽になると、
振り返る余裕が思い出として、良くも悪くも語れるようになる。それが大成功を収めると、成功者の話として受け入れられるし、そうで無ければ変わり者として扱われる。まぁ今の俺は後者寄り。
きちんと自覚はある。それが水戸黄門の飛車角のような助さん格さんのような力があったり、矢七のように忍びなんて言う力だったり、由美かおるさんのような妖艶って力だったり、八兵衛の
ような天才的な楽しさみたいな役割があって、人にはみんなそれぞれ持っている能力に寄って、生き様が変わるのね。それを見間違えると、みにくいアヒルの子になる。普通の教えでは、
可哀想な・・・って一方的に黒い方の味方で見て行くのね。でも、今の子達なら、鬼にも鬼になった理由がある・・・みたいな考え方もあったりするが、昔の普通は可哀想って言う、絶対数の多い
方に付く事で、身の丈身の程だったりするから、貧乏の召使い的な奴は、着るものも無いし、諦めてパーティには出られない・・・ってシンデレラの話になる。それが待つってスタイルの教え。
女の人なら、迎えに来て貰う・・・みたいなね。それがいつの頃からか、女の子のアニメでも、このままで良いの?って、言わなきゃ・・・って積極的になる。三つ子の魂百までと言うのなら、
積極的な女の人になれば、それが向上心として上司になったり、起業したりなんて人はぞくぞく出て来るだろうね。その時に何処に出て来た?と考えれば、男社会に進出して来たのね。
そりゃ男の人から見れば窮屈になって行くんだろうね。それを俺は女社会へ進出しているんだろうね・・・まぁ簡単に言えば、看護婦さんでは無く看護師さんになったり、客室乗務員だったり、
今まで女の人の仕事だとされていたような場所・・・モザイクの絶対数から言ったら、圧倒的に女の人の世界だと思うのね。しかも仕事としても成立している分野でも無い・・・。
そりゃ道が無いんだから、開拓みたいなもんになる。そりゃ果てしないのね。そう考えたら、休んでいる時間なんて無くて当たり前になる。って中、親父と焼豚作りが俺の休み?・・・。
まっ、良いかぁ・・・それも。こうしてブログネタで使っているのだからね。これが無ければ、今日も下地なんだから・・・そんな中、午後からさくらがお飾りを持って来てくれて。
まぁ最後に弟子で終わると、仕事っぽくなるけれど、何もしないで終わる訳には行かないから、1枚分の下地写しをして・・・お陰で丸々休まないって意地張って見た。
何かさぁ、今の時代にはそぐわない話だけれど、父と二人で年末に焼豚作りって・・・正直、食事ってお袋が作ってくれるもんで、そんな風に思っていたら、こうして父と作るってね・・・。
何か滑稽にも思えるし、きっと後からそんな事もあったね・・・って思うんだろうな。まぁ俺がそう思う頃は親父は全て忘れちゃっているか、いないもんなぁ・・・って言うと、まだ死なないって
・・・へぇ、頑張るじゃんって茶化すと、俺はこのまま生きていても何にも起こらないが、お前が何かしてくれるのを見るのが楽しみなんだ・・・って。へぇ、中々親らしい夢じゃん。
随分、素直に言えるようになったなぁ・・・って言うと、苦笑いしてた。昔は、何を言っても否定的で、何様で言っているんだか・・・とか、随分と上目線だなぁって思っていたのね。
しかも、何も知らないのに・・・。勿論、タイル屋であるのなら、父とは言え先輩になるのだから、腕の良し悪しも判るだろうし、仕方無い部分もあるが、そのときに反抗した事は、今となれば
こちらにも否はある。って理解は出来ても、今のモザイクに関して、出来もしないし、やれもしない・・・あえて言えば、そんな奴に口出しする権利は一つも無い。ただね、余生が残り少ないと、
どんどんと自分で何かを見つけないと、生きるって気力を失って行くのね。若い時は、お金もあって、人との交流もあって、旅行だったり余暇の過ごし方がいっぱいある。でも、必ずそれを
少しづつ失って行くのね。中々新しい交流は無く、行動範囲も狭くなる・・・段々と思い出ばかりに囲まれて行く・・・こんな事が老人になるって仕組みなのね。だからこそ、大抵の教訓は、
夢を持って生きよう・・・なんて勧める訳ね。子供の頃の話って全部そう。所が思春期になると、恋愛ものばかりになり、そんな中、夫婦や家族って集団を形成して行く。これが普通。
俺も一度はそんな時があったが、それどころか、タイル屋って20年やってた職業も捨てた。もう普通とは全く縁の無い生活になった。すると普通のみんなは、子供が生まれたりして、みんな大きく
いつのまにか働くような子供では無く、大人になっているのね。年末年始って言う機会は、そんな子達に会う機会もあったりする。その時の嬉しさと、俺の知っているあの頃の子達はいないって、
寂しさを感じたりするのは、たまに会うからであって、月日が恐ろしく経ったって感じさせる一瞬でもあったりする。ある意味、普通では無くなった・・・としっかり意識する時間だったする。
浦島太郎・・・って、こんな話。夢の世界で楽しんでいたら、月日が経った事も忘れ、元の世界に戻ると、おじいさんに・・・何でも一緒で夢中に・・・って、むちゅうとも読むが、ゆめのなか
って読める。勿論そこで諦めれば、思い出に変わるんだけれど、目指している最中は、夢中なのだから、夢半ばでもあり、夢うつつかも知れない。そんな時は、辛ければ長く、少し楽になると、
振り返る余裕が思い出として、良くも悪くも語れるようになる。それが大成功を収めると、成功者の話として受け入れられるし、そうで無ければ変わり者として扱われる。まぁ今の俺は後者寄り。
きちんと自覚はある。それが水戸黄門の飛車角のような助さん格さんのような力があったり、矢七のように忍びなんて言う力だったり、由美かおるさんのような妖艶って力だったり、八兵衛の
ような天才的な楽しさみたいな役割があって、人にはみんなそれぞれ持っている能力に寄って、生き様が変わるのね。それを見間違えると、みにくいアヒルの子になる。普通の教えでは、
可哀想な・・・って一方的に黒い方の味方で見て行くのね。でも、今の子達なら、鬼にも鬼になった理由がある・・・みたいな考え方もあったりするが、昔の普通は可哀想って言う、絶対数の多い
方に付く事で、身の丈身の程だったりするから、貧乏の召使い的な奴は、着るものも無いし、諦めてパーティには出られない・・・ってシンデレラの話になる。それが待つってスタイルの教え。
女の人なら、迎えに来て貰う・・・みたいなね。それがいつの頃からか、女の子のアニメでも、このままで良いの?って、言わなきゃ・・・って積極的になる。三つ子の魂百までと言うのなら、
積極的な女の人になれば、それが向上心として上司になったり、起業したりなんて人はぞくぞく出て来るだろうね。その時に何処に出て来た?と考えれば、男社会に進出して来たのね。
そりゃ男の人から見れば窮屈になって行くんだろうね。それを俺は女社会へ進出しているんだろうね・・・まぁ簡単に言えば、看護婦さんでは無く看護師さんになったり、客室乗務員だったり、
今まで女の人の仕事だとされていたような場所・・・モザイクの絶対数から言ったら、圧倒的に女の人の世界だと思うのね。しかも仕事としても成立している分野でも無い・・・。
そりゃ道が無いんだから、開拓みたいなもんになる。そりゃ果てしないのね。そう考えたら、休んでいる時間なんて無くて当たり前になる。って中、親父と焼豚作りが俺の休み?・・・。
まっ、良いかぁ・・・それも。こうしてブログネタで使っているのだからね。これが無ければ、今日も下地なんだから・・・そんな中、午後からさくらがお飾りを持って来てくれて。
まぁ最後に弟子で終わると、仕事っぽくなるけれど、何もしないで終わる訳には行かないから、1枚分の下地写しをして・・・お陰で丸々休まないって意地張って見た。