katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイとローラの相席教室

2021-12-09 00:14:19 | モザイクタイル教室

今日は午後からキウイとローラの相席教室。キウイはようやくもう少しで1周しそうな所まで来てはいるが、どうやら足りなそうで・・・注文って感じなのね。ローラは・・・と言うと、先日タイルを届けたんで、自宅で進めたらしく、

ほぼバックは終わっていて、ただタイルが足りなくて、そこを張って終了かと思えば、花の白い部分が気に入らず・・・剥がしてやり直すって事になったのね。まぁこんな事は良くある事で、要するにこの作品の最初の頃やった場所。

当然未熟な時の事・・・あの頃は、ここまでの作品になる予定は無かったのね。つまり楽しく進めて、何と無く作っていたと思うのね。所が真摯に向き合っていると、段々とこだわりを持って、なおかつ上手くなりたい。と思うようになる。

何故ならキウイと当時相席にお母さんがいた。そんな二人に囲まれてやれば、一体普通って何だ?って事になる。何も知らないのだから。まぁ簡単な理屈なのね。例えば同級生ですとか、同じクラブやサークル、同じ年やら、性別が一緒・・・

そうやってくくられて、比較したりされたりするのが普通なのね。この普通って比べるって事に疲れた人の場合、相席なんか選ばないのね。個人レッスンなら誰とも比べないで済むからね。ただ常に良い事と悪い事は背中合わせ。

じゃ良い事がそれなら悪い事は?と言うと、比較対象が無い分、その人は自己満足、つまり自分で決める側になる。じゃ自分でどう決めるか?になると、簡単、楽(らく)、楽しい・・・って言う側を取ると、何しろ沢山作りたくなる。

当然時間も沢山、回数も来るならお金もね。タイルだって買わなきゃならない。でも新鮮なものは刺激的で楽しいから、余り気にならなかったりする。ではそれをどんな期間続けられるか?つまり全力疾走するから、長くは続かないのね。

飽きるのも早い。と、こうなる理由は何故?となると、簡単な理由で、進級しないからなのね。普通は1年経つと、2年生になる。落第でもしない限り、強制的に進級するものなのね。当然進級とは、新しい事にチャレンジして克服して行く事になる。

こうした仕組みの元で、上手くなる、進歩するって言うのは成り立つのね。つまり自分で決める人は、自分でこの理屈に合うようにすれば良いのだけれど、例えば難しい事は嫌だ、楽しくやりたい・・・を貫こうとしたとする。

では簡単なら、コースター程度の大きさで、ほぼ切らない1cmタイルを並べたり、時より切るってものを作るとする。一体3時間で何個作れるんだろうか?では判りやすく、1時間1個だとする。つまり1回の講習で3個張り終わる事になる。

ではその人は自宅ではやらないか?となると、楽しいからやる・・・って言う事になると、もし月に1回の人だったら、コースターの下地を何枚必要なのかな?次に来る30日後までに・・・。そうなると最低3枚は持って行く事になるだろうね。

となると、1日自分の自由な持ち時間が2時間あったとする。となると、30x2で、60時間ある事になる。つまり3時間で3個作る人が60時間で3個持って行くのだから、恐らく足りなくなるのね。つまりもっと欲しかった・・・ってセリフになる。

ではそれを何ヶ月繰り返すんだろうか?になると、もうコースターはいらないから・・・何を作ろうか?になり、じゃちょっと大きく鍋敷き・・・みたいな事になっても、結局何個もいらないし・・・になる。

こんな事は金魚の愛好家と一緒なのね。ただ買って来るのでは飽き足らず、孵化させるなんて事になると、何百、何千と生まれる。しかし来年も再来年も繰り返すなら、売るか、あげるか、殺すかの3つからの選択。

幸いネットで誰でも簡単に売る行為は出来る世の中になっていて、売れる売れないはともかく、権利だけは簡単に手に入る。あげるのも、友達やら近所付き合いが頻繁な人なら、それも出来るだろうし、気に入らなきゃ捨てるって事もね。

つまり量産するって事は、置く場所が沢山無い場合、何かを選ばないとならなくなるのね。こんな事が楽しい側の弊害。つまり自分で自らの進級を決めて、そこに立ち止まらないようにしないとならないのだから、判断を失敗すると、この選択が早めにやって来るのね。

では逆、つまり進級を選んだ人、つまり今のローラのような人はどうだったか?となると、キウイとお母さんの2人と一緒って言うのは、歳だけなら、お母さんは年上、キウイは年下って事になる。だから同級生くくりにはならないし、

女の人とか、母である事とか、は同じでも、キウイが一番上手く、でもお母さんもかなり上手い人と同席って言うのは、例えばキウイの大作を作れる人はどんな人?って事になると、恐らくプロかプロ顔負けって言うようなレベル。

ではお母さんは?となると、先生と呼ばれる人達位には簡単に方を並べられるだろうね。だとしたらそこにローラ。でもこんな風に思えるだろうか?となると、もっと気分は気楽なのね。何せ威嚇は作品だけだから。凄い作品とは言われても、

凄い人だとは言われてはいない。つまりかなりのフェイクになる。もっと言い方を変えれば、相席は楽しく、しかもアドバイスされたとしたら?ラク側のアドバイスはしてくれないからね・・・って事になる。

つまりこの環境で続けられる人って言うのは、楽しい雰囲気で厳しい事をするって環境になるのね。しかもライバルなんて接近する熾烈な争いで強くなったり、上手くなったりするのは、大きく傷ついたり、傷つけあったりもする事になる。

だから必死に喰らい付くから、自分の成長に繋がるのね。ただプロじゃ無いんだから、そんな所に身を置くべきじゃないのね。つまりライバルって言うのは接近して勝ったり負けたりするような人達の事なのね。でもローラはどうかな?

圧倒的な差の中だよね。つまりプロっぽいって中に小学生が入った・・・こんな感じなら、先生が3人いるようなもの。あれこれ意見が聞ける訳で・・・しかも圧倒的な差はライバルでも無い。つまり楽しく上手くなっちゃうのね。

しかもそのレベルの作品を生で見られ、制作風景も体験出来て、生の声も聞ける。その時に世の中で聞く事のあるこんな文章・・・良いものを見なさいとか、触れる事なんてのがあるのね。こんな事を聞くとついつい名画とか見に行っちゃうのね。普通は。

でも、それってただの刺激だから、何個も行っても大して意味無いし、見ただけで大して勉強にもならないのね。良いものって言うのは一体何か?なのね。俺が思うに、この相席の事だと思うのね。何しろ月に1回、たった3年でここまで作れるようになったのだから。

その時に目で見える事なんて、良く見て真似るだけの事なのね。大切なのは、目に見えない事なのね。そこを盗めると勝手に上手くなるものなのね。それが意識が変われば態度が変わる・・・まぁウチのお教室なら必要な人には、必要だけど、

簡単な話で、ありがとうや、ごめんなさいなんて5、6文字を言えば、何でも済むなら、テキトーに言っても、本気で言ってもどちらも数文字。所が本気の場合、役者じゃ無いのに、本気に感じられたら・・・ほら意識が変われば態度も変わる。

それを言えば良い・・・みたいな感覚では、やれば良いって感じになる。張れば良いって意識では、埋め尽くす程度にしかならず、お弁当の隙間埋め的になるが、美しいですか?それ・・・って望めば、1枚1枚が本気なパーツになる。

その繰り返しでこうなった。更に言えば、その態度が、最後の最後に白い部分を剥がしてでも直したかった事に繋がったのね。その目で直せば、是正は出来るだろうし、満足に繋がるだろうね。つまり本当の意味での自己満足って言うのは、

この位になってから言えるのね。そして今は自分の評価が良かったって事で自己満足だけど、もし誰かに凄いねって言われたら、もう自己満足の作品では無くなるのね。人が評価したのだから・・・そしてそのその作品にキウイの1票と、

俺の1票も加えて貰いたいのね。良い作品になったのね。


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