katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

体験教室と陸前高田の仕込み

2022-05-01 01:07:27 | モザイクタイル教室

今日は午後から体験教室。そんな訳で、それまでは陸前高田の仕込みとなるんだけれど、こうして繰り返し仕込みをしていると、カキやホタテのように1つだけのものと、イワナやヤマメのように左右対称のように2回目なんてものがあって・・・

更に2回目の中に、こんな感じの繰り返しのようなものがあって・・・

同じ繰り返しでも、イワナやヤマメだと、凄い・・・なんて言って貰える繰り返しだったりするが、こんな感じだと、正直、何回か切った事のある人なら、左程難しく無く切れたりもするし、切った事が無い人にも、大した事をしていない感じに思えたりする箇所だったりする。

まぁそれでも、この細かさでSやOを切るって言うと、地味に難しかったりするんだけれど・・・。実はこんな事が最後の最後に来てダメージになるのね。この地味な繰り返しは簡単そうに見える・・・そんな箇所。

これはちょっと前に騒がれたポテトサラダの話と同じような事なのね。お惣菜のポテトサラダを買おうとしたお母さんに、ご年配の男性が、ポテトサラダ位作ってやれよ・・・って言ったあれ。あんな感じなのね。

つまり作った事が無い人にはこの程度の事は簡単そうに思えたりする。ただ手作りって言うのは、例えなんであっても手間暇って言う時間が必ず掛かるもので・・・簡単に言えば報われずらいものなのね。まぁ何でも同じだから、例えば・・

仮に大皿に4人分の唐揚げを作ったとする。そのお金分、ポテトサラダを作ったとする。じゃ夕飯にそれだけ出したら喜ぶのはどっち?・・・えっ?これだけ・・・って言う顔はされるかも知れないが、おかずとしてなら唐揚げだと思うのね。

つまりこれには決まり事みたいな事があって、所詮ポテトサラダは小鉢の役目であって、送りバント的なものであって、レシーブであってアタックでは無くて・・・割と地味なもんだったりする。しかしながら、あると無しでは違っていて、

けれど地味なだけに華やかさ無い。だからメインディッシュでは無いから、コース料理の最後にポテトサラダって事は無いし、小鉢の役目だから、どんぶりのようには食べられない。所がこれがマグロならイクラなら・・・山盛りって感じ。

やはり何とか丼・・・ってメインの看板になるものでは無いからなのね。アタックしない取るだけのレシーブでは、どんなに取っても相手のミスを待つって行為は、仮に決められてしまった時、良く粘ったね・・・の頑張った賞扱いだったり、

ホームランやヒットと違ってアウト前提のバントは決まって当たり前のように思われる・・・この立ち位置なのね。つまり1点ものの凄いモチーフは1点ものだけに、ヒットやホームランになれば、おーって歓声が貰えるけれど、ポテトサラダ

的な、こんなデザインは、もっと出来るのに・・・を感じてしまう箇所だったりするのね。それを何とか、これはその土地の人達には大切な物なんだから・・・と送りバントをキッチリ決めないとならない・・・と自分に言い聞かすゾーン。

だからホームランもヒットも要らないのね。ただそれを言い聞かせる労力が必要なのね・・・自分に。それとは対極のホームラン狙いの場合、例えば大家さんに、あっヤマメ・・・って気が付かれた。これは第三者が判るから高得点。

でもイワナは、これは?って言われた・・・でもね、それ自体仕方が無いのね。それは理由があってヤマメは似せに行ったけれど、イワナはイワナには寄せなくて、とんちんかんな色合いにしたのね。ただそのとんちんかんにした事が、

ここに来てダメージになっているのね。それがさっきのポテトサラダ的な所は、大義名分として陸前高田のお祭りに必要なアイテムだから・・・って事で、モザイクをしている側にも、そうで無い側でも、簡単そうに見えたとしても、ここにはこれが必要となれば最低限の必要性がある事になる。

けれど、このイワナのカラフルさ加減は、ヤマメのように似ていないし、色もとんちんかん。つまり余程モザイクに興味があれば、こんな小さいパーツ切ったの?みたいな事にもなるかも知れないが、取り付けてしまえば2mの高さ・・・

余程で無いと見えない・・・そんな場所に付くのに・・・って気持ちになる。そんなの1つ目に判っている事じゃん・・・なんだけれど、1つ目の時は勢いなんてもんだったり、時間もあった時の話であって、ここまで来ると、果てしなさだけ

が残る感じになって来る。だから、最後の最後まで残して、時間はあるよね・・・って自分に言い聞かせないと、今の段階の時間を作る時間帯では、気忙しく作らないとならなくなる。つまり最後の場所はイワナ部分なのね。

そんなこんなで夜の部にはすべてのモチーフに手を付けて、もう白紙的な部分は一切無くなった所まで来た。そんなこんなでお教室。随分と前からのご予約で楽しみにしてました・・・って事でスタート。

何か私、ぶきっちょで・・・とスタートしたんだけれど、いつも言う事だけれど、このぶきっちょって言葉が厄介なのね。まずこれを取っ払ってあげたいのね・・・一体誰がそんな事を言った?いつから言われている?って話。

大抵はご家族に達者な人がいて、お母さんだったり、お姉ちゃんや妹、こう言う身近な人達と比較されて、段々とそう思わされたり、学校でクラスの子達との比較で点数が悪かったり、もう幼少期に身に付いちゃっているのね。

それで結局、自分はぶきっちょなんだ・・・って思ってしまうと、もう認めてしまった時点で諦めちゃったりするし、こんなもんだろうな・・・と結果も納得してしまったりするものなのね。そこを何とか結果を気に入って貰う事で自信回復。

これを大事にしているのね。じゃ無いと、またやってみたい・・・今度は・・・って次に繋がらないのね。次があってまた次がある・・・この次って言うのが大事で、その繰り返しで続いた人が上手くなるものなのね。

そうね、それとぶきっちょの定義みたいな話で、ぶきっちょってどの分野の事?何がどんな事がぶきっちょ?ここ。そこをはっきりさせれば、是正対象が見つかる。そこを直すか?そこを目をつぶって、それ以外を伸ばすか?みたいな事になるし、

いずれにせよ、何しろ今日は体験・・・結果がすべてなのね。楽しかったとか、またやりたいとか、ここに来なくても、物作り楽しい・・・って事になれば、何らかの自分にあった物作りを見つける手助けになれば、最低限の役目は先生として爪痕は残せる・・・。

ってこんな事を字にすると重々しいが、別にそんな意識はしても、言葉としてフォーマルな訳では無いし、小難しくやるつもりも無いのね。ただ次回の予約が入ったって事は、何らかの満足感は得られたようなので、それは何よりなのね。

しかしながら、この完成度に何処にもぷきっちょさが感じられないのね・・・どっちかと言うと丁寧な気がするんだけれど。そんなこんなの後は、今日も深夜まで・・・流石に12時目安には帰るけど・・・ここんとこいつもより1時間長い・・

流石に蓄積疲労って感じにはなって来たが、後少し・・・9日には出発なんだから・・・。


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