katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

コープみらい東京さん分のスノーマンの下地

2024-10-22 02:57:53 | 下地彫り

今日はコープみらい東京さん分のスノーマンの下地彫り。まぁ昔から知っている人なら、えっ?何処で・・・って事になると思うのね。そう、一体何処で彫る

のよ・・・になるでしょ。今までは原木中山のコーナンで彫っていたのに、移転して、その移転先には加工室は無く・・・そんな訳で、トリマーを集塵機に

繋いで粉塵が出なくなるって言う接続金具を買うと、アトリエ内でも出来るんじゃ無いか?・・・って、ネットで調べていたんだけれど、レビューには、

それを繋ぐと粉塵対策としては良くても、刃先が見づらくなるって言うのね。こっちは普通に彫るのとは訳が違うんで、刃先が見づらいなんて致命的。

更に言えば、コーナンにも集塵機はあったものの、そもそもがその集塵機自体が爆音過ぎて使いづらかった・・・さて一体どうするか?となるんだけれど、

そもそも音が更にうるさくなるのは、アトリエだから近所迷惑になるし・・・ただ、普通の掃除機なら、逆に音に関しては静かに設計されているはず。

なら問題は解消される。ただ集塵としてはどんな感じなんだろうか?少なくてもアトリエ内でやるなら、何も無しって訳には行かない・・・。って事で、四の五の言わずにやって見る事にしたのね。

ってこれが、色々と改善する事はあるにしても、何とかなっちゃったのね。別にあれこれ悩む必要無いじゃん・・・って位の事で。だから、彫る事に関して、

大きく悩みは解消されちゃったのね。そんなこんなで余裕が出来て、父の用事をやったりもして・・・ついでに歯医者も行けちゃって・・・。

そんなこんなで、アトリエに戻ってから切り抜いて、更に夜焼いて、軽くペーパー掛けまで終わっちゃって・・・想定していた以上に進んで何よりだったのね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杏さん教室とあれこれ下地

2024-10-21 07:03:40 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬の杏さん教室。先日参加したピエロの壁画を見に行ってくれたらしく、思っていたより大きかったとか、表通りなら良かったのに・・・とか

自分のやった所も見たとか、もっと周りの家と合って無い感じかなって思っていたけれど、そんなに違和感を感じなかった・・・って。まぁ生で見るって言うのは、

その迫力とか、臨場感みたいなものは、画像とは違うものがあるし、ライブとCDとか、動物園で見る動物だったり、ジェットコースターに実際に乗るだの、

野球場で野球を見るとか、制作段階の一部だったり、テーブルの上で見るのと、取り付けた壁で見るのとは、全く違った感覚だったりするのね。

労作展の子達の作品だって、制作中も完成も生で見ているにも関わらず、学校で見ると、アトリエの殺伐とした中では無く、しっかり飾られていると、より立派に見える。

同じように、杏さんの作品も、自宅に飾っても悪くは無いが、展覧会に出したとしても、充分存在感を出せると思うんだけれどね。その一歩って感じで言うと、

例えば、今回のオーナーさんが参加した人達の作品を見た時、この人が参加してくれた・・・って報告した時に、それを見て凄いって言われたら何も問題は

無いけれど、コースターや鍋敷きを見せても、自分の家に参加して貰いたいとは思わないと思うのね。勿論、俺も流石にそれでは参加させられないけどね。

言い方を変えれば、こんな作品が作れる人がバックの制作なんだから、贅沢だったりするって事だったりもする。ただそれでも参加回数が増えないと慣れないしね。

こんな作品が作れるようになるまでに、時間が掛かったように、作れるって自信になるまでの回数が必要なのね。そうやって見れば、ネモフィラだって、

最初は戸惑っていたものの、ここまで来るともう手慣れていて、後3分の1って感じになっているし、特にあれこれ言う事も無く時間が解決する感じなのね。

これがまたバックとなれば、また相談に乗ったり教える事もあるだろうけれどね。いずれにしても、慣れって言うのは繰り返しだからね。そんな後は、

ラパンさんの下地をやって・・・その後にさいたま分のペーパー掛けをして、東京分の写し。

まぁ地味ぃぃに準備もしてるのね。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妹と実家の片付けとちょこっとアトリエ

2024-10-19 23:58:04 | 休み?

今日は朝から妹と実家の片付け。まぁあれこれと事情があるのと、こっちとしては、2階を使ったのもあるしね。ただこれが普通の人なら他愛もない普通な事

けれど、これが全く違うのね。先日の初めて2人で食べた昼食をおごれた事・・・今までは貧乏作家は迷わずにご馳走された。所がそうじゃ無くなった。

今回の片付けもそう。今までそんな余裕なんて、これっぽっちも無い。そんな時間があったら、何しろ何でも良いから仕事に繋がる事をしていたのね。

それがこうして人間らしい時間を過ごしている・・・やっとね。だからこうした時間は、売れる事以外の恩返し的な事みたいな・・・普通な事だけど。

それと妹だけに親を押し付けたみたいな事をさせないで済んだ・・・って、まぁこんなのマリオの小銭ポイントにしかならないけどね。でもやった・・って

やらないよりはマシ。出来なかった奴が出来た・・・体験教室みたいなもん。はじめの一歩が無ければ、何も起こらない。だから出来た事を良かったって

素直に思う。そしてそんな時間を過ごしたって事は、仕事をしなかったって事になるのだから、普通の人生のままで1日は終われないのね。普通じゃね。

だからここから挽回を例え少しでもしないとならないのね。まずはさいたまアリーナ分の下地を切って、ラパンさんのコピー、そして欲張ってコープみらいの

東京分の木が欲しかったんで、急きょ隣町のドイトって言っても、買収されちゃったからコーナンなんだけれどね、少し遅い時間までやってるから・・・。

これで明日買いに行かなくても、いきなり出来る準備をした訳で・・・明日は日曜だし、レジが混むからこうした準備は少し貯金になる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とんかつのモザイク教室

2024-10-19 07:37:14 | モザイクタイル教室

今日は午後からとんかつのモザイクの方のお教室。それまでは今月末のコープみらいさいたまのスーパーアリーナでのイベントの下地の準備。

そんなこんなでお教室は、ブログを見ていて自分の分あるかなぁ・・・って楽しみにしてくれていたようで、ありますよ・・・ってスタート。

そうね、きっとやった人って言うのは、やらなかった人とは全く違う事になると思うのね。それはレギュラーになるも、補欠になるも、入部しないと何も起きない。

つまり踊る阿呆に見る阿呆・・・ってあれで、踊らにゃソンソン。ここにいるって事が入部と言うのなら、自分の作品は家でもやる気なら出来るし、この機会って言うのは今だけ。

勿論、当然またの機会って言うのは、俺が辞めないのと同時に、生徒さんも・・・って同じようで無いと、またの機会があったとしても、いつ?って保証は無いのね。

しかも経験値って言うのは、あればあっただけ痛い目にも合うかも知れないが、当然自信にも繋がるのね。やった、出来た・・・ってね。それを初めから

100点でも目指すつもりの意気込みなんて人は、当然それ以下になる。だって初めてなんだから・・・そりゃ逆に図々しいでしょ。つまり謙虚な気持ちなら、

一生懸命とか全力で・・・頑張るって程度であって、技術うんぬんなんて、どーでも良いのね。まずはやる気になる。参加する。ここのチャレンジする姿勢。

まずは初めての事なんだからね。これが初歩の初歩。だから、弾けた、打てた、書けた、出来た・・・なのね。それが例えば棟梁くらいの人だと、以前、

ローマ大学の時は金魚を作って貰ったが、そんなまだ未熟だった頃に、ほぼみんな同じ大きさの金魚をやった・・・そんな経験がある人が、小4の子と同じ

バック・・・って。いかにビビっていたか?判るのね。あれだけの腕があるのにね。逆に言い方を変えれば、出来て当たり前で、本来ならとんかつの方のように、

やりたい・・・って言ってくれたのなら、キャラを考えたと思うのね。こうしてどんな形でも参加した事が、またやりたい・・・と思うか、もう結構って思うか?であって、

参加しないって言うのは、そのどちらの経験も出来ないのね。やれば上手くなる。でも自分の作品だけでは限界があるのね。勿論、もっと・・・って気持ちが無いのなら、

そんな事は要らないだろうけど、継続するって言うのは、5年、10年となった時、自分の好きなモチーフ、欲しいもの、どれもが自分の枠の中になる。

モチーフだって被るだろうし、もっと言えば、その姿勢では一切チャレンジはしないだろうから、手元には同じ様な大きさの同じようなものばかりになる。

そうね、元タイル屋の目線で言うのなら、そもそも20年やっていたが、4年経つと職人の称号は頂けるが、果たして腕はどうかな?4年も20年も変わらないかな?

違うのね、そんな4年の奴に経験を踏ませないと、ベテランにはならないのね。つまり仕事って言うのは、出来ません・・・って言うのでは無くて、その判断は

上の人にあるのね。自分で自分の力量なんて図れるはずが無いのね。だって甘えるし、思い上がるから。勿論仕事の話ね。ただそこまででは無いにしろ、どの程度なら

満足をして、どの程度なら継続して行かれるか?って事になるのね。だって人それぞれだから。しかもその人の考える上手さなんて、本人すら判らない。

ただね、判らないか?って言うと、世の中は残酷だから、簡単に判っちゃうのね。それが比較。良くそれを曖昧な表現をして、丸く収めようとする人がいるが、

それはいつまでも続かないものなのね・・・これからきっとモザイクを目にする機会は多くなるのね。きっとね、きっと。比較するつもりは無くても無意識に

するのね・・・年齢、性別、プロ・アマ問わず、もし販売金額なんかがあれば、更にね・・・そりゃ残酷にね。流行るって言うのは、何らかのきっかけで

今まで知らなかった人が知る事になる。そして簡単そうだから、自分でもやって見る・・・なんて事になったり、購入なんて事になる。その地域や小さな

くくりの中でなら、街の小さなパン屋さん・・・で穏やかに済むだろうが、今は見つかるって言うのは、遠方からも来るって事になる。つまり今までとは違う環境になるんだろうね・・・。

要するに環境って言うのは常に変わるものだから、そこに慣れて行かないと、ただ居心地が悪くなるだけなのね。まぁいずれにしても、その経験値を得た人がまた1人増えたって事。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

kameyaさん教室

2024-10-18 07:30:55 | 出張教室

今日はkameyaさんの出張教室なんだけれど、いつものように確認の電話も入れ、時間前に到着するも、荷物を降ろそうとしたら・・・あっ忘れ物。

りょうさんの作品の積み忘れ。階段下に置いて駐車場に行って、横付けして積むはずだったのに、斜迎えの板金屋さんのお客さんが止まっていて、何か他人事の

ように通り過ぎちゃったのね。ただいつもなら停車中に確認するのに、日差しのカバーが見えて、その後ろにある・・・って思い込んでしまったようで。

そんなこんなで結局遅刻でスタート・・・久し振りやっちゃったのね。そんなこんな中、1年振りにラパンさんが来て、新作の話が出たのね。ただ実は、

kameyaさんが2人だけって事が続いていて、棟梁との話で今年いっぱいで閉めようって事になっていたのね。まぁそもそもが4人でやっていた頃に、新規は

嫌だって事で受け付けていなかった中、それでは減る事があっても増える事が無い以上、いつかこうなる事は判っていた訳で・・・しかも来た時だけの支払い

なんで、都合で欠席が自由・・・それをずっと改善せずに来たのだから。ただお話する良い機会が来ただけで、特に何も無く、何しろ続けられるまで・・・

さてそんな中、棟梁はまた怪我をしていたらしく・・・まぁコロナ禍で病気だ怪我だの繰り返しで、行き付けの店が病院って感じで・・・。ただそこそこ時間も経っているらしく、

モザイクには影響は無く、まぁ何よりと言った所なんだろうし、そこへ娘さんが犬を買ってくれたらしく、病は気からと言うのであれば、嬉しいポイントが

入った事になり、尚且つ散歩と言う大義名分の運動をしないとならないのだから、マイナスだらけの中では、良い刺激になると思われるのね。

さてりょうさんは・・・となると、

1cmタイルを今日は、4分の1の細いパーツを切って見るも、中々上手く行かないと言いつつ、何とか切れたりしていたのね。ここが大事な所で、ちゃんとこの話を分析しないと・・・

上手く切れない・・・そもそも3分の1の細さは経験値があるものの、4分の1は初めてなら、例えば九九の2の段が言えたとしても、3の段が言えるとは、

限らないし、テニスのサービスを下から打って入っても、上から打って入る保証は無い。むしろ出来なくて良いのね。だって初めての事が出来る方が変で、

出来ない事をチャレンジって話であって、しかもここがカルチャーのように、みんな同じ事をしているような場所な場合なら、みんなが出来る事をしている。

つまり学校のような所は弱者救済だから、出来ない人を多く作らないように、出来る人が多くなるように・・・となる。つまり普通を目指す事になる。

それを容赦無く一律では無く、格差を作って良い塾なら、その人のマックスを目指せる。その時に、言葉では一歩一歩なんて知ってはいても、ついそれを

忘れると、出来ない事で落ち込んだり、ガッカリしたり、時には卑下したりもする。ただ、出来ないから出来た時に嬉しいし、最初から出来る人はすぐに

出来て楽しい。でもね、いつも良い事と悪い事は背中合わせ。簡単に出来る人は器用だけれど、刺激を求める分、次の分野へ行きやすいのね。あぁ出来たってね。

けれどある意味、不器用だ・・・なんて言う人は、徹底的にその気持ちを排除しないと、卑下に繋がる。それではどちらでも離れる事になるのね。

けれどここで大事なのは、器用な人と不器用な人ってくくりの場合、先生の俺自体が美大を出ている訳じゃ無いし・・・となると、教えやすいのは後者。

だってその気持ち誰よりも判るから。手に取るようにね。けれど前者の場合、器用なんだから、それで良い・・・ってなると、そもそも教わる気・・・

また気なのね。気が無いのね。って言うより、相手の方が理屈だったり、デッサン力みたいな基礎があるんじゃ無いかなぁ。ただモザイクが初めてなだけで。

だから感覚としたら、その上にならないと、先生として認められないだろうね・・つまり誰にでも成功しているように見えないと、説得力が無いだろうね。

所が後者の場合は、出来ない・・・って前提だから、出来たって言う事に、更に満足した結果が出た場合、信頼や信用が得られやすい。まぁ簡単に言えば、

労作展のように受賞って事になると、誰にでも判りやすい。まぁそんな感じで言えば、この2人は両極端にあって、棟梁は器用な人だから、切る張るって技術がとても上手い。

それなら教える事は情緒になる。まぁ簡単に言えば、テクニックなんてもんは、まず弾ける、書ける、投げる、打てる・・・こんな行為が出来る前提。

だからまず慣れる事なのね。慣れるには数。その時に、初見でもこんな形切れる?なんて事に対応出来るようになったら、緩急なんて事になる。

例えばピアノなら、ただドを弾くんじゃ無くて、強くとか弱くのマークを見て・・・更に上になれば、作曲者の感情を読み取る。こんな気持ちだった・・

みたいなね。時代背景だったり、感情移入してみたりね。それが出来る人と出来ない人の差になったりもする。それがテニスや野球だったりすれば、

全力で投げるフリして、抜く事で、相手の裏を付く、ただ全力のストレートだけで押さない。ただのドを投げない。書道なら、押さえたりして力強い部分に

すーって続けて、はらう・・・抜くんだね。みんな人のやる事は大体一緒なのね。だからこんなのここまでなら誰がやっても同じなのね。問題はここから。

そんな腕を持ってして、オリジナルを作ろう・・・ってなると、どんな音楽が作りたいの?みたいな話になるのね。それが個性なのね。例えばロックがやりたい

ってなれば、ドラムもベースもいるなぁ・・・ってなるけれど、フォークなら1本のギターでも出来る。こうして分野が判ると、用意するものだって判る。

所がえっと・・・何かこんな感じって、ほぼ伝える気、ここも気ね。気が無いと、表現者で無いから、間違った言葉を使ってしまうのね。例えばロックを

やりたいのに、なんか大所帯のバンドで・・・と相談に乗る場合、あぁオーケストラ的な?って返しちゃうとすると、後からギターが無いって事になる。

しかもそんな大所帯となれば、大きさも必要になり、じゃ最低でも2000人規模の箱って言うと、そんな大きく無く、小学校の体育館程度で・・・。

これが作品の相談のやり取りになるのね。それをそれなら好きな楽器をアップにして、例えばサックスを吹いている人をメインに、バックに楽団の雰囲気とか、

主要メンバーをポスターのように・・・とか、そうすればそのサイズの中に収まるんじゃ無いか?とか、アイデアを出すも、その大きさの中にそれが入らない

なら辞める・・・って繰り返しの相談で消えて行く事がほとんど。それがきっかけになって、それならこうしたら・・・って切り返して、そのアイデアをきっかけに構成したりする人もいる。

そうなのね、そうした気付き、ここも気。気付けるきっかけって言うのが、このやり取りこそが個人レッスンだったりするのね。ただ当然試行錯誤が繰り返されると、

すぐモザイクがしたいのに・・・になれば、面倒だからこれで・・・って人は、楽譜、つまり誰かの絵を真似する事になるし、考える事から逃げる。

勿論、りょうさん位の場合は、今素振りの最中だから、何しろ色んな形を切る特訓とでも言えば、何しろ切れるようになる為の練習だから、切れる事よりも

チャレンジする・・・繰り返す事。しかもただ繰り返すのに慣れたら、どうして今失敗したか?何故同じ所でつまづいているのか?みたいに検証して、基本通りにやっていたか?

の確認をする。その時に、あっこれかも・・・って思ったら、そこの是正を気にして・・・また気。気づいて、気にして、・・・それが意識。意識をすると行動は変わるのね。

所が切らなきゃ・・・だけだと、切れない・・・つまり結果ばかりを求める割にプロセスを大事にしていないのね。ここかな?ここかも・・・違うかぁ。

これかっ・・・これが試行錯誤。これに寄って考える癖が付くのね。そうすると、今度はこうすると、こうなるかも知れないから・・・って1つ先を読む。

そんな癖が付く。危機管理的にね。一流の人達はただそこに投げていたり、打っていたりするのでは無くて、駆け引きのやり取りをしているのね。

更に小説家みたいになると、グー、グーと来て次どうする?って話になり、みんなの大好きな伏線の回収なんて事になると、何でも無い事のように見せて、

それをグー、グーって脳に叩き込まれ、グーかパーかチョキか?ってじゃんけんの話かな?と思えば、お腹が減っただけだから、飯でしょ・・・ってなると、

ダジャレ的なオチになる。だ、って付くと、駄菓子、駄洒落、下駄、駄賃、駄馬・・・みたいにダサくなる。まぁ下になるんだろうね。それを例えば、

銘菓となると、駄菓子とは売り場も値段も変わるし、下駄って下では無く、雪駄って、雪だよ・・・お洒落な感じで上にな感じがする。

感じって話はこう言うもので、五感を使って感じ取る、そしてそれを各々の分野に活かす。そして更に自分独自のものの追求がオリジナルってな話。面倒な話。

でもね、例えアマチュアでも、例え趣味でも、駄では無いものにすると、歩がとに変われば、もはや金となにも変わらない。ただ金はそこにいるだけでも金。

でも歩がとになり、金と同様になるには、一歩一歩を繰り返さないと、ただの捨て駒にしかならないのね。何を選ぶのも自分次第。そんなこんなで帰ってから、

コウノトリ部分終了。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高洲のサークルとコウノトリのバック

2024-10-17 03:38:10 | 高州のサークル

今日は高洲のサークルなんだけれど、最近恒例のピエロの壁画の手伝いって事で、キウイはコウノトリの続きで、お母さん、のりちゃん、キョンキョンはバックから。

まぁこれが出来ないような人はウチのサークルにはいない訳で。それが証拠に

これが80歳なんてとても思えないお母さんの作品だし、

これがのりちゃんの新作となり、

これがキョンキョン。ただ難しいのは、自分の作品がこれだけ難しい事をしている自覚は無く、むしろ自分の作品は自分のだから・・・ってノープレッシャーって、

感覚でやっているのね。だからこうして人の家の作品に参加する・・・って事を意識すると、プレッシャーが掛かるってだけで、手慣れていないから、難しい

 

って言葉になるだけで、実はプレッシャーってだけなのね。所がそのプレッシャーってどんな感じ?って言うと、ほんの1時間程度で慣れて来ちゃうのね。

ただ普通1時間程度って、体験ならコースターみたいな話で、それで手慣れて出来る程、モザイクって簡単な事じゃ無いのね。つまり慣れるって言うのは、

常に自分の作品でタイルを切り続けているからであって、切る事に慣れている。だから張るだけ・・・に慣れていないって事なのね。所がそれは1時間で慣れる。

どれだけ達者な人達だか・・・って話なのね。所がそこは自覚って話で、本人達に自覚は無いのね。ある意味、これで良いですかぁ〜って感じね。

まぁそんな事だろうね・・・って前提で参加して貰っている訳だから、特にビックリもしないんだけどね。そんな後は残りは俺がアトリエで・・・

流石に終わらなかったけど・・・まぁ明日には終わるとして、450x2200mmx2分を残しているんだけれど、まだノープランなんで、どうするか?って話。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午後からピエロの壁画

2024-10-16 00:20:12 | モザイク作家

今日は教室も無いし・・・実は数日前に歯が欠けて・・・って事で、歯医者に行こうって思って、実家のすぐ近くの所に決めてたのね。ただ見守り的に、実家に

顔も出せるし・・・とね。するとドアが開いてて・・・そこで覗いて見ると、妹が掃除していて・・・挨拶をして歯医者に行くと、予約制らしく・・・。

まぁ違う所に行けば良かったが、探すのも億劫になり、予約だけで帰る事になり、実家に顔を出すと、掃除はやるから、買い物に連れてって・・・って。

まぁ衣替えとかあるんだろうな・・・と、2人でニトリやら何やらへ。そんなこんなで焼き立てパン屋さんで買って昼飯。そんな事をした後に、今度は、

ご近所の良くしてくれるタイル屋さんに、以前くれるって言ってたものを頂きに行くと、そこの奥さんがブログを見てくれているらしく、ピエロの壁画を褒めてくれたのね。

そんな後、ようやく本日分制作開始になって・・・明日の高洲のサークルでも参加して貰う準備となったのね。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さん教室

2024-10-15 07:07:49 | モザイクタイル教室

今日は午後から寅さん教室。それまでは実家だったり、野暮用があったりして、ピエロの壁画の続きもやったが、現地でバックの線を合わせて確認したり

・・・まぁある意味、やるべき事はやったからまずまずなんだろうが、欲を言えば切りは無いしね。そんなこんなのお教室。ってまずは壁画のバックから。

左側をやって貰ったのね。特に問題は無く、誰もが戸惑う事で難しいって言っていたけれど、難しいじゃ無くて、手慣れないだけなのね。だって誰かと比べて

見劣りしてる?つまり合格点で出来た事になるのね。勿論合格しても、最高点の合格もあるし、合格ギリギリって言うのもあるだろうね。それは何処の世界でもある事。

事実は俺がOKを出した・・・ここ。ここがきっと今日の一番大事な所だったと思うんだけれど、例えばこんな場面で自信が無い・・・なんて言ったりする人がいるのね。

ここが厄介な話で、では自信って何?って質問したら、一体なんて答えるんだろうか?それを広辞苑に書いてあるような事を言うのであれば、みんな一緒だから

わざわざ聞く必要が無いのね。俺の質問は自分の言葉で自分の解釈で答える事なのね。だから間違っていようがいまいが、その人の考えであり、そこから何か

一緒に考える・・・この行為こそがオリジナル制作の一歩なんだけれど、もしこの行為が面倒臭いとか、そんなのどーでも良いから進みたいって人は、誰かの絵を真似て作ると楽になれるのね。

まず考える事を捨てれば良いだけだから。ただまず考える事を捨てるって言うのは、今を楽しただけなのね。選択肢として考える事を捨てるって言うのは、

オリジナルをしないだけ。つまりスタジオミュージシャンになるんであって、ユーミンやサザンにはならないみたいな話ね。つまり楽譜やレシピに図面と言った指示通りにする。

こっちを目指すって事になるのね。それをオリジナルを作るって側になりたいと思うのなら、自分が考える理想の追求となるのだから、そうする為にはどうしたら良いか?

であって、もしそこで自分の理想が決まっていて、それを作りたいだけなら、後は腕次第じゃ無いのかな?だから理想が高ければ、届かないし、低ければ楽になる。

例えば、労作展の子達。どいつもこいつも中学生とは思えない凄さがあるでしょ?まず掲げるのは自分なのね。俺はそこからこうしろあぁしろとは言わないから。

この時に謙虚だって世間体の塊のような、制作には何の役にも立たなそうな事で、こんなのはきっと出来ないだろうから、こんな感じかな?って簡単そうな事

だと思って言って来たとする。それを世間では良しと判断するんだろうけれど、ではこれを受験だとする。きっと慶応は難しいだろうから、それより下の学校

って滑り止めの学校を選ぶんでしょ?そこは大丈夫だと・・・低いからね、それよりも。世間がみんなそう思っている。ほらぁ該当するでしょ?

こうやって思い込むし思い込まされているのね。世の中の仕組みって。そこでまずそれをやりたいか?の覚悟なのね。まずは。けれど大抵の人は、楽しくって

趣味なんだから・・・って余暇の一貫なのね。それなら、本気の中学生より見劣りしても仕方無いでしょ?だって本気じゃ無いんだから。しかも本気だから、

自宅でもやる。そりゃ上手くなるよね。だから当たり前の結果になる。その時に何が上手くなったの?って言うと、大抵はモザイクを習っているから、モザイクが・・・

って答えてしまうのね。では質問。あの子、頭良いんだよ・・・って何が?数学なの?英語なの?少なくても体育でも技術・家庭でも無い事は判ったけれどね。

あいつ野球上手いんだよ・・・って打つのが?守るのが?全部出来るのは高校生レベルであって、この世でプロレベルは大谷さんだけだよ。

つまりまずオリジナルを捨てるのなら、考えなくて良い事になる。曲は作らないのだから、楽譜待ち。楽譜が決まれば、それを間違いなく弾ければ良いだけ。

ってさ、弾くだけでも難しく無いのかな?つまりそっちを選んでも、今度はモザイクなら自在に切れる技術を身に付けないと、上手くならない。

だからひたすらバットを振る、字を書く、ギターを弾く、野菜を切る・・・って行動になるのね。道具や素材に手慣れる為にね。でも月に1回だとしたら、

一ヶ月の30日分の3時間・・・果てしなく進まないでしょ?つまり根気が必要なのね。果てしなさに挫けない心がね。そう言う点では、寅さん位続くと、

それは充分に慣れただろうね。だから切るって技術の繰り返しになる。そしてこうしてクラッシュとして、形は問わずに何でも良いから切るのは慣れたのね。

だから今は流れとして、この形に切る・・・って練習しているのね。でもね、花の絵を見ても、大体赤って感じにしか思えないのね。何か指示されないと・・

ただ、ただなのね。手伝いのバック・・・ルールは多少あるけれど、自由に入れて、入らなかったら切る。こんなシンプルな事は無いのね。でも初めて・・

いつものタイルよりも硬いのに、キチンと切った。ルール通りに張れた。何も考えなかったかな?考えたからこうなったのね。実は手伝いこそが本当の意味の

教室だったのね。自分の作品に手慣れてしまって、緊張感が少なくなってしまったのね。それは時間が掛かるって事に慣れてしまったが故にね。慌てないって。

勿論それはとても良い事なんだけれど、良い事と悪い事は常に背中合わせ。慌てないって事はのんびりって事でもある。のんびりの中に緊張感は無いのね。

こんな事を踏まえて、自信って読んで字のごとく、自分を信じる事になるんだろうけれど、何をどう信じる?って話になると、ここが難しいのね。

例えば労作展の子のパターンだと、謙虚な場合、こんなのはきっと出来ないだろうから・・・って感じね。いやいや出来るかどうか?は先生サイドの意見がある

はずなのね。しかも一度も経験が無い人が決める訳でも無いし、こっちもその子の能力を見た事が無いのね。つまり保証としてそれをやるなら、この大きさで、この時間キープ出来るなら・・・

って話になる。その時に、子供達は多少大きくても、本当にやりたいと思うのなら問題は無いけれど、大人はこの大きさでこれが欲しくて、自分が思うグレードで、しかも時間も早めに・・・

って吉野家よりもハードルが高くなるのね。上手い、安い、早いよりもね。そこで提案として、それならここだけ多くして一部を・・・って言うと、それなら

辞めるって感じね。だから手に入らない。子供は時間さえキープ出来れば、お金の心配も、送迎があったりすれば、楽に運べるし、条件が良いのね。

こんなハンデがあるのね・・・大人と子供って言うのは。ただ厄介なのは、自分を信じるって言ったって、闇雲に歌手になりたい、画家になりたい、スポーツ選手になりたい・・・

って、なれないかも知れないのに、人が遊んでいる時も必死に練習している気がしない?そう普通プロとかアマチュアでも競技に出るならね。だから労作展に

出るって事になると、それ相応の人に見られるプレッシャーを受ける事になるから、その意識が行動に変わるのね。じゃ言い方を変えれば、例え趣味でも、

人がランチだったり、映画だったり、人が提供するものを買ったりして遊んでいたりする時に、月に1回の3時間だけ自分を楽しく、楽に磨いていたとする。

必死には磨いて無いよ、楽にね・・・・何十年掛かるかも知れないけれど、教える人がもし凄い人だったとしたら・・・もしかすると名刀が手に入るかもね。

もしそれがウサギとカメのおとぎ話なら、カメはゆっくりとのんびりと、慌てず騒がずたどり着くまで歩けば良いだけ・・・ムチも要らないし、継続は力なり。

俺はただ当たり前の事を言うだけ。そしてそれを何十年も繰り返しているだけ。たどり着いても当たり前だし、たどり着けないとも思わない。自分を信じるって、

他人がどんなに馬鹿にしようが、ひたすら前に進む事になるし、けれど助言も聞かずに突き進む事でも無いけれど、誰の言葉も受け入れていては、違うアドバイスにも出くわす。

信じた人をアテにするのか?誰も信じないなら自分でやるしか無いのか、みんなの話を受け入れて、良い人ぶって、その集団から孤立する事だってあったりもする。

本当に強い人は水が合わない・・・なんて弱く無いのね。何処でも郷には郷に従えちゃうのだから。だからその都度折れるって、つまり弱そうに見えて我が強いとも言えるのね。

そうね、普通生徒さんには、ここまで踏み込まないのね。これは弟子だったり、常連の一部にしか話さない。何故なら本気では無く、楽しみたい趣味な人には必要無いから。

ただ場合に寄っては必要な一瞬があったりする。いわゆる気付きとでも言うもの。思い込みって言うのは、大抵話す相手がいなくて、独りで悩む。

ただ悩むなんて愚かで、時間ばかりが過ぎて、何も解決しないのね。そうでは無くて、結論を出す。ただその結論に大義名分が無いと、簡単に折れる。

だから決める時に、必ず覚悟を持つ。これを大事にしたいから、この為にはこれを切る・・・ってね。削ぎ落とす。そうすれば、身軽になって行く分、ペースは上がる。

やらなきゃ・・・になりやすい。それをどーしようかなぁ・・・これもあれもと、都合が良い事ばかりを選んだら、都合が良くて選んだのに、選んでいざ

やったら、こんなに都合悪いとは思わなかった・・・ってなれば、簡単に折れる。それを覚悟を持って、多少リスクがあってもこうしたい・・・って言うなら

最初からリスク想定内なんだから、へこたれる事は少なくて済む。つまり最初に楽を選んだ結果だから、結果が楽じゃ無かったら辞めたくなるのは、簡単だ

楽だと思い込んだからなのね。想定以上に。そうならないように、一歩先を読む。それが想像力、洞察力、観察力って目に見えない力の話。

そしてそれがクリエーターの生命線になる。そしてそれが更にオリジナルの一歩・・・だから全部繋がっているのね。たださぁ、こんな話、普通に生きてたら必要無いじゃん。

でもね、所が歳を取るってのは、そこにある幸せが崩れて行くものなのね。1つ1つ無くなって行く・・・その時に何でこんな事になっちゃったんだろう?

って悩むも良し。ただ迷い放しにならないように、悪いループのままでいないように・・・と思うと、今までのまま行けるならそれも良い。けれど、そうじゃ

無くなった時、どうする?・・・だからそんな人は趣味では無く、生きがいにすると、その意識は行動に変わるはずなのね。別にモザイクに限らず・・・。

何を選んでもだってどれもこれも自分自身なんだから・・・。何も変わらなきゃ、今まで通りだし、今まで通りは無理なら、変えるしか無い。

さてどうする?って、きっと踊らにゃそんそんなんだろうね。おしまい。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親子3代のご近所さん教室とピエロの壁画

2024-10-14 00:19:43 | モザイクタイル教室

今日は午後から親子3代のご近所さん教室。の前に、ピエロの壁画にご参加となるんだけれど、このピカソの彼女は小4だったり、お祖母さんは俺よりは上だと

思うんだけれど、とは言え、ここまで作れるようになっているのね。

だからこそ、例え数枚でも・・・

ちゃんと大人に混じってご参加してくれたのね。当然、この3人のエースのお母さんも一番多く張ってくれて・・・。

ただお母さんは特になんだけれど、切るって事には何の違和感も感じずに切れても、この目地幅で慣れているから、いつもよりも太い目地幅に戸惑うのね。

何しろこの目地幅を正解として作っているのに、何かスカスカに思えちゃうのね。だからこれが正解・・・って自分の正解と大幅に是正な気持ちが付いて行くのに時間が掛かるのね。

ただ慣れてしまえばこの実力なんだから、何の問題も無いんだけれどね。そうね、3人に言えるのは、ぺきぺきを切るって事に慣れて来た感じはあるのね。

そうなると、後は気持ちの問題で合わせて切る、統一させるとか、もう意識の問題になって来ているのね。そんな中、お祖母さんの黒の縁取りの幅がとても

安定して来たのね。小4の彼女にしても、だいぶ形になって来ているから、大人に威嚇出来る位に見えて来たし、お母さんは後は時間の問題って感じだし・・

しかもこのグレードで楽しんでやっているのだから、最高の和気あいあいなのね。そんな後は、みんなの続きをやって・・・

明日もまたご参加して貰う生徒さんがやって来るのね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健さん教室と柱のクルクルポール

2024-10-13 06:46:55 | モザイク作家
今日は朝、かぐやを送って午後から健さん教室。まぁ今回は作品制作だし、取り付けもあったし、あれこれと満載でお疲れ様と言った所だけれど、まだ途中だが

近頃、インスタで色んな先生が、芸術の秋なのかな?生徒さんの作品展なんて上がって来るが、ある意味ピエロの壁画自体が一生残る発表の場だったりする。

一時のもので無く、一生ね。そんな途中経過の中、ご参加した生徒の健さんを連れて見せたんだけど、自分のやったものを見るって中々無い経験をしたのね。

まだ完成はしていないけれど、凄いって。そうね、何しろ大きいから迫力があるし、可愛いし、そして2階の塗装の赤も映えるし、とても赤い家になったのね。

そんなこんなで教室になると、不思議なもので、この作品と自分がやったさっき見て来た自分の場所と比較すると、進むペースは全く違うのね。勿論、こっちは

1cmタイル切って数ミリのパーツで、ピエロの壁画の方は、余り切らずに仕上げているからであっても、手慣れていない張るだけの部分に戸惑った。

しかも言い方を変えると、切る事に手慣れているのなら、張る事だけに戸惑った事になる。それは例えば、目地幅。自分の作品では、数ミリのパーツだから、

数ミリが楊枝くらいの幅で手慣れているのに、壁画では4.5ミリは空いている。もうこの何倍もの目地幅に、こんなに空けて良いのだろうか?って事になる。

ただ、全体で見た時には、その目地幅で何の問題も無いのね。その感覚に戸惑ったのね。そして切るにしても、いつもの1cmタイルよりも厚く硬い。ここにも

女性なら戸惑いが増すのね。先日のキウイでは豆が出来た・・・って。ただ何にしても俺がOKを出したから、こうして取り付けた訳で。
ちなみに健さんは、上の中央の星部分ね。そしてもっと言えば、全力で時間を費やすと、この闘牛士の背中の作品を作れる腕であって、この星が全力では無い事

・・・余力を残した上での制作なのね。勿論、参加したみんながそうなのね。そう考えた時、今後の機会の伸びしろを考えると、そりゃワクワクするのね。

まずこれが1作目なのだから。そんなこんな後は、右側柱のクルクルポール部分の作成。

何しろ奥さんが床屋さん、旦那さんが電気屋さんとなれば、こんな感じになるでしょ?って話。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする