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「悲しい知らせ」

2024年12月05日 | 大分県
五馬の写真を載せながら。18年前に日田市の五馬中学校に教頭として赴任しました。

初めての日田市での勤務。
当時は、日田市との人事交流はあまりなかったので、知り合いの先生もほとんどいませんでした。


先生も生徒も保護者も・・・知らない地域でした。
そして、単身赴任。変化の大きい時となりました。
 
しかし、言葉だけでなく本当に、あたたかい地域の方、先生方、お家の方、子どもたちに支えられて、2年間の勤務を務めることができました。


勤務している時、今の時期の朝は、マイナスの世界でした。
マイナス4度、5度というのがあたりまえの勤務地でした。
校庭には、雪が降ったような霜がおりていました。


2年間の中で、旧校舎から仮設校舎への移動、新校舎の建設、そして新校舎への移動、落成式と中味の濃い2年間でした。

 
先生方とも職員旅行に行ったり、ナイターを見に行ったりと楽しい時間を過ごしました。

今では第2のふるさととなっています。

 
そんな中で、職員で環境整備を担当してくれていたKさんと出会いました。
「野菜をいっぱいとらんとね。」
と袋いっぱいに詰め込んでくれた白菜や大根などをもらっていました。
「飲みに行こう。」
と時々誘ってもらいました。
 
一次会に行く前に、ちゃんぽんで有名な寶屋の別館みたいなところで、まず、必ず飲んでからの一次会の場所へ・・・お酒が弱いこちらにとっては、前座で酔いました。

ふだんの作業着とは違って、おしゃれなおやじで、ばしっと決めて、街に繰り出しました。
 
勤務地を離れても、1年に一度くらいは、家にお茶を飲みに行きました。

こたつの温もりとお茶の美味しさが何ともいえないものがありました。

子どもさんのところに行く時に、家にも立ち寄ってくれ、庭の手入れなどもしてくれていました。


昨年も友だちを連れて、家に行きました。
いつものように、たくさんの野菜をいただきました。
 
嬉しい出逢いでした。

 
ところが、昨日、郵便受けを見ると、奥さまから、
「10月に亡くなりました。いろいろ思い出をありがとうございました。」
という葉書がありました。

悲しすぎる知らせでした。
 
今日は、Kさんのことが頭から離れず、悲しみに包まれ、ずっとあの頃のことを思いながら過ごしました。
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