かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

熱い県総体終わる②

2011年07月31日 | Weblog
県総体が終わっています。いろんな競技を見に行き、応援をさせてもらいました。さまざまなドラマを見ました。喜び、涙・・・この経験が生徒たちをさらに大きく成長させていくのだと思います


 県総体二日目です。



 県総体を回る時は、駐車場の確保が大変です。事前に駐車場のチェックをしておく必要があります。




 相撲団体があるので、まずは、駄の原相撲場に行きました。中津市第一代表として出場しています。




 会場は、熱気に満ちあふれていました。対戦相手によっては、全国大会、九州大会を十分臨めるチームです。野球部、卓球部でチームは構成されています。予選リーグの応援をしました。外部指導者の方も来てくれていて、しっかりと指示をしてくれていました。生徒たちも心強く感じたことでしょう。




 予選での試合は、快勝をしました。相手を撃破し、予選リーグを通過。決勝トーナメントへ。一回戦相手は、優勝候補筆頭の学校。勝てば、優勝も見えてきます。優勝すれば、全国大会です。ベスト4でも九州大会です。



 相撲は3人制です。決勝トーナメント。先鋒が勝利。あと2人のうちの1人が勝てば、勝利となります。土俵際まで2人とも追い詰めました。手に汗を握る試合とはこのことを言うのでしょうか。観客席も沸きました。



 しかし、惜しくも敗れました。競り合いの試合でした。生徒たちも力を出し尽くし、満足した様子でした。やり遂げた充実感で、これからの生活の中でもエネルギーとなっていくでしょう。相手チームは、あとは、そのまま勝ち進み、優勝をしました。



 このあと、陸上競技場に。女子800メートル、男子1500メートルに行きました。どこの駐車場もいっぱい。車を止めるところを見つけるだけでも大変でした。ここもスタンドは応援する人たちでぎっしり。三光のお家の方も家族で応援に駆けつけていました。


 三光中学校の選手は、臨時の陸上部員です。他のスポーツにも頑張っている生徒です。すでに男子1500メートルは終わっていました。選手は、中津市予選より10秒近く記録を縮めていました。トラックを照りつける日差しにも負けずに走り抜けました。




 女子の800メートルを見ました。10人を超える選手。一斉のスタートです。粘り強く走りました。記録も予選を上回りました。終わった後、「頑張ったね。」と言うと、「でも目標の記録に届かなかった。悔しいです。」の走り終わったの言葉。2人の選手ともに、きっちりと自己のタイムを管理している姿勢に驚きました。スピードの勝負。陸上というスポーツの特性を感じさせてくれました。



 
 このあと、陸上会場を後にして柔道の試合が行われている別府市に向かいました。(続)

熱い県総体終わる①

2011年07月30日 | Weblog
県総体が昨日で終わりました。いろんな競技を見に行き、応援をさせてもらいました。さまざまなドラマを見ました。喜び、涙・・・この経験が生徒たちをさらに大きく成長させていくのだと思います


 7月ももうすぐ終わります。生徒たちにとっても一つの熱い夏が過ぎ去っていきました。昨日で県総体が終わりました。九州・全国大会に出場する生徒以外は、3年生にとって、部活からの引退となります。3年間にわたって頑張ってきたことは、これからの大きな力となっていくことでしょう。




 県総体の3日間のうちの2日間、県総体の応援に行きました。残念なのは、試合の関係ですべての競技で応援することができなかったことでしたが、会場での選手の姿は見ることができました。



 初日は、開会式に出たあと、ソフトテニス会場に行きました。だいぎんテニスコートは、十面以上もあるすごく大きな会場です。横には、野球場もあります。着いたときに野球場のところに車を止めました。



 何となく懐かしさを感じる場所でもあります。かつて、野球を担当していたときに、県新人戦、県総体の出場が決まり、ここで、試合をしました。あの頃の思い出がよみがえってきました。選手たちのがんばり、北九州の病院から応援に駆けつけてくれた今は亡き、お家の方の姿・・・。




 そんな思いを感じながら、個人戦に出る選手のところへ。個人戦だけに、出場する選手もたくさんいます。選手、応援の人たちで会場はいっぱいでした。



 その緊張感のある中で、戦いを繰り広げました。どのペアも郡市を代表して来ているだけあって、強豪ぞろいです。こんな立派なコートで、たくさんの応援の人がいる中で、試合ができることがうらやましく思えました。一球、一球集中しながら試合を展開していきました。



 3ペア出場しました。3年生のほとんどは、一つ上の学年が少なかったので、2年生の時から試合に出ている生徒も多くいました。経験を積んできています。惜しくもベスト16入りはできませんでしたが、勝利を味わうこともできました。どの選手も満足した顔でした。



 
 これから高校に進学してテニスを続ける選手もいるでしょう。また違う目標を持って頑張る選手もいるでしょう。部活動を通して、培った体力と気力をこれから生かしていって欲しいと感じます。また共に同じ目標をもって過ごして来た仲間とその中に築かれた友情を大切にして欲しいと強く願いながら初日の帰途につきました。(続)



県総体に向けて

2011年07月29日 | Weblog
県総体前の記事を載せていなかったので、ちょっと遅れながらも、総体前日、7月26日(火曜日)の様子です

 朝から、気温がぐんぐん上昇していった一日でした。今日の朝は視察に来る方がいました。みんなの先生で対応をしました。



 それからが、先生たちもいろんなところで、生徒たちとの関わりを大切にしていっていました。




 まずは、部活です。いよいよ明日から、県総体が始まります。三光中学校からは、陸上・相撲・ソフトテニス・柔道男女が出場権を得て、明日から総体には、中津市代表として戦いを繰り広げます。



 練習を見て回りました。どの部も真剣に頑張っていました。総体にでるチームは、最後の調整です。また総体に出ないチームは、新チームでのチーム作りです。暑い中ですが、それぞれの部の目標に向かって練習を積み重ねています。




 相撲は、外部指導者が来てくれていました。指導者自らまわしをはめて、生徒とぶつかり合ってくれていました。すごいパワー。生徒も指導者の方につられながら、張り切って練習に参加をしていました。相撲部は、九州大会を狙っています。




 同じく県総体に出場する柔道部も武道場の暑い中、押さえ込みの練習などを繰り返し点検をしていました。今日の大分合同新聞では、女子が優勝候補の一角にあげられていました。頑張って欲しいものです。



 次には、オープン学習スクールです。3年生は、朝から。そして、1.2年生は、部活ごとにオープン学習スクールを行っています。生徒も先生たちも一緒になって、取り組みをして、学習の充実も図っているところです。


 夏休みも生徒たちは、充実させています。


祇園の夏

2011年07月25日 | Weblog
熱い夏がやってきています。各地では夏祭りや花火大会の真っ最中です。それぞれの地域では、お祭りで盛り上がっています。これから、夏もさらにヒートアップしていきます



 夏は、夏祭りの季節となります。



 イベント情報などを聞くと、各地で行われています。



 昨日まで、日田・中津などでは祇園が行われていました。そして、地区の神社でも若宮祇園が開催されました。



 今年の若宮祇園は、何かと行事などがあって、準備に関わることができませんでした。祇園までにできたのは、レジメの作成、お宮の清掃作業と当日の準備くらいで、他の役員の方には申し訳なく思いつつ、お祭りに参加させてもらいました。



 地区のお祭りも昔からあります。「神輿(みこし)がいつできたのかな。」と思い、下からのぞいてみると、「嘉永」と書いていました。江戸時代のものです。神輿にも歴史があります。お宮の歴史は、鎌倉時代のものです。つまり、そのころから、お祭りはあったのでしょう。




 時代は過ぎて、だんだんとお祭りも下火になってきました。21年前のこと。「地区を盛り上げよう。」と神楽だけになっていたお祭りにいろんなイベントを組み込んでいきました。うそ会(抽選会)なども入れ、ぱらぱらだったお祭りもたくさんの人が来るようになりました。新しい時代のお祭りも今年で21回目を迎えました。




 暑くもなく、雨も降らずとお祭りには絶好の日でした。たくさんの人が来て賑やかに地区が盛り上がりました。連れ合いも毎年楽しみにしていましたが、今年は、出ることができず、その分、子どもたちが参加をしてくれました。






 そして、昨日の夕方、家族4人で300年の歴史を持つ日田祇園にちょっとだけ行きました。日田の焼きそばを食べて腹ごしらえ。祇園には、子どもも出ています。あいにくの雨で、夕方のだしは中止。盛り上がる夜は、時間の関係で見ることができなかったのが残念。





 しっかりと2つのお祭りを今年も感じることができました。



 今日は、子どもがパイパイと花飾りを持って帰ってくれました。





 インターネットを見ると、



「日田祇園祭(国指定重要無形民俗文化財・23、24日)の山(やま)鉾(ぼこ)を飾る厄よけの「パイパイ」と「花飾り」。本物は祭り後に厄よけとして配られるが、観光客向けに“ミニチュア”などの販売もある。「勇壮な巡行を楽しんだ後の思い出にいかが?」とPRしている。中城町では「パイパイ」と「花飾り」のミニチュアを作り、販売している。全て町内の若者や女性らが手作り。毎年恒例で、市民や訪れた観光客に人気という。400本限定で1本500円。期間中、町内の八坂神社お旅所(通称・祇園さん)の境内で販売する。





 隈の祇園山鉾会館では例年、隈八坂神社の木札(300円)が人気。車などに飾るパイパイのミニチュア(300円)も同神社でおはらいをしている。同神社の祭神素盞嗚尊(すさのおのみこと)にまつわる茅の輪(300円)やリストバンド(500円)、携帯ストラップ(500円)などもある。」
 





 なるほど・・・。パイパイなども何気なくもらっていますが、ミニチュアでないだけに、貴重な一品なんだと初めて知りました。

ラジオの番組を聴きながら

2011年07月24日 | Weblog
今日で、アナログ放送が終わりました。一つの時代が終わり、そして、また新しい時代の幕開けです。ずっと前にも書いたように、今、各家庭には新しい防災無線が入っています。ラジオも聴けます。難視聴地域にも新しい文化が入ってきています。画期的なことです


 アナログ放送も終わりを告げました。全国津津浦浦、今日からすべてのテレビ放送がデジタルとなります。



 そんな中で、防災無線も変化しました。緊急時には新しい防災無線の機能が発揮します。(しない方がいいんだけれど・・・)ラジオ難視聴地域だった住んでいるところも、この防災無線で4チャンネルのFMを聞くことができるようになっています。画期的なことです。




 県北地域には、「ノースFM」というラジオ局があります。地域の情報を発信したり、いろんな番組を持っています。今まで聴きたいと思っていましたが、街部に出て車からでしか聴くことができませんでした。しかし、防災無線が入ってから、なんと視聴することができるようになりました。



 テレビはどうしても見入ってしまいます。ラジオは動きながらでも楽しむことができます。




 ラジオを聴く機会も増えています。



 日曜日の夜は、「中津」をもじった「なかなかつぅな時間」とう番組を「シャイニングボーズ」さんが担当しています。「シャイニングボーズ」さんは、先日学校公開日に、学校に来て下さいました。「トークと歌」で楽しませたり、感動も与えてくれました。




 後日、生徒たちが綴った感想を渡しました。今日は、なんと、生徒の感想をベースに番組を進めていました。




 ライブとは違って、生徒たちも当日は、自己表現ができにくかったと思います。「シャイニングボーズ」さんもきっと、いつもと違う感覚があったと思います。でも「トークと歌」のあとには、生徒たちなりに、「シャイニングボーズ」さんの熱い思いから感じた生徒の思いがありました。それを今日は、紹介してくれていました。





 本耶馬渓の勤務が長かっただけに、「シャイニングボーズ」さんの大半の方たちには、何かにつけてお世話になっています。みんながエネルギッシュで誠実で、話していると元気をもらえます。





 ラジオの番組もおもしろさや、わらいの中にも温かみがあります。今日の番組でも子どもたち一人ひとりの感想を読んだ上で、番組を作っていました。 


 ひと(子どもたち)を大切にしてくれる、包み込んでくれている気がしました。
 


 あっという間に1時間の番組が終わりました。

終業式を迎えました

2011年07月23日 | Weblog
7月20日(水曜日)は、1学期終業式でした。早いもので、今年度も1学期が過ぎていきました。大きな事故もなく、生徒たちがいろんな行事に積極的に頑張ってきたことが嬉しく思います。夏休み、2学期に夢・目標に向かって頑張ってほしいということを終業式の中で話しました


夏休みが始まりました。いろんな思い出を残しながら、1学期終業式が行われました。終業式の中で、みんなでつながりを大切にしながら、夢や目標の実現に向けて頑張ってほしいと伝えました。




 次のような話の内容でした。




「一学期が終わります。どうですか。みんなは、幸せを感じた数は増えましたか。今、ケーブルテレビでは、学校紹介が行われています。将来の夢の中で、
 



 一年生のSくんは、お母さんの感謝を込めながら、自分が公務員になりたいと伝えました。お母さんに感謝できるSくんは、すばらしいと感じました。Sくんは、この夏、太鼓の全国大会に出場します。頑張ってきて欲しいです。


 同じく一年生のIさん。画家になりたいと伝えています。絵を見る人が、幸せに感じたりして欲しいという願いです。自分だけのことだけでなく、周りを幸せに感じさせたい心の広さを大切にして欲しいです。




 二年生のKさんは、保育士になりたいと話していました。Kさんは職場体験で保育所に行きました。出身の保育園である深秣保育園で子どもたちに囲まれていました。とても似合っていました。子どもが好きという優しさをこれからも持ち続けて欲しいです。





 同じく二年生のHさんは、音楽の先生になることを希望していました。吹奏楽顧問の先生にあこがれていると話していました。厳しいところもあるけれど、厳しさの陰には、部員のことを想う先生の気持ちを感じているのでしょう。実現させてもらいたいです。





 三年生のUくん。終始、お父さんと一緒に同じ車の整備士としてがんばりたいと話していました。尊敬できる人が、自分の身近に感じることができることは、すばらしいと想います。お父さんの背中を見続けているのでしょう。その夢をぜひ実現させてもらいたいです。





 同じく三年生のOくん。シェフになりたい夢を語りました。自分の店を持つことを夢見ています。より話が具体的でOくんの目標がしっかりしていることに驚きました。三光中出身のシェフが登場することを期待しています。





 他の人たちも夢や目標に向かって少しでも行動できたのではないでしょうか。周りに人の優しさを感じながらの行動力が「強く 自己を鍛える」生徒になると思います。






 この一学期驚いたことがあります。それは、欠席の数が三光中学校近年最も少ない一学期だったと思います。どのクラスも、欠席者0がたくさんいました。クラス・学年・学校・・・みんなのまとまりを感じます。




 一方、服装や学習態度などで、注意を受けた人もいたでしょう。しかし、ほとんどの生徒が修正をしてきました。みんなには、時には、厳しかったり、うるさく感じたりしたこともあったでしょう。先生たちもみんなの夢や目標、将来、進路のことを考えながら、指導をしていっています。




 171人の生徒同士、そして先生たちとつながりあって、夏休み・二学期とこれからも生活していきましょう。



 夏休み、何か困ったり悩んだりしたことがあったら、いつでも先生にも伝えて下さい。事故に遭わないよう、命を大切にした充実した40日にしていきましょう。最後に先生たちもお家の方も171人一人ひとりのことを応援しています。




 このように今まで話したことのような内容が、小田和正さんの歌にあります。「めざましテレビ」の挿入歌です。歌の意味を感じながら、聴いてみて下さい。





今日もどこかで   作詞・作曲・編曲/小田和正


きづかないうちに 助けられてきた  なんども なんども そして これからも

数え切れない 優しさに 出会ってきた なつかしい 笑顔が 浮かんでは きえてゆく

誰かが いつも きみをみている 今日も どこかで きみのこと 想ってる

めぐりあって そして 愛し合って  ゆるしあって ぼくらは つながっていくんだ


すきとおる ひかりが わけへだてなく  すべての人たちに 朝をはこんでくる

その一歩を もう ためらわないで だれかが きっと 受けとめてくれる

いちどきりの 短い この人生 どれだけの人たちと 出会えるんだろう

ほんとうに 大切な人たちと かけがえのない その人と この広い 空の下で

ふり続く雨は やがて 上がる かくれてた 青い空は どこまでも 広がってく

誰かが いつも きみをみている 今日も どこかで きみのこと 想ってる

めぐりあって そして 愛し合って  ゆるしあって ぼくらは つながっていくんだ


あの頃のにおいがする

2011年07月22日 | Weblog
 家の中には、父や母や嫁いでいった姉たちとの思い出のものがあります。時間が経てば、なくなったり、壊れたりしていきます。そんな中で、今回事情があり、家の一部の改築をしました。依頼したボリさんの心配りで今までの時代を過ごしてきましたが、ほこりにかぶっていたものが復活したものがあります



 家の一部の改築が終わりました。期間がかかったけれど、一つひとつ丁寧にしあげていってくれました。



 今まで何かといろいろお世話になってきたボリさんに改築を依頼しました。ボリさんは、寒い季節から手がけていってくれました。



 ボリさんは、ときおりブログにも改築の様子を掲載していってくれました。それを姉たちや、入院をしている家族たちが楽しみにしていました。




 先日、完成した内部の写真を掲載してくれていました。姉から電話がありました。




「土間のところにあるのは、釘箱やろ。懐かしいね。」釘箱が今回、ベンチになっています。2メートル×1メートルくらいの結構大きな釘箱です。かつて、幼い頃、家は店をしていて、建材を扱っていました。釘箱の中には、いろんな大きさの釘を収納するために区切りをしていました。



 姉は言いました。「お客さんが来て、ふたをあけて、釘を取るときは痛かったよね。」

 確かに。下の写真の座るところが釘箱です。


 
だから、釘をはかりに乗せるための挟む物がありました。ふたを開けたときちょっと油のにおいがしました。3人のきょうだいたちにとって、店の真ん中に置いてあった釘箱は店のシンボルでもありました。それをボリさんは、入り口入ったところにベンチとして生き返らせてくれました。



 また商品のセメントなどを置いていた倉庫の梁は天井に見えるように取り付けています。物置になっていた倉庫の開かずの戸は、入り口はいったところにと、思い出を大切にしてくれる心配りで、父や母とも一緒に生活してきた家具が朽ちることなく生き返って来ました。



 亡くなって8年を過ぎた父がもし生きていたとしたら、どのくらい喜んだであろうかと思います。



 仕事の関係で、なかなか家でゆっくりすることはありませんが、いろんな意味で温もりを感じますし、その温もりを大切にしたいと思います。

台風被害?!

2011年07月21日 | Weblog
学校は臨時休校になったものの台風の影響はほとんど受けることもありませんでした。生徒たちがけがをしたり、家屋などの被害がなくて、ほっとしました。でも、被害があったんです・・・



 今回の台風においては、大型でスピードも遅いということで、大きな被害があるのではないかと心配していましたが、台風の被害が生徒たちになくてほっとしています。


 しかし・・・かったかくん自身、被害にあいました?!



 台風が襲来するのではないかと思われた前日の夜のことです。K先生に用事があって、電話をしました。


「K先生おられますか。」
お母さんが出ました。


 K先生のお母さんとは、自分が初めて教師として赴任した先の学校で一緒に勤務させてもらっています。優しい先生でした。だからK先生と一緒に勤務するというのも奇遇です。
「もう寝ているよ。明日5時に起きて学校に行くと言っていたですよ。」



 なんと。



 それでなくてもいつも、早いのに、5時に起きて学校?早い。「よし、こちらも5時に起きるでぇ。」




 目覚ましを5時に、テレビの音量をあげて、5時にテレビがつくようにも設定。二重のめざまし。これで、万全の態勢。予定通り5時に大音量をあげてテレビがつきました。とまさに同時に・・・足に激痛。
「あいたた・・・・。」
電気をつけてみました。みると布団に大きなむかでが。音量にびっくりした?むかでからも起こされました。




 その時は、それほどでもなかったので、すぐに用意をして学校に行きました。すでにK先生は、来ていました。ちょっと遅れをとりました。「遅いなあ。」それはそうでしょう。あなたは早く寝ていたのですから。



「だれかが、5時に起きると言ったので、5時に起きて学校に行かないと悪いと思ったから、むかでにもさされた。」とK先生のせいに。


「先生が、勝手に電話をかけてくるきわりいんやら。」K先生も反論。あらら。
 



 その日は、たいした腫れもなかったのですが、次の日の終業式の日は、しっかりと刺されたところの周囲が膨らんで、赤くなっています。噛まれたところもはっきりとわかるようになっていました。



 2カ所から挟まれるようにして、噛まれています。「こりゃ、病院に行った方がいいで。」とかみんながいろいろお世話をしてくれました。結局、「むかでに刺されたときの薬が売りよる。」ということで、薬店に買いに行きました。確かにありました。普通の虫さされと強力に刺されたときの薬とがあることを知りました。



 台風は過ぎ去りましたが、台風の影響が(?)膝のところにくっきりとわかる今のかわいいおみ足です。


台風で臨時休校

2011年07月19日 | Weblog
大型の台風6号が接近をしていました。風・雨ともに激しく襲ってくる今回の台風。中心の気圧も前日までは、950台のヘクトパスカル。そして、スピードが遅いという悪条件がそろい、極めて被害が心配されました。市全体の小中学校では、昨日の夕方、今日の学校を休校と決定しました


 台風がやってきます。気象庁などの予報を見ると、大型の台風。被害が心配されました。



 以前の台風では、風のために、道路の両側にあった電信柱が100メートルにわたり、倒されました。そんなこともあって、心配しながら台風の動きを見ていました。




 中津市では、昨日の夕方、今日の小中学校をすべて臨時休校にすることを決定しました。



 昨日の夕方、何人かの先生方と校舎周りの吹き飛ぶものを校舎内に直すために学校に来ました。飛びそうなもの・・・いろいろある。ありすぎる・・・とりあえず、校舎を傷めそうなものなどを直しました。



 かつて、三光中学校では、台風の影響でこんなこともありました。




 石でできている野球のベンチがグランドの真ん中まで流されていました。人が抱えても動かない重い石のベンチが動いている。水の威力をまざまざと感じました。




 体育大会で使うテント。風の影響を心配して、テントだけ外して骨組みだけにしていました。しかし、台風の次の日、学校に行くと、骨組みが風でグランドの端から端まで動いていました。そして、骨もぐにゃぐにゃに。修復不可能。




 そんなこんなの経験から、「大型台風」と言われていただけにテントの骨組みも昨日は外しました。



 そして、迎えた台風の影響が心配された今日。生徒もいない校舎。何となく静けさがありました。パソコンやテレビの天気予報を見たりしていました。しかし、意外にも風も雨もほとんどなく一日が過ぎ去りました。



 
 緊張感があっただけに、ちょっと気が抜けた感がありますが、被害がないことにほっとしました。ところによっては、1000ミリ近くの雨が降っています。被害発生がないことを願っています。




 先生たちも明日の一学期の最後の日の学年・学級の活動の内容を考えたり、一学期のまとめをしていました。また地区を回ったりしながら、台風襲来が予想された一日を過ごしました。何事もなく一日が終わりました。



 さあ、明日は、一学期終業式。いよいよ夏休みがやってきます

第2の故郷の中で

2011年07月18日 | Weblog
先日、日田の病院にいる家族の見舞いに行きました。頼まれていた品物を買うために見舞いに行く前に近くの薬店に行きました。その日は、薬店などで、懐かしい人たちと出会うことができました



 次々に懐かしい人たちと出会うことができました。



 そんな日ってあるんだなあと不思議な気持ちになりました。



 家族が入院をしている日田の病院に見舞いに行きました。頼まれていたものを買うために、病院に行く前に薬店に行きました。駐車場に車を止めた時のことです。フロントガラスの向こうに懐かしい顔が。日田に勤務していたときのPTA会長さんをしてくれていたNさんです。「プッ、プッ。」とクラクションを鳴らしました。





 気がついてくれました。あまり立ち話は長くする方ではないのですが、本当に懐かしくこのときばかりは、しばらく話をしました。会いたいなあと思っていたので、感激をしました。勤務していたときは、何かとお世話になりました。校舎建築、完成の事業があっただけに、大きな時代の変化を一緒にさせてもらいました。




 ヒートデビルズの選手を招聘して、バスケットボール教室を開催するということで、準備物を購入していました。相変わらずのアクティブさです。




 「先生、あそこにいるのは、五馬にいたT先生ではないんですか。」とNさん。見ると、まさにT先生です。




 前日、暑中お見舞いのメールのやりとりをしたばかりです。偶然です。「久しぶりです。」とまた感激。娘さんと買い物に来ていました。勤務していたときにいろいろ気配りをしていただきましたし、先生の人柄で職場のいいムードをかもし出してくれました。




 忘年会では、先生の好きな「ユーモアを勉強する場所」?!に2年間いて2年間、みんなで行き、楽しませてもらいました。
 で・・・これで終わりかと思いきや、病院に入った瞬間、「あれ、先生。」と五馬のお家の方のSさん。先週、Sさんの娘さんが三光中学校に三光出身の生徒と遊びに来てくれたばかりです。




 偶然も偶然です。病院で内装の仕事をしていました。娘さんが学校に遊びに来てくれたことも話しました。




 きわめつけに、病院のお店に行きました。お店の方とも久しぶりに話をしました。父や母が入院をしていた頃から随分とお世話になっています。




 ふるさとに帰ったような気がしました。勤務する前はほとんど知らなかった街が今では、自分にとって、ふるさとと思える街になっている不思議さを感じます。

テオ・ヤンセン展出前授業

2011年07月16日 | Weblog
学校で、テオ・ヤンセン展の出前授業が行われました。テオ・ヤンセン展?!今は、話題になっているから知っていますが、それまでは、テオ・ヤンセンさんについての知識はありませんでした。しかし、知れば知るほどすごい感性の人であると思います


学校で「テオ・ヤンセン展」の出前授業が行われました。テオ・ヤンセンさんってどんな方?



「物理学者。オランダ、デン・ハーグ、スヘフェニンゲン出身。デルフト工科大学で物理学を学ぶ。芸術と科学の境界線上の作品を作る。特に、風を食べて歩くストランドビースト(ビーチアニマル)が有名。」




 これではわかりずらい。インターネットでは、さらにこんなことが書かれています。




「テオ・ヤンセンが生み出した生命体、「ビーチアニマル」。彼らの命はいくつかの線から始まり、進化を遂げ、現在の複雑な形態へと姿を変えていきました。

プラスチックチューブから作られた体を持ち、風からエネルギーを取り込んで歩く彼らは今もなお、進化し続けています。生命とは、一体何でしょうか?「新しい命の形」と共に、生命について考えてみませんか?」






 昨日は、大分市から3人の方が来られて、授業をしていただきました。テオ・ヤンセンさんについて、作品についてわかりやすく説明をしてくれました。




 また実際にビーチアニマルのミニチュアのレプリカをうちわであおぎながら動かしました。こんな時の生徒たちの笑顔が最高です。またミニチュアが生きている動物が本当に歩いているような感じがしました。




 保護者の方や地域の方も見えられて、授業を楽しんでいました。9月30日まで、大分市美術館(上野が丘にあります)で作品が展示されているとか。この夏に一度行ってみたい作品展ですね。時間によっては、本物の作品が動くとか。



 自然のすばらしさを感じながら、ものを創っていくって、自分もやってみたいと思うけれど、残念ながら、力がない・・・。

学校公開日実施しました

2011年07月14日 | Weblog
日曜日は、中津市一斉の中学校学校公開日でした。授業や、いろんな企画の中で、保護者、地域の方に来校していただき、生徒の様子を見たり、生徒と一緒に感動の共有をしてもらいました



 日曜日は、学校公開日でした。


 全部で120名近くのお家の方、地域の方が来校してくれました。



 学校を公開するのは、意義のあることだと思います。家庭や地域の姿ではなく、良くも悪くも学校での生徒の様子を感じてもらいたいと思うのです。



 子どもたちがよりよく成長するのは、家庭、地域、学校がそれぞれに連携をとっていくところが強いと思うのです。家庭だけの責任にしたり、地域の問題にすり替えたり、学校にすべての責任を押しつけたりするところは、弱いと感じます。



 先日の夜、会議が終わって、帰る準備をぼちぼちしていたら、電話。「今、家に来ている。」とかつて部活を顧問していた時のお家の方。そうか、夜の8時半に会う約束をしていた・・・あらら、過ぎている・・・急いで帰りました。
頼みたいことがあったのですが、来てくれることになっていたのです。




 用事が終わって、懐かしい部活の話になりました。



「生徒たちが、今でもまっすぐに進んでくれたのもそこにたくさんの生徒たちの『お父さん』や『お母さん』が部活の中で、できたからだよね。」
と振り返りました。



 たくさんのお家の方が、練習や大会に駆けつけてくれました。時には厳しく、時には、温かく生徒たちに接してくれました。来てくれるたくさんのお家の方一人ひとりが、まさに、生徒たちの第2のお父さんであり、お母さんでした。みんなから見守られていました。




 今でも当時のお家の方には、感謝してもし尽くせません。卒業してから、あるお母さんが亡くなりました。自然とみんなが集まり、悲しみの中、お通夜に行きました。




 例に挙げた部活の関係と同じなのが、家庭、地域、学校の連携だと思います。まとまりがあるときは、かりに家庭がうまく機能しないときがあっても、違う存在の人や地域、学校がカバーできます。うまく機能しないときは、家庭がこけたら、皆こけた・・・になります。



 
 学校公開日で、生徒たちの姿をみてもらったり、理解をしてもらう中で、たくさんのお家の方や地域の方に生徒たちの第2のお父さん、お母さんになってほしいと願うのです。




 公開日は、授業参観、ピアノグループ「O 未来」さんの演奏、細川さんの震災被災地に行って感じたことの講演会、シャイニングボーズさんの講演とライブがありました。みんなで学べる一日になりました。

重光先生との突然の別れ

2011年07月12日 | Weblog
人には、いろんな生き方があります。しかし、突然に死が襲ってくることもあります。それも運命なのでしょうか。ある方の予期しない死の知らせはあまりにも衝撃的でした。


 9日の夕方テレビを見ていると、森高校野球部のバスの事故が報道されていました。重光監督が亡くなったことが伝えられました。しばらく呆然としました。数時間前まで開会式の様子がテレビに出ていたのに・・・。





 全国高校野球選手権大分大会開会式が終わり、学校に戻る途中の事故です。先週の木曜日、毎日新聞をたまたま見ていると、先生と森高校野球部のマネージャーをしている娘さんの記事が出ていて、感動したところです。





 5月に豊前でお会いしたときは、息子さんがバットを握って遊んでいるというような話を聞かされました。運命かも知れませんが、幼い息子さんを残して、あまりにも残酷な事故です。次の日も学校があったのですが、気持ちが晴れませんでした。




 誠実な先生でした。話をしていてもさわやかな気持ちにさせてもらえます。ご家族の方、関係者の方たちが苦しみの中にいます。コメントのしようもありませんが、今は、まず心からご冥福をお祈りします。



 先週の新聞記事の内容は、先生は、叱る意味をマネージャーに理解していて欲しい。選手と同じ目線ではなく、監督の意を分かって、選手に接して欲しいと臨む記事です。



 同じ野球をする者として、叱るには監督としてそれなりの叱る意味があります。生徒の成長のためですが、でもその真意を全て選手が分かろうはずがありません。



 それを娘さんが理解してくれて、選手にそれとなく話をしてくれる姿がうらやましく思っていた矢先の事故です。



 毎日新聞の記事から引用させてもらいます。


『◇ナイン支える親子鷹



 重光孝政監督(44)と3年のマネジャー、咲希さん(17)はひと味違う「親子鷹(たか)」だ。




 監督が柳ケ浦コーチ時代に産まれた。当時住んでいた寮の窓越しに選手の声が聞こえ、母和佳枝さん(43)が押す乳母車でグラウンドへ。




 少し大きくなるとユニホーム姿で試合を応援した。父を、そしてチームを支えたいと思うのも自然の成り行きだった。




 忘れ得ない試合がある。04年夏、甲子園をかけた大分大会決勝。重光監督率いる国東は王者・明豊に挑戦。1対4で惜敗したが、小学6年だった咲希さんは「手に汗握り、一瞬一瞬に感動した。」




 中学では「試合の緊張感や努力の大切さなど、選手の気持ちを知っておこう」とテニス部、陸上部、駅伝部に所属。駅伝部では2年連続県大会に出た。
 



 高校に進学し、念願のマネジャーになったが、最初は違和感があった。緊張の張りつめたグラウンドで怒鳴る父。



「みんな頑張っているのに……」
 


 練習試合で三振した選手がヘルメットを投げて悔しがった。礼を失した行為だった。試合後、自宅に戻った重光監督は選手に怒った以上に強い口調で、咲希さんを叱責した。各選手に「監督の娘さんが『頑張ってる』と見てくれているんだから。」という甘えがあったからだ。




「士気が乱れる。マネジャーをやってる意味がない。」



 落ち込んだ咲希さんだったが、
「監督の娘だからこそ選手に与える影響も大きい。高い意識を持て。」
との意図を理解し、段々と変わっていった。怒られた選手に、監督の真意を忖度(そんたく)して伝える。和佳枝さんも「成長したな」と顔をほころばせる。




 重光監督には、その姿勢に共感して県内外から練習試合の依頼が後を絶たない。周囲との信頼関係を築く父を「尊敬している」と話す咲希さん。「一緒に闘える」と笑顔の重光監督。「声を出し、全力疾走する野球を支えたい。」と言う咲希さんと父の視線はともに甲子園を見据えていた。』 


 

Sさんとの感激の再会

2011年07月11日 | Weblog
 金曜日のこと。懇親会に行くために、机の上を片づけていたときのことです。先生をしていて、こんな巡り合わせもあるんだなあと嬉しく思うことがありました



 放課後、懇親会があるために、学校を出るために机の上を片づけていたときのことです。
 生徒が職員室にやってきました。
 「先生、古い生徒が来ているよ。」
他の先生から、「古い生徒・・・?卒業生やろ。」
 そのやり取りが何となくおもしろく、なんとなくほのぼのとした感じがしました。




 見ると、数年前の卒業生のOさんです。テニスなどに頑張っていた生徒です。今年高校を卒業しました。直接担当をしたわけではありませんが、Oさんの妹が三光中学校に通っています。妹は、今年の入学式のときに来てくれたとか、ときどきいろいろお姉さんの話をしてくれます。
 



 横に友だちも一緒についてきています。その友だちから、
「先生、覚えてる?」
よく見ると、五馬中学校勤務時代の生徒です。
「Sさん?」
と聞くと、こっくりうなずきました。



 五馬には、2年間の勤務でした。さとうさんは、赴任した年の3年生でした。五馬中学校を卒業してから、高校へ。1年生の時に、何度か職業調べで学校に来た時以来です。




 遠く離れている三光の生徒と五馬の生徒。不思議なつながりですが、思いがけない来校者に感激をしました。しばらく学校を出るのも忘れて話し込みました。




 話を聞くと、二人は同じ会社に勤務しているのです。社会人として、しっかり頑張っています。同じ年齢、同期入社で気の合う友だちです。人は、どこでどうつながりをもつのかわかりません。これも巡り合せです。「縁」は「円」だとつくづく思います。
 
 


夕方の涼しい風がさらに心地よく体に感じました。